カレンダーを見ながら琥珀さんがそんな事を言った。
「……宣戦布告のつもり?」
あからさまに警戒した様子の秋葉。
「いえいえそんなつもりはありませんよ。ただそういうイベントもあったんだなあと思いまして」
「姉さん、今日はまだエイプリルフールではありませんが」
翡翠も怪訝な顔をしていた。
「そんな警戒しないでってばー。別に普段と同じだよー。ね?」
「そりゃまあ琥珀さんはいつでも嘘つきだからなあ」
「うわ、志貴さんが酷い事言ってます」
「事実じゃないの」
「自覚をして下さい」
「……うう、みんな酷い……」
これが大まかな前日の会話である。
「4月のバカの話」
「……」
朝。翡翠に起こされる前に目が覚めた。
自分でも相当に珍しいと思う。
「失礼します」
ぼーっとしていると翡翠が現れた。
「志貴さま?」
翡翠は驚いた顔をしている。
「……ん、ああ、おはよう」
「お、おはようございます」
挨拶をすると慌てて返事をしてくる。
俺はちょっとしたイタズラをしてみることにした。
なんせ今日はそういう日なんだからな。
「俺、まだ寝てるから」
「……は?」
「おやすみ」
そのまま目を閉じる。
「志貴さま……」
これで翡翠が近づいてきたら、なーんちゃって冗談だよと目を開けるのだ。
「……ん……」
なんだろう。口元に何かが近づいてくる。
生暖かい風というかなんというかこれは……呼吸音?
「まさか」
翡翠がそんな大胆な事をするわけがないじゃないか。
慌てて目を開ける。
「おはようございます、志貴さま」
「……う」
目を開けるとそこには黒猫のレンがいた。
レンはぺろぺろと俺の頬を舐めてきた。
「心地よい目覚めのようで」
「……もしかして寝たふりしてたのばれた?」
「志貴さまの演技は簡単にわかってしまいます」
「あ、あはは」
思わず苦笑してしまう。
「してやられたな」
引っ掛けるつもりが引っかかってしまうとは。
「一本取らせて頂きました」
ぺこりと頭を下げる翡翠。
「秋葉さまがお待ちです。着替えが終わったら来て頂けますか」
「秋葉が……わかった」
多分秋葉も俺を騙すつもりなんだろう。
俺って騙されやすいからなあ。
「秋葉ー」
「兄さん。お小遣いを差し上げますよ」
秋葉はそういって封筒をひらひらさせていた。
「……いや、いくらなんでもそんな嘘にはひっかからないぞ」
その笑顔はいかにも何か企んでますという感じだった。
「いいんですか? 欲しくないなら仕舞ってしまいますが」
「……ぬぅ」
もし本当だったら俺は貰えるはずだったものをわざわざ捨ててしまう事になる。
って駄目だ。そんなんだから騙されるんだぞ。
「その手には乗らないからな」
「……ふふ、なかなか手強いですね」
くすりと笑う秋葉。
「どうせ今日はそういう日なんです。だからいっそ楽しんでしまおうと考えました」
「……ていうと?」
「普通に過ごしていたら琥珀の天下になってしまうじゃないですか」
目線を向けると琥珀さんは困ったような顔をしていた。
「それではあまりに不公平です。だから私たちも騙しあいをするんですよ」
「……それは余計に話がややこしくなるだけなんじゃ?」
「琥珀に嘘をつくな、と言ってつかなくなると思います?」
「……思わない」
「そういう事ですよ」
大きくため息をつく秋葉。
「だから誰を何回騙したかで勝負……となると本末転倒です」
「うん」
それこそ琥珀さんの思う壺の展開だろう。
「ですから、数ではなく質。いかにも嘘のような本当、本当のような嘘を信じさせろという形にします」
「……よくわからないんだが」
「要するに本当でも嘘でもいいから騙したらいいって事ですよね」
琥珀さんがそんな事を言った。
「ええ。それが嘘であるなら真実味を帯びていれば帯びているほど、真実であるなら嘘っぽい事実であるほど高評価です」
「……高評価を得ると何があるんだ?」
「もし兄さんや翡翠、琥珀が買った場合はボーナスが出ます」
「それは嘘じゃないよな?」
「これはルールですから嘘ではありません」
どうしても疑心暗鬼になってしまうのがエイプリルフールの悪いところだ。
「私が勝った場合は敗者を一日好きに使わせて頂きます」
「……」
なんとしても秋葉が勝つことだけは防がなくてはならなさそうだった。
「秋葉さまが勝つと言うのは考え辛いですが……」
翡翠が眉を潜めていた。
「他人の心配などではなく、自分の心配をしたらどう?」
「……その通りですね」
翡翠にしろ秋葉にしろ、騙すのは苦手そうだからな。
「……」
やはり本命は琥珀さんだろう。
騙すのは難しそうだし、迂闊に話しかければ騙されそうだ。
つまり、この勝負に勝つためには出来るだけ琥珀さんに近づかないこと、近づかれない事がポイントである。
「なお、屋敷から出るとは反則とします。それでは勝負になりませんからね」
「そりゃ……まあな」
騙すこともなければ騙されない。
それがベストであるが、そんな虫のいい話があるわけがなかった。
「ではルールの確認も終わったことですし、録音装置を配ります。騙すのに成功しても現場を録音しておかなければいくら高度であっても無効としますので」
「……変に本格的だなあ」
「秋葉さまは凝り性ですから」
琥珀さんは苦笑いしていた。
なんとなく今日に限って言えば秋葉の方が積極的な印象を受ける。
まあ琥珀さんが大人しいのはわざとなんだろうけど。
「では、解散」
「はーい」
「了解」
「作戦を練らせて頂きます」
そんなこんなで各個自分の部屋へと戻るのであった。
こんこん。
「……来たか」
しばらく部屋で待っていると最初の刺客がやってきたようだった。
刺客ってのもあれだなあ。
自分の考えに苦笑しつつ「どうぞ」と言い身構える。
「失礼します」
現れたのは秋葉だった。
「秋葉か……」
いきなり琥珀さんが来たらどうしようと思っていたが、さすがにそれはなかったようだ。
ラスボスに戦いを挑む無謀者もいないだろうし、部屋で計画を練っている頃だろう。
「兄さん、お小遣いをあげますよ」
秋葉はにこりと笑ってさっきと同じセリフ、同じ封筒を見せてきた。
「今度は本物ですよ」
などといかにも胡散臭いセリフ。
琥珀さんもこれくらいわかりやすかったら楽なんだけどなあ。
「じゃあ、貰おうか」
俺がそう言うと秋葉はとても嬉しそうな顔をした。
「でも、秋葉が中身を出して直接くれないと受け取らないぞ」
「……え」
その表情が一瞬で強張る。
「どうしたんだ?」
「い、いえ、その……」
やはり中身はおもちゃのお金か何かなんだろう。
もし本当に本物だったら俺が儲けるだけだし。
「くれるんじゃなかったのか?」
「……に」
「に?」
「兄さんのくせにーっ!」
ばたんっ。
秋葉は叫んで部屋を出ていってしまった。
「……騙せなかったからってそりゃないよなぁ」
まあ俺もちょっと意地悪しすぎたかもしれないけど。
これもエイプリルフールを生き残るためだ。
「さて……と」
こちらからも行動を仕掛けないとな。
どうせみんな俺を狙ってくるに決まってるんだから。
「いつもやられてばかりの俺じゃないって事を見せてやる!」
今日は遠野志貴の真の力を見せる日なのだ!
「……それが一番嘘っぽいよなぁ」
はてさてどうなる事やら。
続く