俺は琥珀さんの部屋のドアをノックした。
「おや志貴さん。珍しいですね」
ドアを開けてくれた琥珀さんは不思議そうな顔をしていた。
「志貴さま?」
「お」
丁度いい具合に部屋の中に翡翠もいてくれた。
「ふふふふふ」
俺は部屋の中に入ると後ろ手に持っていたそれを取り出した。
「はい、バレンタインのお返し」
「三倍返しの日」
「あ……」
「……」
二人の表情が一瞬驚いたものに変わり、やがてぱあっと明るく輝いた。
「ありがとうございます志貴さんっ」
「ありがとうございます」
笑顔で受け取ってくれる二人。
「大したもんじゃないんだけどさ」
俺の小遣いなんてたかが知れてるし。
それでもあれこれ工面してなんとか用意してみたわけだ。
12日の二人の誕生日の時にも秋葉と一緒にプレゼントをあげたけど、これはあくまでお礼の気持ちだからな。
「あの、開けてみてもいいですか?」
「うん」
「では……」
おずおずと箱のリボンを解く翡翠。
「……これは」
翡翠にあげたのは緑色のハンカチだ。
隅の方に花の模様が描かれている。
「ありがとうございます、志貴さま……」
深々と頭を下げてくる翡翠。
「い、いやそんな大した事じゃないって」
なんだかやたらと気恥ずかしかった。
でも、喜んで貰えたみたいだな。
「では次はわたしのほうですねー」
にこにこと笑っている琥珀さん。
「うん」
「なにがでるかな、なにがでるかなー」
鼻歌を歌いながらリボンを解く。
そしてぱかっと蓋を開けた。
びよーん!
「わっ?」
「よしっ!」
俺は思わずガッツポーズを取ってしまった。
琥珀さんの空けた箱からマヌケな顔が出てきてびよんびよんと跳ねている。
「びっくり……箱?」
そう、琥珀さんにあげた箱はびっくり箱だったのだ。
「いつも琥珀さんには驚かされてるから俺から驚きを提供してみたんだ」
断じてこれは私怨なんかじゃないぞ。
「……」
琥珀さんはしばらく箱をじっと見つめていた。
「あ、あの、琥珀さん?」
何かコメントしてもらわないとこちらとしては辛いんですけど。
「……ぐすっ」
「へっ?」
琥珀さんのその瞳から、一筋の雫がこぼれ落ちた。
「酷いです志貴さん、どうしてこんな……」
「あ、えっ、ちょ、ちょっとっ?」
そしてその場所に座りこんでしまう。
「志貴さま……酷いです!」
「え、だ、だからっ……」
俺は軽い冗談のつもりでっ……そんな泣かせるつもりなんか……
「う、え……」
駄目だ、頭が回転しない。思考が滅茶苦茶になっている。
「……」
じっとりとした脂汗が流れてきた。
体中が焼かれるように熱い。
「……なーんちゃって」
「あ、あれ?」
すたっと立ち上がる琥珀さん。
その表情はいつもの笑顔であった。
「志貴さんがわたしをいぢめたからからかってみました」
「な、なんだ、そうだったのか……」
思わず安堵の息を漏らしてしまった。
「驚きました?」
「そりゃ……驚くよ」
心臓が飛び出るかと思ったぞ、まったく。
「志貴さんが悪いんですよ。プレゼントと言っておきながら驚かすなんて」
「……琥珀さんがいつもやってることじゃないか」
「わたしはいいんです。志貴さんは駄目なんです」
「そんな無茶苦茶な」
どこぞのガキ大将みたいな理論である。
「志貴さまはそのような事をする方ではありません」
翡翠にまでたしなめられてしまった。
「う、うーん」
なんともはや。
「で、志貴さん。まさか本当にこれがわたしへのプレゼントじゃないですよね?」
苦笑いしていると琥珀さんがそう尋ねてきた。
「……あ、うん。その跳ねてるやつどけてみてくれるかな」
もちろん琥珀さんにあげるつもりだったのはそれだけではない。
それじゃホントにただの嫌がらせみたいだもんな。
「どれどれ……」
跳ねているそれをどけて中を見る琥珀さん。
「あ……」
「どうかな?」
琥珀さんへのプレゼントは琥珀色の石のついた指輪だった。
ついてる宝石は本物じゃないけど。
「……これって洒落のつもりですか?」
「え? あ、うん、一応」
「とすると翡翠ちゃんへのプレゼントも……」
「うん、ヒスイ色」
本当だったら二人の名前にちなんだ宝石をプレゼントしたかったのだが。
さすがにそこまでの財力を出す余裕は俺にはなかった。
「志貴さん単純ですねー」
「だからびっくり箱を仕込んだんじゃないか」
「うふふ、なるほどそういう事だったんですね」
くすくすと笑う琥珀さん。
「わたしの着ている服の配色とか考えなかったんですか?」
「……う」
しまったそうだった。
琥珀さんはいつも茶色っぽい着物を着てるんだっけ。
「これでは指輪が目立ちませんねー」
「ご、ごめん」
語呂合わせのことばっかり考えててその辺りをまるで考慮してなかった。
たまに慣れない事をするとこれだもんなあ。
「いえ、嬉しいですよー」
ひょいとその指輪を懐に仕舞う琥珀さん。
「大事にさせて頂きますね」
「あ、うん」
ほんとはつけて貰いたかったんだけど、それを言うと変に勘ぐられそうだしな。
「じゃあ、俺はこれで」
「はいはーい」
「ありがとうございました」
俺は二人に喜んで貰えた事に満足し、部屋を後にするのだった。
めでたしめでたし。
「……物語だったらこう上手く終わるはずなんだけどなあ」
部屋に戻った俺は妙な不安を感じていた。
いや、二人とも喜んでいたじゃないか。
何が不安なものか。
「ぬかりはない……はず」
アルクェイドやシエル先輩、秋葉に都古ちゃんへもプレゼントは渡してある。
たまたま翡翠と琥珀さんと最後になってしまったが、それは一言も話してないわけだし。
「何を不安がる必要があるんだ、俺」
堂々としていなくては。
ばたん。
「志貴さますいません」
「うわあごめん! 俺が悪かったぁっ!」
「……志貴さま?」
「あ、う、えー……」
翡翠がいきなり謝った俺を不思議そうな顔で見ていた。
「申し訳ありません。ノックを何度かしたのですが返事がないもので……」
「……そうだったんだ。ごめん」
どうも考え事に夢中になりすぎていたようだ。
「それでどうしたの?」
「志貴さま、姉さんに指輪をあげましたよね」
「あ、うん」
「それがどういう意味を表しているか理解していらっしゃいますか?」
「……意味って?」
「やはり……」
翡翠は渋い顔をしていた。
「え、なに? 何かまずいことした?」
「志貴さまは本当に愚鈍です」
そうしてやれやれと首を振る。
「え、いや、だから」
「男性が女性に指輪をあげる事は、愛の気持ちを伝える手段以外のなんだというのですか?」
「……うん」
「は?」
首を傾げる翡翠。
「だから、そのつもりだったんだけど」
「あの、それは……?」
「いや、この間のバレンタインで本命チョコ貰ったみたいだからさ」
それに対する答えというかまあ……なんだ。
「やっぱり俺がそういう事するの似合わなかったかな」
「いえ……」
「……」
俺は無言で翡翠の手を取った。
「……っていうか……琥珀さんでしょ?」
翡翠とは異なる色の潤んだ瞳。
格好はメイド姿だが、そこだけは誤魔化せなかった。
「あっ……」
そしてその指には、しっかりと俺のあげた指輪がつけられている。
「あはっ……ばれちゃいましたか」
そう言って笑う姿はもう完全に琥珀さんそのものだった。
「琥珀さんらしくないな。そんな簡単に見破られる変装をするなんて」
以前はカラーコンタクトまでして変装していたのに。
「あはは、動揺していたからかもしれませんね」
頭のフリフリを外して苦笑いする。
むしろ琥珀さんは自分だと気付いて欲しかったんじゃないだろうか。
「だって志貴さんがびっくり箱を出してきた時は本当に悲しかったんですよ? 翡翠ちゃんの手前上、平然を装ってみましたが」
「……それについては本当にごめん」
琥珀さんだって女の子だもんな。
普段の俺があんまりにもダメダメだから、こういう事をしたのが怪しく見えてしまったんだろう。
「でも、それ以上に嬉しかったから帳消しにしてあげます。指輪をくれた理由が適当だったら大変な事になるところでしたけど」
涙を拭い、にこりと笑う琥珀さん。
「あ、は、あはは……」
正直に答えて本当によかった。
「志貴さん……」
じっと俺を見つめてくる琥珀さん。
「……琥珀さん」
二人はそっと抱きしめあう。
まるでドラマのような展開。
なんて幸せな姿だろう。
「……茶番ですね」
「面白くもなんともないわ……」
「使用人の分際で……」
「志貴さま……」
ドアの隙間やら窓の外から覗いている外野さえいなければ。
まあ、でも今の俺たちにはそんな事はあんまり関係なかったりする。
「どうせだから見せ付けちゃいましょうよ」
「そうだな」
相思相愛の二人というものは、世界最強の存在なのだから。
比率で言えば、きっと通常の三倍以上。
「……ん」
「んっ……」
二人の唇が、熱く重なり合うのだった。
完