俺は琥珀さんから小さな袋に包まれたチョコレートを受け取った。
「うん。美味しい」
「あはは。なんだか照れくさいですねー」
なんてはにかむ琥珀さん。
うん、実に健全でいい。
これで終わってくれればめでたしめでたしなんだけど。
「実はですね」
「……うん」
まあやっぱり何かしらの細工があったりするわけで。
「まさかこのチョコに何か……」
「ちょこっと気持ち」
「いえ、そういう訳ではないんですけどね」
「そ、そっか」
しびれ薬とかそういう類が入ってたらどうしようかと思った。
「バレンタインを扱うマンガでありがちな事ってあるじゃないですか」
「ありがちと言われても」
重い当たる節が多すぎて正直何とも言えない。
バレンタインネタなんてそれこそ数限りないマンガやゲームで使われてるからな。
「こう、チョコレートが意思を持ったバケモノみたいになるのが」
「あー」
ファンタジー系のマンガだとそういうのが多いかもしれない。
「わたしはああいうのが作りたいんですよ」
「作っても絶対食べないからね」
「食べないじゃありませんよ。志貴さんが食べられるんです」
「……ははは」
琥珀さんなら本気でやりかねないから困る。
だがここにそれがない以上、実現できなかったということなのだ。
「で、マンガだと料理下手な女の子がそういうのを作りだす事が多いんで、翡翠ちゃんにも手作りチョコを進めてみたんですが」
「ええっ!」
まさか今年の翡翠からのチョコはとんでもないものが来るんだろうか。
「しかし予想外にマトモなものが出来てしまいました」
「そ、そっか……」
それなら期待しちゃうかも。
「下手に作ろうとすると上手く出来てしまう謎の法則ですね」
「マンガではよくあるな」
塩と砂糖を普段間違えるから逆にやったら上手くいくと。
「そんなわけで今年は無理して食べる志貴さんの顔も見られません」
「それはいい事だなぁ」
「良くないですよー」
まあ琥珀さんとしてはそうだろうなぁ。
「後は期待出来そうなのは秋葉さまですが……」
「秋葉か……」
妹だし、チョコくらいくれるだろうと思っていたら甘い甘い。
バレンタインだというのに何一つそんな素振りは見せないのだ。
琥珀さんや翡翠が渡していても知らん顔。
アルクェイドが現われたって無反応。
「去年は日が変わる直前に来られたんでしたっけ?」
「そう。最近ダイエットを始めたからってさ」
こんなものが目の前にあると妨げになりますから食べてくださいと。
「今年はどんな言い訳を考えるんでしょうかねー」
「……あはは」
そんな回りくどいことしないで直接渡してくれればいいのに。
「どうせ義理チョコなんだしさ」
「まあ、そういう事にしておきますか」
「……」
なにやら意味深である。
「後はアルクェイドさんの乱入タイミングですねえ」
「うん」
あいつはミーハーだからこういうイベントは大好物である。
俺の元に現われて言うのだ。
「チョコレートちょうだい」と。
「根本的なところで何かわかってないんだよな」
「説明してあげればいいじゃないですか」
「いや、油断すると琥珀さんたちから貰ったチョコまで食べようとするからさ」
「……わざとじゃないでしょうね、それ」
「どうだろうなぁ」
あいつのする事はよくわからないからな。
「そういう事ならダミーチョコを用意しておかないと駄目ですね」
「もう買ってある」
「あらま」
「バレンタインが話題に乗る前にね」
流石にこの時期に男一人で買うのは抵抗がある。
一度有彦が罰ゲームでやった事があるが。
アレは物凄く悲しい光景だった。
「そういえばイチゴさんのチョコが地味に美味いんだよな」
小さい頃は有彦と一緒に食べてたもんだ。
「……志貴さんって年上にもてますよね」
「そうかなぁ」
イチゴさんは完全に義理だし、後は……
「ああ、朱鷺恵さんから貰った事はないんだよな」
なんでかというと時南のじいさんがそういうのを嫌いだからである。
「そうですか。残念ですねえ」
「う、うん」
心なしか琥珀さんの顔が怖い。
「……むしろ警戒すべきはそっちの方々なんでしょうか……」
「え、何?」
「いえいえ何でも。後貰えそうなのは……シエルさんですかね?」
「そうだね」
これもやっぱり義理だろうけど嬉しいよな。
「カレールーと間違えたりして」
「……ありそうで怖い」
チョコだと思って食べてそれだったら本当に悲劇だ。
「先に食べて貰えばいいんじゃないですか?」
「……先輩だったらルーそのものを食べても美味しいって言いそう」
「ありそうですねぇ」
先輩はどんなイベントでもカレーネタに直結されそうな気がする。
「今頃くしゃみしてると思いますよ」
「かもね」
「まあシエルさんは学校イベントはほぼ独占市場ですからそれで丁度いいんです」
「うーん」
琥珀さんの基準はよくわからなかった。
「後は都古ちゃんですかね?」
「うん」
都古ちゃんの場合は投げつけられるのほうが正しいかもしれないけど。
「なんだ、志貴さんモテモテじゃないですか」
「うーん」
確かになんだかたくさん貰ってる気がしないでもない。
「食べるの結構大変そうだ」
「虫歯にならないように気を付けてくださいよ?」
「歯はちゃんと磨いてるよ」
あとは食べすぎで鼻血に注意か。
「……なんかやる事がたくさんあってやだなぁ」
「何言ってるんですか。世の中には貰えないで悲しいバレンタインを過ごす人がたくさんいるというのに」
「あはははは……」
確かに贅沢な悩みではあるよな。
「ほんとにもう。志貴さんってば全然わかってないんですから」
「……あ、あのう琥珀さん?」
「何です?」
「機嫌悪い?」
「そんな事ありませんよ」
いや、明らかに悪いって。
バレンタインのイベントがベタ過ぎるせいなんだろうか。
「志貴さんが女性の事ばかり考えているのはよくわかりました」
「そ、そんな事は」
無いとは言えないか。
「でも、ほら琥珀さんからのチョコはもう食べたわけだし」
「食べればいいってもんでもないですよ」
「う、うーん」
俺は一体どうすればいいんだろうか。
「秋葉さまが時間ギリギリにする気分がわかっちゃいますねぇ。はぁ」
なんてため息をついてる琥珀さん。
「……よくわからないけど。俺は琥珀さんからのチョコが一番嬉しかったよ」
「え?」
「いや、ほら、変にネタに走ったりしないで素直な気持ちが聞けた気がして」
「そ、そうですかね?」
琥珀さんは嬉しそうな顔をしていた。
「うん。だから……」
「は、はい」
「これからもネタに走るのは程々にしようね」
「……」
びき。
なんだかそんな音が聞こえた気がする。
「そうですか、そうですか。うふふふふふ」
「え、な、何?」
「志貴さんのろくでなしーっ!」
「ちょ、ま、ええええっ!」
こうして今年のバレンタインも、よくわからないドタバタ劇で終わってしまうのであった。
完