俺は琥珀さんの言葉に思わず苦笑してしまった。
「失礼ですね。わたしだってやれば出来るんですよ?」
「……いや、そんな頑張らないと普通の事ができないのかな」
「言葉のあやというものです。まったくもう志貴さんってば」
「ごめんごめん」
珍しく普通と言ってるんだから、それを邪魔するのは余計なことだろう。
「で、普通の話ってどんな話?」
「……どんな話だと思います?」
「どんなと言われても、ちょっとわからないなあ……」
はて普通の話ってどんな話だろう。
「普通の話」
「……うーん」
思わず考え込んでしまう。
「難しいですよね」
「改めて言われちゃうとね」
日常生活において「普通の話をしましょう」なんてセリフはまず言わないだろうし。
「秋葉とはどんな話してるの?」
「秋葉さまとは政治経済の話などをしておりますが」
「うっわ」
「お聞きになられます?」
くすくす笑いながら尋ねてくる琥珀さん。
「遠慮しておく」
そんな話聞いてたら眠くなってしまう。
「逆に同じ質問を志貴さんにしてみましょうか」
「……俺が秋葉と?」
「はい」
「えーと、成績がどうだの、家での素行がどうだのって」
まるで学校の先生のような小言っぷりである。
「それは志貴さんが一方的に言われるだけじゃないですかー」
「否定できないのがやだなあ」
「そうじゃなくてほら、兄と妹の会話みたいな」
「……内容のない会話ならいくらでもあるけど」
「ふむふむ?」
何故か目をきらりと輝かせる琥珀さん。
「いや全然面白くもなんともない話だよ?」
「ええ、例えばどのような?」
「う、うぐいすパンってどうしてうぐいすパンって言うんだろうな……とか」
「……はぁ」
うわ、すげえ気まずい。
「し、しかもさ。秋葉がうぐいすパン自体を知らなくって一から説明しなおしてやったんだけど」
「ええ」
「そうしたら秋葉もそれのどこがうぐいすパンなんですって……」
「そうですねえ、そうなりますね」
「だろ? あんパンはあんこ、ジャムパンはジャム、なのにうぐいすパンはうぐいすが入ってない」
「それはメロンパンだってそうじゃないですか」
「まあそうなんだけどさ」
結局その時は緑色のあんこだからそうなんだろうという結論になった気がする。
「うぐいすパンはうぐいす豆から作ったうぐいすあんを使って作られてるからうぐいすパンって言うんですよ」
「うぐい……なんだって?」
「えんどう豆を調理して出来たうぐいす豆を使って作られてるからそう呼ばれるんです」
「へえー」
ちゃんと正しい元があったんだな。
「さすがは琥珀さん」
「ただの雑学ですよ」
「いやいや」
こういう知識で琥珀さんに敵う奴はいるまい。
「ちなみに琥珀さんと翡翠はどんな話をするのかな?」
「わたしと翡翠ちゃんですか?」
「うん。姉妹の会話みたいなのあるのかな」
さっきの琥珀さんのセリフを真似してみる。
「そうですねー。志貴さんの寝起きの悪さをどうにかしようと話し合ったりしますが」
「そ、それは仕事の話じゃない?」
「あはっ。確かにそうですね。でも志貴さんの行動はわたしたちの生活の一部でもありますし」
「う……」
その言い方はなんかずるい気がする。
「な、なるだけ気をつけるようにします」
俺の場合、意識したからどうなるようなものでもないのだが。
「はい。そうして頂けると非常に助かりますねー」
なんとまあ素敵な笑顔なことで。
「志貴さまや秋葉さまの話題はわたしたちにとって共通ですから、自然と多くなりますよ」
「なるほど」
確かにお互い丸っきり知らないものじゃ会話が続かないからな。
「後はまあ女の子ならではの話題とか」
「へえ、どんな?」
「どんなって……それを言わせるんですか志貴さん?」
うふふと怪しく笑う琥珀さん。
「う」
まさかそっち系の話なんだろうか。
いやでもまさか、翡翠とそんな会話をするはずがないだろう。
「これはまあわたしたちならではの会話と言えなくもないんですけどね」
「うん?」
「ほら、なんせ体型が近いんで服を交換出来るじゃないですか」
「ああ、なるほど。洋服の話題?」
「ええ」
なるほど確かに女の子ならではって感じだ。
「でもあんまり私服とか見ないよね」
「いや、これだって自前なんですけど?」
「そういう問題じゃなくてさ」
翡翠は言わずもがなメイド服だし、琥珀さんもお馴染みの着物姿だ。
「ほら、見えなくたって着てるものがあるじゃないですか」
「う」
しまった、そういうことか。
「気付いちゃったみたいですねー」
「え、う、その」
つまりその、服の下に着けているアレ……
「和服で着るのは邪道なんですけどね。ほら、形崩れちゃいますし」
「うう」
そんな事を言われてしまうと妄想を掻き立てられる。
「ちなみに秋葉さまの前ではそれ関係の話題は絶対に禁句となっています」
「それは言われなくてもわかる」
っていうかあいつはそもそもつけてるのか?
「……努力なさっているんですよ、秋葉さまも」
琥珀さんはどこか遠い目をしていた。
「う、うん。深くは聞かない」
「最近はあまりないですが、翡翠ちゃんとわたしと秋葉さまで揃うと盛り上がりますね」
「いつものメンバーじゃない?」
「いえ、志貴さんがいないというのが重要でして」
「そ、そうなのか」
何か俺に聞かれたらまずい話なんだろうか。
「まあ志貴さんへの愚痴大会なんですけど」
「うぐっ」
そんなものまで行われていたのか?
「なんだかんだ言っても結局みんな志貴さんを心配しての事ですし」
「そ、そうかな」
「秋葉さまなんか愚痴というかただの要望ですしね」
「……あ、あはは」
兄さんはもっとしっかりしてください、とかそういう類だろう。
「琥珀さんもなんか愚痴とか言ったりするの?」
「それは本人を目の前にしては言えませんよー」
「だ、だよね」
「志貴さんが駄目駄目なのは先刻承知ですし、言っても無駄ですもん」
「いや思いっきり言われてるんですが」
「おやついうっかり」
いいや、絶対にわざとだ。
「とまあ、このようなものが普通の会話なのではないでしょうか?」
「うん?」
「いえ、普通の話がちょっとわからないと仰られてたじゃないですか」
「あ、うん、そうだけど」
「これで志貴さんが知りたかった普通の話と、わたしのしたかった普通の話を同時にこなせたわけです」
琥珀さんはとても満足げだった。
「そっか」
確かにまあそうだな。
普通の話ってのはこうとりとめもなく、深い意味もなく、なんとなく過ぎていくものなのだ。
「こういうのもたまにはいいんじゃないですかね?」
「俺はいつもこうがいいなあ」
琥珀さんが何かしないだなんて、平和そのものじゃないか。
「もう、志貴さんってばー」
「ははは」
こうしてこの日は何の事件もなく普通に終わったのであった。
「……さて、と志貴さんが油断しきっている隙に色々仕込んできましょうかね?」
「いや、せめて聞こえないように言おうよそういう事は」
「あはっ、何の事やらー」
翌日の俺がどうなったのかは聞かないで欲しい。
完