もはや慣れきってしまった俺は苦笑しながら琥珀さんに尋ねた。
「時間もないし体力も精神的にもダメダメです」
「……寝てればいいじゃないか」
何故この人はそこまでネタを求めるのだろう。
「それが人間というものだからです」
「いや、そんな壮大な風に言われてもね」
さて今日の俺の課題はいかにして琥珀さんを休ませるかだ。
「風邪をひいた日」
「志貴さんも経験あるでしょう?」
「何を?」
「テスト勉強をしなくてはいけないというのに部屋の掃除を始めてしまうこととか」
「う!」
確かにある。
「普段気にもならないことが気になったり!」
「……ある」
「なのにやらなきゃいけない勉強はまるで進まなかったり!」
「……ある」
悔しいが否定出来ない。
「人間って不思議ですよねえ」
「だねえ」
「さてここで人間とは何かということを考えてみようと思います」
「……寝てたほうがいいと思うよ?」
「失敬ですね志貴さん」
むっと顔をしかめる琥珀さん。
「ちゃんとした話だって出来るんです。なんせわたしは策略の琥珀!」
「うん、誰も呼んでないからね」
「人間は笑う事の出来る唯一の生物という言葉があります」
「聞いてってば」
「あとまゆげのあるのも人間だけと聞いたような」
「そうなの?」
「犬にはありませんよね?」
「……言われてみれば」
ラクガキとかをされたりする事はあるが、見て明らかにまゆげという毛は無い気がする。
「猿だってありません」
「そうだなあ」
「まあ、確証はないんで興味があったら調べて下さいな」
「……投げやりだね」
「勉強とは己で興味を持たないと身にならないものなのです」
「う、うーん」
いちいちもっともだけど、どうも琥珀さんらしくない。
「寝てたほうがいいって絶対」
「失礼ですねー。わたしは……」
くらり。
「……っと」
慌てて体を抑える俺。
「ほら、無理しない」
「あ、あれー、おかしいですねー」
「……部屋連れてくからね」
「え? きゃあっ?」
琥珀さんを担ぎ上げる。
いわゆるお姫さまダッコというやつだ。
「……っ!」
傍目にはかっこいい。
しかしやってる本人は滅茶苦茶辛い。
「志貴さん、大丈夫ですからっ」
この状況。
重いだなんて絶対に言ってはいけない。
けど言いたくてたまらない。
「……ぐう」
数歩歩いただけでダウンしてしまった。
ああ、カッコ悪いなあ俺。
「わかりました。大人しく部屋に戻りますよ」
「ほんとに?」
「はい」
ふらふらと歩いていく琥珀さん。
「……大丈夫かな」
どうも心配である。
「ほら、ドア開けるから」
「すいません」
「ちゃんと寝るんだよ?」
「……はーい」
部屋についた頃には琥珀さんは大分大人しくなっていた。
「それだけ体調が悪いって事かな……」
ますます心配になってきてしまった。
「……とすると」
俺のやるべき事は一つだ。
タオルと冷たい水を用意。
もう一度琥珀さんの部屋へ。
「琥珀さん、入るよ」
「はいー」
布団に包まっている琥珀さん。
「ちゃんと寝てたんだね」
「……具合が悪い時は寝るに限りますよー」
「そうだね」
最初と言ってる事が違うけど何も言わない。
「迂闊でした。このわたしとしたことが」
「誰でも体調が悪い時くらいあるって」
確かに琥珀さんが体調を崩すというのは珍しい気がするが。
「薬は飲んだ?」
「はい。それは自前でちょいちょいっと」
「そ、そっか」
それなら多分大丈夫だろう。
「志貴さんはどうされました?」
「ん。タオル持ってきたんだ」
琥珀さんのすぐ傍に持って来た道具類を置く。
「ああ、ありがとうございます……」
「タオル乗せるよ?」
「んっ」
頭に乗せるとその冷たさのせいか、一瞬顔をしかめる琥珀さん。
「大丈夫?」
「あ、はい。冷たくて気持ちいいです」
「そっか」
俺の自信過剰かもしれないけれど、それで大分楽になったかのような表情をしていた。
「……えー、何を話しましょうか」
「いいから寝てなって」
「……はーい」
渋々といった感じで目を閉じる琥珀さん。
「……」
じっと見つめていても寝辛いだろうから、適当にそのへんのマンガを読んでいる事にした。
なんせ琥珀さんの部屋だから、退屈するだなんて事はあり得ないのだ。
ここは唯一秋葉の手の届かない無法地帯である。
「んー……」
「……っと」
時折タオルを交換。
「早く治るといいな」
「……」
返事がない。
どうやら眠ってしまったようだ。
「寝顔は天使……か」
ほっぺたをつついてみる。
「うーん、志貴さん……」
「……はは」
俺はじっくりと時間をかけて琥珀さんの看病をしていった。
「……さん」
「……ん」
「志貴さん」
「お?」
体を揺さぶられている。
「琥珀さん?」
目を開くと目の前に琥珀さんがいた。
「看病していて病人より先に寝てはいけませんよー」
「いや、そんな事は」
琥珀さんが眠ってからだって看病してたんですが。
「冗談ですよ」
くすくすと笑う。
「調子、戻った?」
「はい。おかげさまで大分よくなりましたよー」
「そっか」
看病した甲斐があったってもんだ。
「これが人間の力というやつです」
「自然治癒力?」
「いえ」
首を振る琥珀さん。
「愛の力です!」
「あ、愛ですか……」
「そうです、愛です」
「……」
「……」
奇妙な沈黙が場を支配する。
「そ、それでですね」
再び口を開いたのは琥珀さんが先だった。
「あ、おなか空いた? おかゆでも作ろうか?」
「ああ、いえ。そうではなくてですね」
「ん?」
そうしてふいに目線を逸らせる。
「汗をたくさん掻いてしまいまして」
「だろうね」
頭を触った時に結構熱かったからな。
「それでですね」
「……って」
ちょっと待てこの展開は。
「汗を拭いて下さるととても嬉しいんですが」
「え、で、でも、それって」
琥珀さんが服を脱ぐと?
そして俺に触れというのか?
「人助けだと思ってお願いしますよ」
「……う。うぐっ」
その大義名分は非常に魅力的である。
「ほら……こんなに」
「!」
俺が悩んでいる間に琥珀さんは服を脱ぎはじめてしまった。
「別にやましい事をしているわけではないんですから」
「そ、そうだね、うん」
出来る限り見ないよう、背後へと回る。
「せ、背中から……」
「志貴さん」
「な、なに?」
「優しくお願いしますね?」
「そ、そういう別の事を連想させるのは禁止っ!」
「おやおや何の事やら……」
くすくすと笑う琥珀さん。
「まったく……」
しかしこのほうが琥珀さんらしくていい。
「そういう事は元気になってからしましょうね」
「……敵わないよ、ほんと」
「ばーくしゃい! べーっくしょい!」
「志貴さん、いくらなんでもお約束過ぎると思うんですがー」
「しょ、しょうがないべくしっ!」
琥珀さんが治った後、それが当然の事のように俺がダウンしてしまった。
「安心してください。この琥珀が責任を持ってじっけ……いえ、看護してさしあげますっ!」
果たして俺は無事でいられるんだろうか。
「……や、優しくお願いします」
不安からそうお願いすると琥珀さんは笑って答えた。
「気が早いですよ志貴さん。そういうのは元気になってからって言ったじゃないですかー」
ほんとにこの人はもう。
「でもどうしてもっていうのなら……うふふふふ」
まったくもってけしからん。
完