退屈な午後を過ごしていた俺に琥珀さんがそんな事を言ってきた。
「ん、なにするの?」
「バカップルごっこです」
思わずひっくり返りそうになった。
「バ……バカップルって」
「楽しいですよ〜? バカップル」
「琥珀さんとバカップル」
「……それは一体何がどういう風に楽しいのかな」
さすがは琥珀さん。発想が並外れている。
「ええ。『ああ、俺こんなバカな事やってるなあ』と認識できることが楽しいです」
「意味がわからないんだけど」
「志貴さんだって覚えがあるでしょう? 仲間みんなでバカな事やったことくらい」
「……む」
確かにそれはある。
有彦を含めた男の友人たちで声の枯れるまでカラオケで絶叫したり。
真夏に耐久我慢大会を開催してコタツの中で鍋焼きうどんを食べたり。
「なるほど」
確かにバカな事ばかりだが楽しかった。
「その理屈でいくと、既にバカとついているバカップルはやっていて楽しいものじゃないのかなと思いまして」
「うーむ」
世の中にはたくさんバカップルがいるって話だけど。
やはりそれは楽しいからなんだろうか。
「……俺はバカップルになった事がないからよくわからないな」
そもそもそれはなろうとしてなれるものなんだろうか。
「だからこそです。ごっこ遊びでそれを体験しようという試みなのですよー」
「うーん……」
「とにかくやってみましょうっ。さあさあっ」
「え、あ、う、うん……」
「それでこそ志貴さんですっ」
半ば押し切られる形でバカップルごっこをやる事になってしまった。
「では、スタートっ」
「……うん」
お互いに沈黙。
「や、こういう場合男性のほうから何かするべきじゃないんですか?」
「……何かと言われても」
バカップルとはどんな事をすればいいんだろうか。
「取りあえず何か話しかけてみて下さい」
「え、えーと、今日はいい天気だね」
「そうですねー。でも、志貴さんの笑顔のほうがもっと素敵ですよー」
「……なんか違わない? それ?」
多分それは男側がやって初めて成立する会話のような気がする。
「じゃあ逆にしてみましょうか?」
「え、あ、うん」
ごほんごほんと咳払いをする琥珀さん。
「今日はいい天気ですねー」
「そうだね。でも、琥珀さんの笑顔のほうがもっと素敵だよ」
「あはっ。ありがとうございますー」
「……」
「どうしました?」
「いや……」
なんていうか、滅茶苦茶に恥ずかしい。
琥珀さんが言っていたセリフをそのまま俺が言っただけだというのに。
「ささ、続けてください志貴さん」
「え。えーと、こんないい天気の日はどこかに行きたいなあ」
「そうですねー。どこがいいでしょうか? 遊園地? それともお買い物ですか?」
「……あ、で、でも金が無いんだ……」
言ってから自分の間抜けさに気がついてしまった。
普段の生活費ですら苦労しているのにどこかに出かけられるはずないじゃないか。
「大丈夫ですよ。だって志貴さんと一緒だったらどこでも楽しいですもん」
にこりと笑う琥珀さん。
「うわ……」
顔の温度が滅茶苦茶上がるのを感じた。
「どうしました?」
「え、え、うん、いや、別に……」
琥珀さんはいつも通りにこにこしている。
「……」
これはあくまでごっこなんだ。
そう割り切ってやろう。
そうじゃないとどうにかなってしまいそうである。
「そうだね。俺も琥珀さんと一緒ならどこでもいいよ」
セリフをオウム返しにする俺。
「そうですかー。なら屋敷の中でも十分ですねー」
「まあ……うん、そうだね」
「ただ、お出かけならではの醍醐味がないのはちょっと残念ですが」
「お出かけの醍醐味?」
「はい。二人仲良く手をつないで歩いたりとかですね」
「あー」
なるほど、バカップルはそういうことをよくやってるっていうしな。
「じゃあ琥珀さんの部屋にでも行こうか? 手繋いで」
「え? ほんとですか?」
「ああ……でも秋葉に見つかったらまずいかな」
「大丈夫ですよ。見せ付けてやりましょうっ」
「そ、そう?」
自分で言っておいてなんだけど、あまりその案には気乗りしなかった。
「で、でもさ、こう部屋の中だからこそ出来る事ってないかな?」
「部屋の中だからこそ……ですか?」
「う、うん、例えば……」
部屋の中を見回してみる。
「……」
真っ先に目に入ったのがベッド。
しかも琥珀さんも同じものを見ていた。
「や、やっぱり外に行こう、うん、外が一番だよっ」
「あ、そうですか? 残念ですねー」
「と……とにかく行くのっ」
勢いに任せて琥珀さんの手を掴む。
「あっ……」
「ん?」
「い、いや、なんでもありませんよ?」
「……そう?」
なんか一瞬妙な反応があったような。
気のせいだろうか。
「ささ、わたしの部屋まで仲良くまいりましょう〜」
「あ、うん」
琥珀さんの歩調に合わせてゆっくりと歩いていく。
「どうですか? 志貴さん」
「どうって言われても……」
さすがに手を繋いだくらいでドキドキする年じゃないのだが。
「……やっぱり緊張するかな」
別に何があるわけじゃないけれど。
「そうみたいですね。志貴さんの手、すごく熱いですもん」
「そ、そう?」
俺の手には琥珀さんの手の体温が伝わってきていた。
それと比べると、大差ないような感じなんだけど。
「おーててー、つーないでーってやつですね」
「……それはバカップルと違う気がする」
「あはっ。バカップルならもっと密着するべきですか?」
琥珀さんはそう言ってずずいと身を寄せてきた。
「いや、ちょっと歩きづらいんですけど?」
「そこがまたいいんですよー」
とか言いながら腕を絡めてくる。
「……」
うん、確かに今の状態を見られたらバカップルだと言われるかもしれない。
翡翠や秋葉に見つからなきゃいいけど。
別の意味でドキドキである。
「実際、外でこうやってる人たちいますけれど、恥ずかしくないんでしょうかね?」
「……どうなんだろうなあ」
慣れればなんてことないのかもしれないけれど。
「やっぱり恥ずかしい事は恥ずかしいと思うよ?」
「でも色んな人がやってますよね?」
「それはさっき琥珀さんが言ってたじゃないか。『ああ、俺こんなバカな事やってるなあ』って認識できることが楽しいって」
「ええ……言いましたけど」
「それに加えて……『恥ずかしいけど、幸せ』って認識できるのがいいんじゃないかな」
だからバカップルはいなくならないんだろう。
幸せが嫌な人間なんているはずないからな。
「……なるほど」
珍しく琥珀さんが俺の意見に感心していた。
「志貴さんもたまにはマトモな事をおっしゃるんですねー」
「たまには余計だよ」
そもそもあんまりマトモな事を言ってない気もする。
「……っと。到着してしましましたね」
「あ、ほんとだ」
などと下らない事を話していたら琥珀さんの部屋に辿り付いていた。
「あっという間でしたね」
「屋敷の中だからね」
いくら遠野家が広いったってそんなに時間のかかる距離ではないのだ。
「あはっ。楽しかったですよ志貴さん」
「いや、こちらこそ」
途中からはそれなりに楽しんでいた気がする。
「ではでは〜」
「あ、うん、じゃあ」
ぱたん。
「……変だな」
琥珀さんにしては、変なオチもなく、えっちな方向にも走らずと、意外な展開であった。
「まあ期待しているわけじゃないんだからいいけど……」
たまには平和に終わるのもいいだろう。
「ん?」
ふと下を見ると琥珀さんのものらしき扇子が落ちていた。
「……どこに隠し持ってたんだろう」
とまあそんな疑問はさておき。
「琥珀さーん。なんか落ちてたよ」
扇子を拾ってドアを開けた。
「きゃーっ! きゃーっ! 志貴さんとラブラブっ。たまりませんね〜っ! 一生の思い出にしましょうっ」
だんだんだんだん。
「あの志貴さんがわたしに向かってあんな恥ずかしいセリフを……わたしもつい乗っちゃってあんな……きゃーっ、きゃーっ!」
じたばたじたばた。
「これはいいですねー。ネタにして何度もやりましょうっ。次回は音声もしっかり録音して夜に……うふふふふ」
ごろごろごろごろ。
「……あ」
「……」
そして二人の目が合った瞬間、時が止まった。
終われ