休日の昼下がり。
布団に入ってうとうとしていると、琥珀さんの声が聞こえた。
「なにー」
布団から出る。
「あ。いらっしゃいましたね」
「……う」
琥珀さんの顔を見た瞬間、背筋がぞくぞくした。
彼女が何かとんでもない事を言い出す予兆だろうか。
どうする?
たたかう
まほう
どうぐ
にげる
「じゃ、俺用事を思い出したから」
琥珀さんが何か言い出す前に逃げる。これに限る。
また暇つぶしに使われたんじゃたまらないからな。
「わたし、今日は忙しいので部屋には来ないで下さいね」
「へ?」
だが琥珀さんの言葉は予想外のものであった。
「ではではー」
ばたん。
言いたい事だけ言って去ってしまう琥珀さん。
「何だったんだ?」
まったくもって不可解な行動である。
「……絶対に罠だな」
わざわざ自分からそんな事を言いに来るってのはいかにも怪しい。
それとも珍しく俺を巻き込まないようにと気を遣ってくれたのだろうか。
「そんなわけないよな」
そんな事をしたら雪が降るって。
自分の考えに苦笑いしつつ窓の外を見る。
「……マジかよ」
窓の外では雪が降っていた。
「コタツでみかん」
「こ、こはくさーん?」
部屋のドアをノックする俺。
「なんですかー? わたし今忙しいんですよー」
すぐに琥珀さんが現れた。
「……その格好……」
琥珀さんはいつもの着物姿に半纏を重ね着していた。
「あ、これですか? 寒かったんでちょっと奥から引っ張り出してきました」
「そ、そうなんだ」
遠野家の廊下は滅茶苦茶に寒い。
経費節減云々という秋葉お嬢さまの一言で、暖房をまったく付けさせて貰えないからだ。
もちろん主要な部屋には暖房器具は置かれているのだが。
俺の部屋の電気ストーブは、灯油が完全に尽きて給油ランプが点灯していたのである。
道理で布団を出た瞬間から寒かったわけだ。
「あの……さ。琥珀さん」
「なんでしょう?」
「部屋に入れて欲しいんだけど」
「あらら。珍しいですねー。志貴さんのほうからそんな事をおっしゃるなんてー」
意地悪く笑う琥珀さん。
「勘弁してくれよ」
さっき部屋に来た琥珀さんがストーブの給油ランプに気付かなかったはずがないのだ。
「あはっ。ごめんなさいね。どうぞ」
後ろに下がって俺を招き入れてくれる。
「ありがとう」
琥珀さんの部屋には大きなコタツが置かれていた。
「……あ」
そしてそこには翡翠の姿も。
「ど、どうも」
ぺこりと会釈する翡翠。
琥珀さんとお揃いの半纏を着ているのがやたら可愛く見えた。
「寒いからなぁ」
やっぱり寒い時はコタツに限る。
「よっと」
翡翠から向かって右側へ入る。
「ひゃっ?」
「あ、ご、ごめん」
翡翠の足に俺の足が当たってしまった。
冷たい状態だったから相当驚いただろう。
「志貴さーん。翡翠ちゃんをいじめちゃ駄目ですよー」
琥珀さんもコタツに入ってくる。
「そ、そんなつもりはなかったんだけど」
ぐい。
琥珀さんの足が上に乗っかってきた。
「うわ、冷たいですね」
「……布団に入ってた時はよかったんだけどね」
ちょっと歩いている間に冷えてしまったのだ。
「暖めて上げますよー」
「踏んで暖められるのは微妙なんだけど」
「そういうのが嬉しい人もいるんですよ?」
「……そういう特殊な層の話をされても困るって」
などと話しているうちに足はすっかり温かくなっていた。
「雪、止みませんねぇ」
「だねぇ」
しんしんと降り積もる白い雪。
「雪なら琥珀さんは外で雪合戦しませんかーとか言ってくるかと思ったよ」
そして卑……もとい、知略で俺を追い詰めてくるのだ。
「もう外ではしゃぐ年ではありませんよー。そういう役目は他の方にお任せします」
「雪かきをしていると雪が好きでなくなってしまいますね」
翡翠がそんな事を言った。
「……もしかして雪が降るイコール雪かき?」
「もちろん業者の方に頼みますけれどね。細かいところは指示しなくてはいけませんし」
「大変なんだなぁ」
子供の頃は雪イコール楽しいものだったのだが。
大人になると色々複雑な事情が絡んできてしまう。
「わたしはそれでも雪はキライじゃないですけど」
「そうなの?」
「はい。なんと言っても綺麗ですしね」
にこりと笑う琥珀さん。
「ちなみに裏に行けば姉さんがはしゃいでいた跡が見られます」
「ひ、翡翠ちゃん……」
なんだ、もう堪能済みだったのか。
遊んだ後じゃ俺をさそう気にはならないわけだ。
「ご、誤解しないで下さいね。翡翠ちゃんと雪合戦をしていただけですよ?」
姉妹で雪合戦か。
ほのぼのした光景だな。
「姉さんはわたしの投げた雪玉をホウキで打ち返すんです。邪道だと思いませんか?」
「だって翡翠ちゃんの御奉仕推奨波が凶悪なんだもん」
「あ、あはは……」
もしその場に俺がいたら奇妙な光景と反れた玉の被害を受けていたことだろう。
「でも俺もやりたかったな」
雪というものは人を馬鹿に……というか野生に帰らせる効果があると思う。
積もっている雪を見ると全身でダイブしたくなる衝動を感じた人間は多いのではないだろうか。
「それはコタツから出られたらですね」
「……あはは」
一度入ったコタツから出る。
それは冬の難題のひとつである。
「無理だなあ」
この温かさとまったり具合。
「ですよねぇ」
手放すなんて真似が出来るわけがなかった。
「はぁ……」
特に何をするわけでもなくまったりと時間が過ぎていく。
「みかんでも食べますか?」
「いいね」
ひょいと後ろからみかんの入った袋を取り出す琥珀さん。
「頂きます」
「皮をむいてさしあげましょうかー?」
「い、いいよ子供じゃないんだから」
「うふふふふ」
このみかんを食べるという行為は些細な事ではあるが、人ごとに特徴のあるものだと思う。
「……」
マンガに出てくるみたいに綺麗な剥き方をしている翡翠。
「……ぬう」
綺麗に剥こうとして失敗し、滅茶苦茶な剥き方になってしまう俺。
「志貴さん散らかしちゃ駄目ですよー」
「ちゃんと隅っこに集めてるでしょ」
琥珀さんは剥いたみかんについている白い糸みたいなものを丁寧に取っていた。
「それって取る人と取らない人で分かれるよね」
俺は面倒だから取らないで食べちゃうほうなんだけど。
「取ったほうが美味しいですもん」
取る人曰くの主張は大抵そうだ。
「まあなんでもいいけど」
その取った白い糸すら綺麗にまとめている翡翠はツワモノだと思う。
「はぁ……」
コタツでみかんを食べながらまったりと。
心地よい時間が過ぎていく。
「……」
翡翠が目を閉じて舟を漕いでいた。
「いつも頑張ってるからなあ」
コタツでうたた寝というのは最高峰の娯楽の一つだと思う。
「琥珀さん、翡翠を起こさないようにね」
そんな無粋な真似をするわけがないと思うけど。
「……琥珀さん?」
見るとそこにいたはずの琥珀さんの姿がない。
さっきまでいたはずなのに。
「……あ」
ちょっと体を動かして覗いてみるとすぐにわかった。
琥珀さんは横に寝転がってすやすやと寝息を立てていたのだ。
「猫はコタツで丸くなる、か……」
俺もそれに習って寝転がることにした。
「はぁ……」
ふわふわと温かい空気が俺を包み込む。
こう言ったら大げさかもしれないけれど。
幸せってのはこういう状態なんじゃないかなあと俺は思うのだった。
完