兄さんはそんなんじゃないよと否定していたけれど。
男と女が遊園地に行くというのはデート以外の何者でもない。
普段は兄さんをたしなめる私だけど。
この日ばかりははしゃいでしまった。
「秋葉があんなにはしゃいでるの初めてみたかも」
なんて兄さんに言われるくらいに。
「たまにはいいじゃないですか」
と言い返すと兄さんはそうだなと言って笑ってくれた。
これがもし物語であったならば。
夜のイリミネーションをバックにしてキスをして、めでたしめでたしとなっただろう。
いえ、キスはしたんですけれども。
現実世界はそこで終わるわけがないのである。
遊園地に来たからには、帰らなくてはいけないのだ。
「満員電車の中で」
「秋葉……大丈夫か?」
兄さんが尋ねてくる。
「一体……一体なんなんですかこれはっ!」
当たるのは筋違いだとわかっているのだけれど、私はつい兄さんに怒鳴ってしまった。
「そんな事言ったって……しょうがないだろ? こんなもんなんだって」
がたんごとん、がたんごとん。
振動に合わせて体が揺れる。
そして、私の周囲にいる人たちが肌を密着させてくる。
乗車率はおよそ150%とでもいったところだろうか。
「だから電車で行くのは反対だったんです!」
「そんな事言われてもなあ」
電車で行こうというのはもちろん兄さんの提案だった。
私はあまり人ごみは好きじゃない。
だから車で行きましょうと言ったのだけれど。
「だってさ……それ、運転手が必要ってことだろ? それじゃ二人だけでって事にならないじゃないか」
なんて妙にもっともな事を言うのでつい承諾してしまったのだ。
兄さんはどうせいつものように考えもなく言っただけだったろうに。
ああもう、私もまだまだ甘い。
「行きは空いてたじゃないか」
「行きは良くても帰りがこれじゃ無意味ですよっ!」
そう。行く時はこれからの事が楽しみで、周りの人間なんてほとんど気にならなかったし。
そもそも今みたいに混雑していなかった。
「秋葉があっちも行きたいこっちも行きたいっていうからだろ?」
「そ……それは、つい」
何度も言うけど私は兄さんと遊園地ということで浮かれていたのだ。
せっかく兄さんと二人きりなのだからと、ほとんど全てのアトラクションを制覇してしまった。
……してしまったら、こんな時間になってしまったわけで。
「だから諦めろ」
「……うう」
兄さんの癖にいちいち言う事がまともだ。
がたんごとん、がたんごとん。
『まもなく〜』
次の駅を知らせるアナウンスが流れる。
最初の頃は、これで少しは混雑が解消されるかなと安易な考えでいた。
しかし。
プシュー。
電車が停車しても、誰も降りやしない。
それどころか、さらに乗員は増えるばかりだ。
「な、なんでみんなこんなに乗ってくるんですか……っ!」
「そりゃ駅に電車が来たら乗るさ。みんな早く帰りたいんだから」
「〜〜〜〜!」
ああもう、数時間前の私!
なんでもっと早く帰らなかったの!
「兄さん! ちゃんと私を守ってくださいね! 痴漢などされたらたまりません!」
苛立ちをぶつけるように兄さんにまた叫ぶ。
「……ってもこの状況じゃなあ」
兄さんは私の体を覆うように正面に立っていた。
しかし、後と左右までは庇いきれず、他の乗客が密着してくる形になってしまっているのだ。
がたん。
電車が大きく揺れた。
「あ〜れ〜っ!」
「……きゃあっっ?」
見知らぬおばさんが私に寄りかかってくる。
「あーらごめんなさいねぇ」
「……っ」
物凄く化粧臭かった。
「ああもう……早く帰りたい……」
だいたいこの電車はちっとも進んでいる気がしない。
本当にスピードを出しているんだろうか?
「まあまあ落ち着けって秋葉。次でちょっとは空くだろうから」
「次で?」
『まもなく〜』
アナウンスが入り、駅へと到着する。
「え……?」
兄さんのいう通り、その駅で一気に人が外へ出ていった。
「それ、今のうちに」
「え? え?」
兄さんが私を乗車口のすぐ傍に立たせる。
乗車口と椅子の僅かな間のスペースに入り込んだ形だ。
「横見てな」
「横……」
横というのはつまり乗車口。
どどどどどどどど!
「……うわ」
思わず声が出てしまった。
さっき出ていった人たちと同じくらい。
いえ、それ以上に人がなだれ込んできたのだ。
「ここは他の駅との乗り換えが出来るんだよ。だから人が降りるし、乗ってくる」
「そうなんですか……」
「ここは有名な駅だぞ。いくらなんでも一般常識だから覚えておけ」
「……兄さんにそんな事を言われるとは思いませんでした」
と言っても、私が電車についてとことん常識が足りない事は痛感していた。
まず電車に乗ったら絶対に椅子に座れるものだとばかり思っていたし。
乗り換えって何? 目的地まで一直線じゃないの? ってくらいだった。
これは前日に琥珀に話したら大爆笑されたんだけど。
兄さんに聞く前で本当に良かった。
「しかし何故この位置に私を?」
「後ろと横が安全だろう」
「……あ」
言われてみれば確かに。
しかも背中を壁に寄りかからせる事が出来るので、かなり楽になった。
「前も俺がカバーすれば安全だし」
にこりと笑う兄さん。
「あ、ありがとうございます」
なんだかんだで私の事を気遣ってくれていたのか。
嬉しかった。
「……いや、逆に痴漢をボコボコにしたらそれもまた問題になりそうだから」
「兄さん、灰になりたいんですか?」
「すいません嘘ですごめんなさい」
ああもう肝心なところで駄目なんだからっ!
がたんごとん、がたんごとん。
「でさ。有彦のやつがさ……」
「へえ、そうなんですか」
私と兄さんは下らない雑談をしていた。
ううん、正確に言えば兄さんが話しているのに私がただ相槌を打っていた。
多分兄さんは私が楽な姿勢になったから話かけてくるんだろうけど。
その兄さんの姿勢がまずい。
片方の手で手すりを握り、もう片方の手を壁に当てている。
簡潔に言おう。
つまり、私に押しかかるような姿勢なわけだ。
「おっと」
電車が揺れると兄さんは私に密着してくる。
「ご、ごめん秋葉」
顔と顔の間が数センチもない距離。
「いえ……」
なんだか兄さんに迫られているようでドキドキした。
普段消極的な兄さんだけに、尚更である。
「もうすぐ着くからな」
「……そうですか」
それはそれでなんだか残念な気さえしてきてしまった。
『まもなく〜』
「お。次だ。降りるぞ」
「はい」
そんなこんなで私たちは電車を降りた。
最初は嫌で嫌でしょうがなかった満員電車だけど。
兄さんと一緒に乗るなら、まあいいかな……なんて。
いけない、なんだかバカップルみたいな思考になってしまっている。
「どうだ秋葉? 電車もいいだろ? たまには」
相変わらず空気の読めない兄さんがそんな事を尋ねてきた。
私は当然のごとく答えた。
「満員電車なんて懲り懲りです! もう金輪際兄さんとは乗りませんからね!」
完
ちなみに志貴は半分確信犯だと思われます(爆