もはやお馴染みになりつつある琥珀さんのセリフに俺は苦笑いしていた。
「いえ、ネタはあるんですけどね?」
「じゃあいいじゃないか」
俺にとってはよくないんだけど。
「今日は眠いんだ。悪いけどそっとしておいてくれないかな」
「寝不足なんですか?」
「かも」
ベッドに転がる俺。
「眠い時は寝るのが一番ですよ」
「うん」
そういうわけだ、さっさと寝よう、そうしよう。
「眠れない日」
「……部屋に帰っていいからね?」
「いえ、せっかくなので眠るまで見守っていてあげようかとー」
「……」
やっぱりこの人をなんとかしなくてはいけないのか。
「はぁ……」
考えのまとまらない眠い頭でこの人の相手をするのは至難の技だ。
気付いたら眠ってしまっているかもしれない。
まあそれはそれでいいだろう。
俺の目的は寝る事なんだから。
「えーと……」
「ああ、いえですからわたしの事など気になさらずに眠ってくださいな」
「……いや、ただ黙って傍にいられても困るんだけど」
「では何か話しましょうか?」
「それも困る」
「志貴さんワガママですねー」
「琥珀さんが部屋に帰ってくれればそれでいいから」
「むー。わかりました」
ひょいと立ち上がる琥珀さん。
いやに聞き分けがいい感じである。
「お邪魔して申し訳ありませんでしたー」
ばたんっ。
「少し怒らせちゃったかな?」
まあでもそれは仕方の無いことだろう。
今の俺にとって大事なのは睡眠の時間だ。
「おやすみなさい……」
瞳を閉じる。
どたんずでんばたんごろん。
「……」
ばたんずどんがたんどさどさどさっ。
「……ああもう」
これでもかってくらいの睡眠妨害。
琥珀さんもずいぶんと安直な手段で訴えてきたものである。
がたんごとんどたん。
「……ぬう」
しかしそのシンプルなものが効果的なのも確か。
ええい、負けてたまるか。
布団を頭から被って音を封じる。
どたんずでんばたんごろん。
「だあもうっ!」
布団を引っぺがす俺。
「琥珀さんっ!」
ドアを開ける。
「あ。おはようございます志貴さん」
ドアの前には普通に琥珀さんが立っていた。
「静かにしようね?」
むろん翡翠の姿なんかどこにもない。
一人二役なんて琥珀さんの得意技中の得意技だからな。
「音が気になりましたかー? ごめんなさいねー」
「一体何をやってたのさ」
「いえ別にー。うふふふふふふ……」
何だろうその怪しげな笑いは。
「琥珀さんもいい大人なんだからそんな事ばっかりしてないで……ね?」
自分で言っておいてなんだが、まるっきり子供をあやすような言い方である。
もしくはアルクェイドでもいいけど。
「志貴さんにそんな心配されなくたって平気ですよー」
琥珀さんはそう言ってすたすたと去っていってしまった。
「……何なんだ?」
さっぱりわけがわからない。
「……今日、なんかあったっけ?」
ベッドの上で俺は考え事をしていた。
実は琥珀さんの誕生日でしたとか。
「いやないし」
今日はいたって平日だし、何か特別なことがあったわけでもない。
「……はっ!」
こんな事をしていたら眠れないじゃないか。
「俺は寝るんだ……」
琥珀さんの怪しい行動なんていつものことだ。気にする必要なんか何もない。
「……」
それにしたって今日は特に怪しいような?
「いやいや」
気にしたら負けだ。負けなんだ。
「寝ると決めたら寝る!」
優柔不断だからつけこまれてしまうのである。
たまには自分の主張を押し切るくらいでないと。
「だあっ!」
しばらくして布団を跳ね除けた俺。
「いかん、全然眠れない……」
変に眠ろうと意識するからいけないのだろうか。
「それに……」
やっぱり琥珀さんの事が気になる。
妨害工作もたったの一度きりだった。
琥珀さんにしては諦めが早すぎる。
ネタがあると言っていたのに結局触れもしなかった。
「何かあるよな……」
この時点でもう琥珀さんの策にはまってるんだ……とか考えるのは止めた。
とにかくはっきりと聞こう。
琥珀さんは何がしたいのかと。
ネタの話がしたいならそれにある程度は付き合うし、それ以外の事だったら別に何でも構わない。
「よし……」
琥珀さんの部屋に行こう。
こんこんっ。
「琥珀さーん」
返事が無い。
「……おかしいな」
ドアを開けてみても誰かがいる気配もなかった。
「探すといないんだよなあ」
探してない時は向こうから寄ってくるのに。
「よし」
じゃあ探すのを止めようか。
「……いやいや」
それじゃ本末転倒である。
「琥珀さんがいそうなところといえば……」
台所だろうか。
「はぁ……」
ビンゴ。
台所にはため息をついている琥珀さんがいた。
「難しいですねぇー」
「何が難しいの?」
「……あ」
俺の姿を見てわたわたと妙に慌てた動きをする琥珀さん。
「あ、いえ、その、特に何がというわけではないのですが」
「ん?」
琥珀さんの後ろには小さなお皿と、そのお皿一杯に並べられたクッキーがあった。
「それは?」
「……ええ、ちょっと作ってみたんですけど」
「そうなんだ」
「食べます?」
「うん」
さっそくそのひとつを口に運ぶ。
「うん。美味いよ」
「あはっ。ありがとうございます」
「で、何が難しいのかな」
「あー、それは聞かなかった事にして頂けるとー」
渋い顔をしている琥珀さん。
「そう? 言い辛い事なら別にいいけど」
何か悩み事があったからネタに走る余裕もなかったのかな。
「でも、俺で力になれるんだったらいつでも相談してよ」
「……あははははは」
俺がそう言うと琥珀さんはますます苦笑いをした。
「ネタはいいんですけどね」
そうして大きくため息をつく。
「うん」
「タイミングが難しいなあって」
「俺のタイミングなんかいつも構ってないじゃないか」
「そんな事はありませんよ。志貴さんが乗り気になるように心がけてますし、ホントにイヤそうだったら止めますから」
「……ひょっとして今日あっさり撤退したのは?」
「ええ。志貴さんが嫌がっていたからです。ただ本気で何もしないと志貴さんは怪しむでしょうし。騒音の件はその埋め合わせみたいなものです」
「琥珀さんを怪しむのは日頃の行いのせいだよ」
「……あははははは……ごめんなさい」
琥珀さんはひとしきり笑った後にぺこりと頭を下げた。
「前も言った気がするけど、ネタなんかなくてもいいの。普通に接してくれればそれで」
「そう思うんですけどね。志貴さん自身が既にもうネタの塊なわけでして」
「嫌な事言うなぁ」
俺のどこがネタにまみれてるっていうんだ。
「例えばそのクッキーですけど」
「うん」
「あるものが入ってるんですよ」
「え? 何か怪しいもの?」
別に違和感は感じなかったんだけどなあ。
「だから渡すのを止めたんですけど」
「なにが入ってるの?」
「カフェインです」
「カフェイン?」
それってまさか。
「つまりまあ、眠りにくくなるっていうアレでして……」
「……なんでそんなものを?」
「今日はコーヒーのネタをやるつもりだったんですけどね。その前振りで使おうかと」
「……」
しかし俺は琥珀さんに眠いと言った。
だから気を遣ってコーヒーのネタをやる事を止めた。
「……えっと」
なんだかギンギンに目が冴えてきた気がする。
「もしかしてこれって自爆?」
「もーしかしなくてもそうですねー」
「……はは、ははははは」
なんて……無様。
「やっぱり志貴さんはネタに付き合わなくてはいけない運命なんですよ」
「……ああもう、しょうがないなあっ!」
その後全く眠れなかった俺は琥珀さんのネタ100連発とひたすら付き合うことになったのであった。
完