俺は都合よく電話のすぐ傍にいたのでさっそくダイヤルを回した。
「もしもし? スタッフサービスですか? ちょっとうちの家政婦さんがおかしくなっちゃったんですけど」
「うわ。志貴さんウィットに飛んだ軽いジョークなんですからもっと楽しい反応してくださいよ〜」
残念な事に琥珀さんの手によってスタッフサービスへの電話は切られてしまった。
「……なに、志貴チャマって」
聞いただけで頭痛がするような呼び方だが。
「いえ、最近マンネリ気味なんでちょっと呼び方を変えてみて新鮮さを見出そうかと」
また琥珀さんは下らない事を始めだしたようだ。
「つまり第三次遠野家ネタ会議ってやつですね。盛り上がる事請け合いですよ〜」
「……」
俺は無言でもう一度スタッフサービスに電話をかけるのであった。
「第三次遠野家ネタ会議」
「あん、だからそんな野暮なことはなさらないでくださいって。人生楽しく生きなきゃ損いたしますよ?」
また電話を切られてしまう。
「……でも呼び方変えたって結局マンネリになるだけだよ」
しょうがないので俺は琥珀さんの策の盲点をつくことにした。
「といいますと?」
「仮に俺の事を志貴チャマとか志貴上さまとか志貴たまとか呼んだって、何度か聞いてるうちに普通になっちまうもんだ」
「そうですかね? 翡翠ちゃんに『お兄ちゃん』とか言われたら素敵じゃないですか?」
「……いいよ別にいつも通りで」
確かにそれはちょっとドキリとくるものがあるだろうけど。
「実際わたしと志貴たまが結婚したら志貴ちゃまは翡翠ちゃんのお兄さまになるわけですしー」
「……いや、ややこしくなるからひとつの会話では呼び方統一したほうがいいと思うけど」
「ツッコミどころ違くありません? 志貴君さま」
「わかってるけど突っ込みたくないんだ」
「なるほどチェキほど」
「……いや、意味わかんないから」
琥珀さん何か変な本かゲームでもやったんだろうか。
「ああ。わたしいいこと思いつきましたチェキよ」
しかもどうやらチェキが気に入ってしまったようであった。
「何いいことって」
俺にとってはいいことじゃないことは間違いないと思うが。
「秋葉さまが兄やとか兄君とか兄ぃとか呼び出したら……素敵なシスプリの世界ですよっ?」
「いや、そんな無理して妹ゲーにしなくていいから」
秋葉が進んでそんなこと言い出すわけがないし。
「この家には秋葉と翡翠の二人しか妹はいないんだからさ」
「二人もいれば十分ですって。姉なんかわたし一人しかいないんですよっ?」
「そんなこと言ったら男は俺一人じゃないか」
「……ええ。こんなハーレム状態なのに嬉しそうじゃない志貴さんが不思議でなりません」
「……」
そりゃまあ周りにいる人がこんな個性豊かな人ばっかりじゃなあ。
「仕方ありませんねー。志貴さんに妹属性はないんでしょうか?」
「いや、妹云々とかじゃなくて、妙な呼ばれ方されてもときめいたりはしないから」
「志貴さまぁん」
「はたくよ?」
「あん、志貴たまいじわるです」
俺はもう琥珀さんが妙な呼び方をしても何も感じなくなっていた。
慣れってのは恐ろしいものなのである。
まあ世の中にはわかっていても嫌なこととか嬉しい事とかもあるわけだけど。
「このネタはもう終わりにしたほうがいいんじゃないかな。エッセンスにはなるかもしれないけどメインにはなり得ないよ」
「うーん。そうですねー。サポートにはなりますがメインにはなり得ませんか……」
琥珀さんはとても残念そうだった。
「逆に俺が琥珀さんの呼び方を変えてみようか」
あんまりにも気の毒なのでもう少し付き合って見ることにした。
このへんが琥珀さんを調子に乗らせちゃう原因なんだよなぁ。
「ほうほう。それは興味ありますねー」
案の定琥珀さんは顔を輝かせていた。
「例えば……」
だが俺はちゃんとカウンターを用意してあったのである。
それはさっきちょっと触れたけど、わかっていても嫌な事。
「こ、琥珀たんハァハァ」
ずざざざざっ!
琥珀さんがものすごい勢いで後ずさりした。
かくいう俺も自分で言ってて寒気がしたくらいである。
「し……志貴さん。それは本気で勘弁してください。お願いします」
「うん……正直後悔した」
世の中にはどうしても受け付けないものがあるものだ。
ネタで言ってもこんなにイヤなんだから本家の人(?)が琥珀さんにそんな事を言ったら恐ろしい事になるだろう。
「志貴さん。それは断じて翡翠ちゃんに言っちゃ駄目ですからね? 卒倒されちゃいますよ」
「うん。他の人には絶対言わない」
「でも今のでわかりました。変な呼び方をすることは滅びへと繋がるということが。わたしも二度と志貴さんを変な呼び方で呼ばないと誓うチェキよ」
「……ならチェキも止めようよ」
「あはっ。これはチェキっと気にいってしまったものでー」
しかも使用法が意味不明である。
原作でもそうなんだろうか。
「まあそれならそれでいいさ。俺も対抗して変な口癖を使うことにする」
「う……それは抵抗がありますが……果たしてそんな急に口癖が思いつきますかね?」
「う、うーん」
そう言われてしまうとなかなか思いつかないものだ。
「こ、琥珀さんはいつも悪巧みしすぎなんだポヨーン」
かろうじて出てきたのはなんともお粗末きわまるものであった。
「あ、あはははははっ、志貴さん、それは冗談ですよね? 本気じゃないですよねっ?」
腹を抱えて笑う琥珀さん。
「そ、そうだよ。冗談に決まってるじゃないか、はは、ははははは」
まさか本気で考えたなんて言えそうになかった。
「とにかく、琥珀さんも変な口癖でしゃべるの止めてよ。琥珀さんは琥珀さんでもう十分魅力的なんだから余計な要素はいらないよ」
「あらら、それは愛の告白だと解釈して宜しいんでしょうか?」
「いや、そういう要素は粉微塵もないから」
「照れなくてもいいんですよー? ……ってこれじゃ電波キャラみたいだからこのへんで止めて起きますけど」
いや、普段から十分電波キャラだから……とは言うまい。
「要するに普通が一番ってこと。何度も言ってるでしょ」
毎度琥珀さんが変な事をするたびに言ってるけど、普通が一番なのだ。
平和に生活できればこれほど素晴らしいことはない。
「でもー……」
「じゃないとまた例の呼び方するからね」
「えっ」
一瞬で青ざめる琥珀さん。
お灸を据える意味でもあれをもう一度言っておいたほうがよさそうだ。
「こんなところにおられましたか志貴さま。秋葉さまがお呼びに……」
「こ……琥珀たんハァハァ」
「……なられ……」
俺が琥珀さんの背後にいる翡翠に気づいたのは言い終えた後だった。
「し、志貴さまが変態です」
「翡翠ちゃん、それはあってるけど間違ってる表現の気がするなー」
いかん、琥珀さんに絶好の餌を与えてしまったじゃないか。
「今すぐ秋葉さまに志貴さまを正常に戻していただきますっ」
「ちょ、待って翡翠っ! 俺はまともだからっ!」
「さっきは翡翠たんハァハァとか言ってたんだよー。気をつけてね翡翠ちゃん〜」
「イヤァアァァァッ!」
「ひ、翡翠ーっ!」
その後のてんやわんやについては俺は説明したくない。
ひとつ言える確かな事は……遠野家で『〜〜たんハァハァ』という言葉が聞かれる事はもう二度とないだろうということだけである。