「……ん?」
半開きになっていたドアから誰かの足音が聞こえてきた。
それはいやに軽い足取りであった。
そう、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のように。
「何かネタを仕入れてきたんだな」
その足音の主が誰だか悟った俺は用意しておいた色々と細工をしておいた。
「さてと」
そして俺自身はベッドの下に隠れる。
「志貴さんいらっしゃ……あれ?」
部屋に入ってきた琥珀さんは俺がいない事に戸惑っているようだった。
「第三次遠野家ネタ会議α」
「おかしいですね……いつもこの時間にはごろごろしてるはずなんですが」
ドアを閉めながらそんな事を呟く琥珀さん。
その通りである。
だいたいこの時間の俺はする事がなくてヒマな時間なのだ。
その退屈を満喫しているところに現れるのが琥珀さん。
そして俺はいつも琥珀さんの暇つぶしに突き合わされてしまう。
このままでは駄目だ。
やられてばかりじゃ琥珀さんを調子に乗らせるだけ。
だからこっちから仕掛けてみよう。
それが今回のコンセプトだ。
「……ふっふっふっふ」
今の俺はかつて有彦とやんちゃをしたガキ時代のテンションに戻っている。
神出鬼没、予測不能のこの俺が琥珀さんを逆に驚かせてやるのだ。
「窓も開けっぱなしで……」
俺が開いておいた窓に近づいていく琥珀さん。
「あれ」
どうやら気付いたようだ。
「これは……?」
琥珀さんの姿はほとんど見えないが、紙を掴んだ音が聞こえた。
「琥珀さんへ。俺はこの部屋の中にはいません。探さないで下さい……ですか」
文章を読み上げる。
我ながら実に胡散臭い文章である。
「こんな事をわざわざ書いておくってことは、この部屋のどこかに隠れている可能性が高いですね」
その通りだ。
俺はベッドの下に隠れている。
「えーと」
琥珀さんがベッドに近づいてきた時が最後。
手を伸ばして琥珀さんの足を掴むのだ。
俺の右手にはパーティーグッズのバケモノの手が装着されていた。
きっと琥珀さんは驚くぞ。
「ふっふっふ」
さあ、いつでも来い!
「タンスの中ですかねー」
ところが俺の予想に反して琥珀さんはいもしなさそうなところから探し出した。
「こんなところじゃ姿勢きついからいないですよね」
わざわざひとりごちる琥珀さん。
隠れている俺へのけん制のつもりだろう。
だがそんな誘いにはのらない。
勝負はベッドに近づいてきたときだ。
「カーテンの中にもいませんしー」
「……」
最も安易な隠れ先であるベッドの下を探さないのは琥珀さんの作戦なんだろうか。
単純過ぎて逆に盲点になっているとか。
「ふむ」
かつかつ。
「……来たっ」
いよいよ琥珀さんの足音が近づいてきた。
足もはっきりと見える。
狙いをすませて……
「ひょいと」
「……!」
琥珀さんの足が消えた。
ばふっ。
頭の上が揺れる。
「……しまった」
足を掴む前にベッドの上に乗られてしまった。
これじゃどうすることも出来ない。
「志貴さんほんとにどこかにいっちゃったんですかねー」
どうする俺。
降りてくるところを狙って仕掛けるか?
それともベッドの上だと下が見えないだろうからいきなり登場?
「……」
「……」
奇妙な沈黙。
どうしたんだろう。
琥珀さんが降りてくる気配がない。
ぎし……ぎし。
なのにベッドは揺れている。
上で何かしてるのか?
「……うん……」
しゃべっているようだが聞き取れない。
「……ん……はぁ……」
「……!」
違う。しゃべっているんじゃない。
これは、これはまさか……?
「……!」
思わず身を乗り出そうとしてしまったのを堪える。
これは罠だ。
琥珀さんが俺を誘い出そうと怪しげな息を吐いているだけ。
俺が出てきたところで「ひっかかりましたね志貴さん」という作戦なのだ。
そんなものに引っかかってたまるか。
「はぁ……志貴さぁん」
琥珀さんの艶っぽい声。
ま、負けるか。
「……ぅん……」
うおおおお。
そうだ、耳、耳を塞げば何も聞こえない!
「……」
……。
「無理だ……!」
耳を塞ぐと余計に琥珀さんの事が意識されてしまった。
「こんな事で……」
こんな事で遠野志貴が落ちるわけにはいかんのだ!
ぱさ。
「……?」
床に何かが落っこちてきた。
「……!」
それは、琥珀さんの脱いだ下……
「うおおおおおっ!」
俺はもう自分を止める事が出来なかった。
ものすごいスピードでほふく前進し、ベッドから這い出る。
「あはっ、やっぱりそこにいたんですねー」
「……!」
振り返るとそこには。
一糸乱れぬ衣服を纏った琥珀さんが座っていた。
「罠かっ……!」
あれだけ引っかかるまいと思っていたのに。
「沸き上がるせいしゅんのリピドーを押さえようったって無駄無駄ですよー」
「……ちぇ。やられたよ」
罠にはめるつもりが結局はめられてしまった。
「志貴さん、隠れるなら後ろを隠すなどの工夫をしなくては駄目ですよ。足の方から覗いたの、気付かなかったでしょう?
「……しまった」
反対側から覗かれてたのか。
「あとはもう出てくるように仕向けるだけです」
つまりあの艶かしい声と偽下着攻撃である。
「気付かないフリして出ていちゃっても面白かったんですが」
「……それはやだなあ」
俺は何のために隠れてたんだろうという気分になってしまう。
「志貴さんはいつもわたしに付き合ってくれますからね。そんな事はしませんよ」
「でも罠にはめ返すのはやるのね」
「志貴さんにしてやられたとあらば、琥珀の名が泣いてしまいます」
「くそう……」
俺が琥珀さんに勝てる日は来るんだろうか。
「次は負けないぞ」
そう言うと琥珀さんはおかしそうに笑った。
「あらら、次も何かなさってくれるんですか?」
「……あ」
そうだ、それこそ琥珀さんの思う壺じゃないか。
「もしかして八方ふさがり?」
「ですねー」
「……あははははは」
「うふふふふふ」
俺に平穏な日は戻ってこないんだろうか。
「……疲れたから寝てもいい?」
「ええ、どうぞ」
ばたりとベッドに倒れこむ。
「うふふふ」
琥珀さんは俺の隣に座ったままだった。
「帰らないの?」
俺は琥珀さんの罠に引っかかってしまったんだから、もう他にやる事はないはずなんだけど。
「うわ、酷いですね志貴さん」
琥珀さんは俺の背中をぺちんと叩いてそんな事を言った。
「……何が?」
「だって……ほら」
さっき投げた偽下着を指差す琥珀さん。
「あれ俺を引っ張り出すための罠でしょ?」
「いえ? ほんとに今の今まで履いてたやつですよ?」
「……なんだって?」
ってことはつまり?
「確かめてみます?」
琥珀さんは妖しく笑いながら帯に手をかけた。
「……ずるいよ琥珀さん」
こんな罠にはめられてしまったら。
琥珀さんを怒る事なんて出来なくなってしまう。
「実はおびき出すためのアレも、半分はホントで……きゃあっ?」
「がおー!」
「うふふ……もう、志貴さんってば」
こういう時だけは俺が琥珀さんより有利かもしれない。
前にもこんなオチだった気がしなくもないが。
「進歩ないね、俺たち」
「そこがまたいいんですよ」
つまりまあ、バカップルは同じ事を何度でも繰り返す……ということか。
まったくもって愚かな話である。
けど当人たちはそれが楽しいんだから実にタチが悪いのであった。