エイプリルフールというのは嘘をついてもいい日である。
そして騙されても騙されなくても、俺にとってエイプリルフールなんて憂鬱な日以外の何物でもないのである。
普段からネタの好きな人はもちろん、普段は生真面目な人でも冗談を言うから油断も出来やしない。
「志貴さん志貴さーん」
そしてネタ好きの最たる人物と言えば他に類を見ない人が俺の部屋のドアをノックしていた。
絶対騙されないぞ。
俺はそう決意して。
「どうぞ」
遠野家随一の策士、琥珀さんを部屋に招くのであった。
「遠野家ネタ会議α外伝」
四月一日の出来事
「志貴さん今日はエイプリルフールですねー」
「うん、そうだね」
普通エイプリルフールに嘘をつくときは今日がその日だと伝えず、嘘を相手が信じたところでネタばらしというのが定石だ。
いきなりその定石を破るとはさすが琥珀さん。やる事が違う。
「それで何の用? 俺をひっかけに来たの? 騙されるのは勘弁して欲しいんだけど」
「そんな警戒しないで下さいな。わたしはただ秋葉さまが呼んでいると知らせに来ただけですから」
「嘘だ」
「うわ、いくらなんでも疑心暗鬼すぎですよ志貴さん。いくらなんでもここで嘘をついては話が進まないではないですか」
「……翡翠を呼んでくれ。翡翠に確認する」
「わたしの信用度ってそんなに低いんですね……ちょっと泣けてなってきますよ」
そう言ってよよよと泣き崩れる仕草をする琥珀さん。
「懐から目薬を出すならせめてもっとこっそりやってください」
「……あはっ、さすがに手ごわいですね」
「毎度騙されてるから」
普段騙されるのはまあしょうがないけれど(?)今日騙されるのは癪な気がする。
普段の百倍は警戒しなくてはいけないだろう。
「とにかく翡翠を呼んできて」
「実はわたしがその翡翠ちゃんなのですっ」
「……わかった、自分で翡翠を探す」
「あん、冷たいですよ志貴さ〜ん」
やはりというかなんというか、琥珀さんはいつもよりもハイテンションだ。
「翡翠ちゃんはお料理の特訓中で厨房にいるんですよー」
「それはよかったね」
「志貴さんの為に美味しい料理を作るんだって張り切ってましたよ?」
「ふーん、楽しみだよ」
「ホントですよ?」
「だといいね」
多少冷たい態度のようだが、これくらいしなくては策士の罠から逃れる事は出来ないのだ。
「話は変わりますが、秋葉さまのバストが5センチほど大きくなられたそうですね」
「それじゃ赤飯炊かなきゃな。今夜はご馳走だ」
「むむむ……」
普段と違う俺の態度に琥珀さんは戸惑っているようだ。
よし、これでいい。この状態を維持しなくては。
「翡翠ー」
翡翠の部屋のドアをノック。
しーん。
「あれ?」
返事が無い。
「ですから厨房にいるって言ったじゃないですか」
「どこかの部屋の掃除でもしてるのかな」
「うわ、完全スルーですかっ?」
「……」
さてどうしたものだろうか。
この広い遠野家でどこにいるかわからない翡翠を探すのは結構大変だ。
「……仕方ない、秋葉の部屋に向かおう」
「やっと折れて下さいましたね〜」
「琥珀さんの言葉を信じたわけじゃないから。用事を思い出したから秋葉の部屋に行くんだよ」
「ふふ、まあとりあえずそういう事にしておいてあげましょうか」
にやにやと笑う琥珀さん。
くそ、俺は琥珀さんの嘘に騙されたわけじゃないぞっ。
あくまで自分の意思で行くんだからな。
「秋葉、入るぞ」
「ああ、兄さんですか。どうぞ。待っていましたよ」
待っていたということは、秋葉が呼んでいるという情報は真実だったらしい。
「何の用だ?」
「ふふふ。兄さん聞いて驚いてください」
秋葉は立ち上がりびしっと俺を指して言った。
「私の胸が五センチほど大きくなったんですっ!」
どーん。
「……秋葉。言ってて辛くないか? 俺でよければいつでも相談に乗るぞ?」
俺を騙すためなら自らをもネタにする遠野家当主。
ある意味潔いがその潔さをなんでもっと上手く使えないんだろう。
「なっ……そんな哀れむような目で見ないで下さいっ!」
「いや、大きくなったにしては普段と胸のふくらみが一緒だから」
どこをどう見てもいつもの秋葉の胸にしか見えなかった。
「ど、どこを見てるんですかっ!」
「胸の話題を振ったのはおまえだろう」
「ぬうう……」
「甘いぞ秋葉。エイプリルフールだからと言ってそんなあからさまにばれる嘘じゃ」
「う、嘘じゃありません! 本当に……」
「騙すつもりなら胸に肉まんくらいつめてやらないとな」
「……も、もういいです! 兄さんなんか知りませんっ」
「うわ」
クッションを投げつけられた。
「うわー、志貴さんをせつない乙女心がクラッシャーですよ」
「微妙に翡翠っぽい言い回ししないで下さい」
慌てて部屋から逃げ出す俺。
「ああかわいそう秋葉さま。自虐ネタを駆使しても信じられないだなんて」
「……っていうか琥珀さんが先にネタばらししてたじゃないか」
騙されるものかと警戒して聞いていたのでだいたい内容は覚えていたりする。
「あはっ。ちゃんと聞いてらしたんですね。さっきの」
「う」
いかん、やぶへびだったか。
「わたしの先ほど言った事は全て真実です」
「そ、そんなの信じられ……」
「あ、あの、志貴さまっ」
「え?」
声をかけられ振り返る。
そこには翡翠が立っていた。
「あ、あの、わたし手料理を作りまして」
「……」
それもさっき琥珀さんに聞いた話だ。
「美味しくできているはずですので。絶対安心です」
翡翠が美味しくできているという嘘をつくのは考えにくい。
だとしたら手料理ということが嘘なのだろうか。
「で、電子レンジでチンする料理?」
「……」
翡翠の顔が強張る。
「し、志貴さま酷いですっ……!」
「え、あ、ちょっとっ?」
翡翠は涙目になって駆けだしていってしまった。
「うわー。志貴さんってばゴクツブシですねー」
苦笑しながらそんな事を言っている琥珀さん。
「ちょ、こ、琥珀さんっ?」
「はい? なんでしょう?」
「ど、どういうつもりっ?」
「どういうつもりって……わたしはただ真実を告げただけですが。純粋な善意ですよ」
「全然そんな事ないよっ! 相手がどんな嘘つくか知ってたら驚けないじゃないかっ」
むしろぎこちない反応をしてしまって相手に不快感を与えるだけだ。
「だって志貴さん騙されるのはイヤなんでしょう?」
「い、いやまあそれはそうだけど」
「わたしも志貴さんがわたし以外の人間に騙されるのはイヤですので。利害関係の一致というやつですよ」
「……?」
わたし以外の人間に騙されるのはイヤ?
「それって……」
いわゆる嫉妬というものではないのだろうか。
「あ、や、べ、別に大した理由はないんですよ? ええ、志貴さんを騙すのはわたしが一番上手いんだと証明したいだけでありまして」
「……まあ、そういう事にしておくよ」
まったくもって琥珀さんって人は。
「な、なんですか志貴さん、その悟りきった顔はっ?」
「んー。琥珀さんがあんまりにも可愛いから怒る気がしなくなった……とか」
「なっ……なっ?」
顔を真っ赤にしている琥珀さん。
「嘘だよ。ひっかかったね」
俺はそう言って笑ってみせた。
「うわっ! 志貴さん鬼畜! 外道! 腐れ外道ですよっ!」
「じょ、冗談だって! 今の嘘って言うのが嘘だからっ……!」
結局琥珀さんの機嫌も損ねてしまい、秋葉翡翠琥珀さんの機嫌を直すのに散々苦労させられてしまった。
騙されても騙されなくても、俺にとってエイプリルフールなんて憂鬱な日以外の何物でもないのである。