秋葉の問に琥珀さんはそれはもう嬉しそうに答えた。
「それはもちろん家主である秋葉さまに福を招きたいという純粋な心からですよ」
「……そう」
秋葉の口元がひくついている。
露骨な悪意を感じつつもそれを言えないという感じ。
「断じて秋葉さまの事を鬼だなんて思ってないのでご安心を。秋葉さまは心が広いんですから」
「ふ、ふふふふふ。当然でしょう? こんなつまらない事で腹を立てるわけがないです」
今日も遠野家は平和ですよ……と。
「節分の出来事」
「いやー面白かったですね」
「心臓に悪い事をやらないでよ」
なんでそんな火に油を注ぐような真似をしたがるんだこの人は。
「だって普通に豆まきしてもつまらないじゃないですか」
「つまるもつまらないもないと思うけどなぁ」
節分なんて豆撒いて年の数だけ食べる日くらいのイメージしかない。
それに果たしてどんな効果があるのかなんて事も考えないのだ。
行事なんてものはそういうものである。
「最近は恵方巻を食べる日って認識も広まってるみたいですが、やはり豆を撒いてこその節分です」
「まあね」
誰かを鬼役にしてのシューティング大会にならなかっただけマシか。
「今年は量を用意出来なかったんでたくさんばら撒けないのが残念です」
なんて俺の心情を読んだかのような事を言う。
もし豆が用意出来ていたら……なんてあんまり考えたくない。
「じゃあ秋葉の部屋に撒いたので終わり?」
「玄関には柊鰯を置いてありますからねー。ホントは撒いた豆を食べるのが正しいんですが」
「あ、そうなんだ」
「今は年の数だけ食べるって事くらいしか守られてませんね」
「確かに」
そのへんはなんていうかまあ、適当である。
「とりあえず志貴さんの部屋にも撒いときますか」
「うん」
廊下にまばらに撒きつつ俺の部屋へ。
「女は外〜。わたしは内〜」
なんだかものすごい矛盾に満ちた言葉を言いながら豆を撒く琥珀さん。
まあそれはいつもの事なのであんまり気にしない。
「ところで気になったんだけど」
「はい?」
「ひいらぎいわしってなに?」
「ああ。柊鰯は魔よけとして玄関に置いておくんですよ。柊の小枝と焼いた鰯の頭ですね」
「ふーん……」
「まあこれも普通の家庭じゃあんまりやらないですよ」
「だな」
有間の家で鬼役をやる事はあったけど、そういうのはなかった気がする。
単に気付かなかっただけかもしれないけど。
とにかく鬼の俺に都古ちゃんが本気で豆を当てて来るのだ。
あれは痛かったなぁ。
「志貴さん?」
「あ、いや」
つい昔の思い出に浸ってしまった。
「余談ですが鬼は内という地方もあったりするんですよね」
「へえ……」
「鬼がいいことをしてくれたという昔話や、鬼という単語が地方名だったりするところはその傾向が強いみたいです」
「なるほど」
そういうところで鬼が外じゃちょっと意味がおかしくなっちゃうもんな。
「落花生を撒く地方もあったりして」
「それは面白いなあ」
「こういうのは調べると奥が深いんですよ」
「だね」
そしてそういう類は琥珀さんがもっとも好きな部類である。
「まあとりあえず志貴さんの部屋はこれくらいにして台所へ行きましょう」
「台所?」
「恵方巻きがありますんで」
「ああ」
さっき一瞬話題になったそれか。
「恵方……向かって事を行えば、万事に吉とされる方角の事ですね。恵方を向いて太巻き寿司をまるかぶりする事が縁起がいいと言われていました」
「そんな風習知らなかったけどなあ」
「まあ昔あった風習を商売のために引っ張り出してきたって感じですかね?」
「あっははははは」
そう言われると見も蓋もないよな。
「これもまた地方によって色々ありまして、笑いながら食べないといけないとか、食べてる時は黙ってないといけないとか」
「まるで正反対だね」
「これもやっぱり恵方を向いて食べるってのだけが共通でしょうか」
その恵方を向いてすら正確にやってる家庭は少なさそうだけどなぁ。
「まあ恵方巻きの醍醐味は別のところなんですけどね」
「っていうと?」
「うふふふふ……」
怪しく笑う琥珀さん。
まあなんとなく予想はつくけど。
「んっ……ふっ……」
黒い巨大なそれを口にくわえ込む琥珀さん。
苦しそうな中にもどこか愉悦を感じられる表情。
「こんな太いの……駄目ぇ……」
瞳を潤ませてそんなことを呟く。
「まあベタだね……」
「む。何かつまらない反応ですね」
「まあうん」
黒くて太い恵方巻きと琥珀さんという組み合わせでなんとなく予想はしていた。
「まあわたしがやってもベタすぎてつまらないですか」
「うーん」
むしろ真面目に対応すると緊張してしまうから程々の対応をしてみたのである。
「やっぱり翡翠ちゃんや秋葉さまがやってこそですかねえ」
「やらせるんかい」
「やらせはしませんけど。恵方巻きは食べるでしょう?」
「う……」
どうしよう。食事中口元から目線が離せなくなりそうだ。
「逆にそういう事を考えると志貴さんが恵方巻きを食べている姿もその筋の方には喜ばれそうです」
「そういうのはいらない」
なんかもう食べるのがイヤになってきたな。
「冗談ですって。みんなで楽しくお口に咥えましょうよ」
「言い方が嫌過ぎる」
「もちろんわざとです」
「琥珀はー外ー」
琥珀さんへ向けて豆を投げつける俺。
「うわ、志貴さんがいじめますー」
「むしろ豆を投げつけられると健康になるんだよ」
って感じの地方も確かあるはずだ。
「まあ芸能人がばら撒くような場所はそういう感じですよね」
「うん」
あれは一体誰に向けて福をもたらしているんだろう。
マスコミにというのは間違いないけど。
「豆を撒いて恵方巻きを食べるだけの日なのに不思議です」
「そんな事言ったらクリスマスだってケーキを食べるだけの日じゃないか」
「まあ文化は大事にしないといけませんよねー」
「……まったく」
都合が悪くなると適当に誤魔化すんだからなあ。
琥珀さんだってイベントがあるごとに盛り上げたがるのに。
「取りあえず恵方巻きを食べた後は鬼を決めるじゃんけん大会ですね」
「え」
豆まきはもう終わりじゃないのか?
「嫌ですよ志貴さん。豆まきのメインは鬼役に豆をぶつける事ですよ?」
「それはまあ……わかるけど」
有間の家では俺が鬼役をやってなんだから。
「豆が用意出来なかったっていうのは……」
「予定の数は用意出来ませんでしたが、という意味ですが」
「……」
なんかこう久々に割烹着の悪魔の妙技を垣間見た気がする。
「わたしはグーを出しますので」
それは暗に俺に鬼をやれと言っているんだろうか。
「だってほら、翡翠ちゃんや秋葉さまを鬼にするわけにはいかないでしょう?」
「まあ確かに」
「じゃ。わたしは恵方巻きの準備をしてきますので」
「うん」
とすると俺のやる事はひとつである。
「じゃーんけんぽん!」
琥珀さんは予告どおりグーを出した。
「え」
その顔が凍りつく。
他の全員がパーを出していたからだ。
「ま、まさか志貴さん……」
「いやだって鬼っていったらねえ?」
「ええ。イベント好きが率先してやるべきですよ」
秋葉がそそくさと琥珀さんに鬼のお面を被せる。
「え、あの、ちょっとこれは……」
「……姉さん、日頃の行いの結果がこういう自体を招くんです」
「えぅぅ……」
お面でわからないけどとても悲しそうだ。
しかしそこは立役者たる琥珀さん。
「がおー! 鬼だぞー! 胸がないぞー!」
なんて事を叫び出した。
「誰の胸が無いですってぇっ!」
「ナイチチはいねがー!」
「それ別のイベントだしっ!」
というわけで四方八方に投げられだす豆の嵐。
鬼側の琥珀さんまで投げてくるから滅茶苦茶だ。
「そらっ!」
「……きゃっ。服の中にっ……」
「なんだってー!」
「かかりましたね志貴さんっ!」
「しまっ……ぎゃーっ!」
こうしてなんだかよくわからない戦いは日が変わるまで延延と続いたのであった。
完