なんですと?
今羽居先輩なんと?
「ママママ、マジッすか? ほんとに頼めますか?」
「うん。大マジー」
「ああ、ああああ……」
わたしは思った。
羽居先輩あなたは。
某大型掲示板風に言うならば。
神様キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
「夏コミに行く前に」
その5
「じゃ、じゃじゃっじゃ、じゃあ、その、お願いしてもいいでしょうか?」
「任せておいてよ〜」
どんと胸を叩く羽居先輩。
その豊満な胸がたゆんと揺れる。
うう、羨ましいなあ。
「……でも」
遠野先輩が言っていた事がわたしには引っかかっていた。
「あなたはあの子に何かを頼んで覚えていると思うのかしら?」
羽居先輩はちゃんとわたしの頼みを覚えていてくれるんだろうか。
「……」
正直ものすごく不安である。
「おまえさん、ちょいと」
「はい?」
と、蒼香先輩が手招きをしていた。
「なんでしょう」
「そういう時はだな。保険をかけるんだ」
「保険……ですか?」
「ああ。アンタもMANAってやつの列に並ぶ。そうすりゃ最悪でも一冊は確保出来るわけだ」
「そ、そう……ですね」
部数は滅茶苦茶に刷ってあるだろうから、並べば確実に一冊は手に入る。
超絶大手は当然のように部数制限がかかっているから「二冊ください」とかいうことは出来ないのだ。
「羽居が約束を忘れてもその本をお嬢さんに渡せば問題なし。二冊になってもおまえさんはその本を欲しいわけだから問題なし。どうだ?」
「わたし約束は忘れないよ〜」
羽居先輩が珍しくむっとしていた。
「あたしは先週貸したノートをまだ返して貰ってないんだが。確かその時は明日返すと言ってなかったけ?」
」
「あー。そう言えばそうだったね〜。ごめんね蒼香ちゃん〜」
「……あはは」
そう。羽居先輩に悪気というものは全くないのだ。
何度も言うように先輩は天然なだけであって。
「っつー訳だ。自分で行くかもしくは他の誰かに行ってもらう事を検討したほうがいいと思うよ」
「ま、まあまだ日はありますし。考えておきます」
「う〜」
首を傾けている羽居先輩。
「もしくはアレだ。羽居。今あんたそのMANAって人に連絡取れるんだろ?」
「え? あ、うん。さっきかかってきたばっかりだからね。今電話すれば通じると思うけど」
「じゃあ、それで取り起き頼むっつーのはどうだ? それなら確実だろ」
「あ。そうだね〜」
「そ、そそそ、そこまでして貰うのは悪いですよ……」
そこまでいくとわたしごときが関わっちゃいけないレベルになってしまっている気がする。
「そう? わたしは構わないよ〜?」
「わ、わたしが構うんです。そんなことされたらわたしどうしたらいいか……」
人は案外極度の幸運というものを恐れるものだ。
今築いている自分の生活、価値観と次元が違ってしまうからだろう。
「ま、それも今すぐじゃなくても問題ないか。一応選択肢のひとつってことで覚えとくといい」
「は、はい……」
なんだかとんでもない切り札を得てしまったような。
「わたし、絶対絶対忘れないから大丈夫だよ〜」
羽居先輩だけが自信満々そうに胸を張っているのであった。
「はー」
羽居先輩と蒼香先輩は自分の部屋へと戻っていき、わたしは一人で呆けていた。
なんだか今までの話が全部夢の中のような話である。
「……」
試しに自分のほっぺたを引っ張ってみる。
「うわぁ、いたったっ……」
痛い。ものすごく痛い。
いくらなんでもやりすぎたようだ。
「……やっぱり夢じゃないんだなあ……」
羽居先輩が超絶大手MANAさんと知りあいで、売り子をしていることも現実なのだ。
そしてその超絶大手を遠野先輩が買ってこいと言ったのも。
「はぁ……」
ああ、どう考えても非現実っぽい話だ。
わたしは現実へ帰るべくテレビのスイッチを入れた。
今日の最高気温、39度。
「……こっちも夢みたいな話だなあ……」
夢が現実に追いついてしまったんだろうか。
嫌な事ばっかり現実になっている気がする。
今年の夏は倒れる人が続出しなきゃいいけど。
「三本は用意しておいたほうがいいな……」
ペットボトルに凍らせた水を三本くらい用意しておくと飲み物には全く困らなくなる。
問題はやたらと荷物が重くなることだけど。
帰りはどうせもっと大量の荷物を持ち帰るわけだし、ウォーミングアップのつもりで考えておけば気楽である。
わたしの夏コミ平均購入冊数は25冊程度。
凄い人は100冊以上平気で買って帰るらしい。
「……両替も行かなきゃ」
同人誌の値段は千差万別。
コピー誌は無料〜300円程度。
オフセット印刷、つまりちゃんとした印刷所で印刷された本は400〜。
これはもうページ数や装丁で値段が極端に変わるからなんともいえない。
24〜32ページくらいで500円〜700円、40〜100ページで500〜1500円。
同人誌の値段は作った人がそれこそ適当に決めるから、赤字覚悟だったら全然安く出来るし、逆にとんでもない高値を付ける事も出来るのだ。
まあだいたいのサークルは常識の範囲内の値段である。
コミケだと金銭感覚がおかしくなるから1000円くらいだと安く感じてしまうので注意しなくてはいけない。
注意ったってどうしても欲しい本だったらいくらでも出しちゃうのが悲しいところなんだけど。
漱石さんが30人くらいいたのに気づいたら一人もいない、というのもザラだ。
「それと予備用のサイフと……」
万が一お金が尽きたとき、サイフを無くしてしまった時用に予備のサイフを一つ作っておくのだ。
本をたくさん買ったけど家に帰れなくなったなんてなったら笑えない。
それに、まだ予備のお金があるということで気持ちに余裕が出来るのだ。
一度その予備のお金までほとんど使ってしまって危うく……ってこともあったけど。
まあわたしもまだまだ甘いって事で。
「……はっ」
気づいたらまた同人のことを考えていた。
まあコミケカタログを目の前にしてコミケの事を考えるなというのが無理って話だ。
「とりあえずMANAさんの事は考えないでチェック入れてみよう……」
わたしは一ページずつじっくり見ながら行きたいサークルを選んでいくのであった。
続く