浅上女学院毎月恒例の会議中、わたしはずっとあることについて悩み続けていた。
「うーん……うーん……」
どう考えても上手くいかない。
考えても考えても悩みは増えていくばかり。
ああ、わたしは一体どうしたらいいんだろう。
「瀬尾さん。どう思うかしら?」
「あ、ははは、はいっ」
名前を呼ばれたので返事をしたのはいいけれど、何をどう思っているのかさっぱりもってわからなかった。
「え、ええと、その……」
うわあ、まいったなあどうしよう。
「私はその『月に一度交代で体育館の掃除を行う』で異存無いと思いますけれど。そうでしょう? 瀬尾」
わたしが困っていると一人の上級生がそんなことを言ってくれた。
「あ、え、ええと……、はい、そうですね。それでいいと思います」
そうだ、思い出した。
今回の議題は『体育館の汚れが酷いけれど部活動をしている生徒だけでは掃除が追いつかない。なんとかして欲しい』という体育館を使う部活動の部長さん数名からの要望についてだったのだ。
そして目の前の黒板には『月に一度交代で体育館の掃除を行う』案と『掃除業者に依頼する』の2つの案が載っていた。
多分端から順に意見を聞いていって、わたしの順番になったんだろう。
「なるほど。これで意見が半数を超えました。その案を採用させていただこうと思います」
ぱちぱちぱちと沸く拍手。
「……ほっ」
ああ、びっくりした。
わたしは安堵の息をついた。
「……」
そしてそんなわたしを助けてくれた遠野先輩が、後でいらっしゃいというようなポーズをしているのであった。
「同人小説を作るまで」
「何やら考え事をしていたようね、瀬尾」
「すすすすす、すいませんでしたぁっ!」
わたしはもう恥もへったくれもなく地べたに頭を摩り付けていた。
「ちょ、ちょっと。そこまでしなくてもいいのよ」
そうは言っているけど遠野先輩に関してはなんにしてもやりすぎってことはない。
謝るにも全力でやらなければ太刀打ちできないのだ。
「遠野。後輩がここまで謝ってるんだぜ? 何をやったか知らないけれど、許してやんなよ。かわいそうだ」
「蒼香。その言いかたじゃ私が悪いみたいじゃないの」
「えー? 秋葉ちゃんが悪いの?」
「羽居。あなたが喋るとややこしくなるから黙ってなさい」
遠野先輩以外の二人はわたしを庇うような言葉を言ってくれている。
この二人は浅上女学院寮で遠野先輩と同じ部屋に暮らしているというなんとも凄い人たちだ。
遠野先輩と暮らすだなんていうことになったら、わたしはきっと精神衰弱になってしまうだろう。
「……とにかく瀬尾。顔を上げなさい。もういいわ」
「あ、ありがとうございますっ」
顔を上げるとなんともいえない遠野先輩の顔があった。
「大変だねえ、おまえさんも」
ベッドに座ってくっくっくと男の子っぽい笑いを浮かべている先輩。
「よかったねー。秋葉ちゃん怖いからねー」
そして見ているだけでほんわかしてしまいそうな表情を浮かべているもうひとりの先輩。
「蒼香っ! 羽居っ! 少し静かにしてなさいっ!」
「へーいへいへい」
「秋葉ちゃんこわーい」
どうやら前者が蒼香さんで後者が羽居さんと言うらしい。
「それにしても瀬尾。ずいぶん悩んでいたようだけど、どうしたの?」
遠野先輩がそんなことを尋ねてくる。
「あ、い、いえ、その」
実はこれがとっても言い辛い悩みだったりするのだ。
「……ちょ、ちょっと言えないです」
「ふーん」
うわあ、なんでそんなところで笑うんですかっ。
「わわわ、わかりました、言いますっ。いいい言いますっ!」
「遠野ー。プレッシャーかけるのは反則だぞ」
「イエローカード一枚だね〜」
「ギャラリーは黙ってなさいっ!」
あの二人凄いなあ。遠野先輩と互角に渡り合ってるなんて。
「……でも、遠野先輩。多分言ってもわからないと思いますよ?」
「そんなのは聞かなくてはわからないでしょう? 何なの」
「えーと、その、同人誌のことについてなんですけど」
「どうじんし?」
ほら、やっぱり。
普通の人だって知らない人が多いのに、遠野先輩が知っているわけがないのだ。
「あ、わたし知ってるよ〜?」
意外な言葉が後ろから出てきた。
「羽居。知っているの?」
振りかえる遠野先輩。
「うん。ちょっと待ってて〜」
羽居先輩は机の棚を開けてごそごそと捜索を始めた。
「おまえさん。この前そこ掃除しろっていったのにまだやってないのか?」
「うーんー? 違うよー? 掃除したけどまたこうなっちゃったんだー」
「……さいですか」
蒼香先輩はやれやれと溜息をついていた。
「ん。あったあった。これこれ」
羽居先輩は満面の笑顔でそれを取り出した。
『卓球の王子様殺人事件 犯人は戌居!?』
「ほう」
「な、なんなのそれは……」
同人誌特有ともいえる大きな本のサイズ、そして本編ではあり得ないような絵柄と構図。
なるほど間違いない。それは同人誌だ。
「は、羽居先輩。どこでそれを?」
「羽居先輩だって。なんだか照れちゃうね〜」
「おまえさん、そんなとこで照れんでいいから質問に答えてやんな」
「うん。えっとね。わたしがね、この漫画が好きだって言ったら隣の部屋の子に貰ったんだ」
「あ、そうなんですか」
羽居先輩が即売会を経験しているというわけではないらしい。
「ふーん。どれどれ」
蒼香先輩がぱらぱらとページをめくる。
「羽居、アンタ前にこの漫画読んでたけどずいぶん絵柄が違わないか?」
「あ、はい。同人誌っていうのは本来の作者と別の人が書いている二次創作本がメインとなっていますので。それは二次創作本なんです。まったくの別人が書いているんです」
「ほー」
意外なことに蒼香先輩が一番興味深そうだった。
「ふーん」
遠野先輩はさもつまらなそうである。
「それで、その同人誌で瀬尾は悩んでいたってわけ?」
「あ、はい。えっと、そうなんです」
「ってことはおまえさんも同人誌を作る側の立場ってことかい?」
蒼香先輩が尋ねてきた。
「そうなんです。漫画では結構作っていますね」
「そりゃすごいな。大したもんだ」
「いえ、そんな。まだまだ弱小サークルで……」
「わー。アキラちゃんって漫画描いてるんだ。今度見せてー」
羽居先輩がわたしの袖を引っ張る。
「あ、は、はい。喜んで。……ってわたし名前名乗りましたっけ?」
遠野先輩には瀬尾と呼ばれていたし、アキラという下の名前を知っているはずがないんだけど。
「なに、遠野からおまえさんの話はよく聞くんでね」
「え、ええっ?」
遠野先輩がわたしの話をっ?
「瀬尾。ずいぶんと不満そうね」
「そそそ、そんなことはないですよ。ちょっとびっくりしただけですっ」
慌ててフォローをいれる。
危ない危ない。
遠野先輩の前では迂闊な行動は死に繋がるのだ。
「そうそう。瀬尾晶ちゃんって言って、小動物みたいな女の子だって」
「し、小動物ですか……」
「ついでにいじめやすいともね」
「蒼香っ! 余計な事は言わなくていいのっ!」
うう、やっぱりわたしそういう扱いなんだなぁ。
「とにかくそういうわけだ。ちなみにあたしは月姫蒼香。ま、さっきから遠野が蒼香蒼香叫んでるから言わなくてもわかってるとは思うけど」
遠野先輩のことを完全に無視して笑っている蒼香先輩。
「……」
遠野先輩は不満そうな顔をしているものの何も言わずにそっぽを向いてしまっていた。
本当に凄い。
あの遠野先輩と対等に渡り合えるだなんて。
わたしは蒼香先輩のことを深く尊敬するのであった。
続く