開場に沸く拍手。
「戦闘開始」
「え? なに?」
次の瞬間、大量のおにーさんたちが会場になだれ込んでくるのであった。
「そうだ即売会に行こう」
その7
「あああ、アキラちゃんっ。ななな、なにこれっ?」
おにーさんの波を見て動揺するケイちゃん。
まあ普通だったらそうだろう。
慣れっていうのは恐ろしいものだ。
「大丈夫。まあ見てて」
お兄さんたちは何かに操られたかのように同じ進路を進んでいく。
開場内は走るのが禁止されているので早歩きだ。
「……あっち、何があるの?」
「最大手。Cat o rFish」
「なに、それ?」
「要するに一番人気のサークル。ゲームの原画とかやってる人なんだ」
「え、ええっ? それってプロってことっ?」
「うん」
イベントの醍醐味のひとつにこういうプロの人が参加しているということがある。
当然知名度も高く入手度も難しいわけで、そこが欲しいお兄さん方が早朝来場やら徹夜やらをしてしまうわけだ。
しかしそう言ったプロの人や大手の人がいないとイベントにお客さんは来てくれない。
このへんはなかなか難しいことである。
「5冊下さい」
そんなことを考えていると一人のお兄さんがわたしのサークルへやってきた。
「あ、はい。えーと1500円になります」
2000円を受け取り500円を返す。
「ありがとうございます」
お兄さんは頭を下げてまた別のサークルさんへと歩いていった。
「5冊って……そんなに買ってどうするんだろう?」
「うん。仲間内で分担して、ここのサークル行くけど欲しい人、みたいな感じで買ってきてもらうんだ。結構早い時間帯には多いよ」
「へえ……」
しばらく1〜2冊のお客さんが小刻みに来てくれる。
夏のイベントの在庫の本も持ってきたんだけどそれも地道に売れてくれていた。
「あの、スケブお願いできますか?」
「ス、スケブ?」
接客をしていたケイちゃんにお客さんがそんなことを尋ねるものだからケイちゃんは困惑していた。
「あ、はい。ちょっと時間がかかりますけどいいですか?」
「はい」
「では何のキャラを?」
「幻曲のローラちゃんでお願いします」
「わっかりましたー。書いておきますのでしばらくしたら来て下さいね」
「宜しくお願いしますっ」
さてスケブが来るとちょっと忙しくなる。
「スケブって……アキラちゃんが描くんだね」
「うん。これもイベントの醍醐味かな。好きな作家さんに絵を描いてもらえる。嬉しいでしょ」
「そうだねー」
「……まあ、いっぱい来ちゃうと死ねるんだけどね」
「あはは……」
スケブを描いていると連鎖的にスケブを頼まれることが多い。
3冊以上頼まれてしまうともういっぱいいっぱいだ。
「コレ下さい」
「あ、はいっ、300円ですっ」
「これを3冊」
「あー、うー、えーと900円ですっ」
「これとこれを1冊ずつ」
「え、ええとご、500円ですっ」
予想通り修羅場モードに入ってしまった。
スケブ片手に接客も出来ないからケイちゃんが頑張ってくれてるのだけど、やっぱりきつそうだ。
「あの、スケブ取りに来たんですが」
「あ、ははは、はいっ。アキラちゃん?」
「えーと、えーと……あ、これですね。どうぞっ」
「あ、どうもありがとうございますっ」
「いえいえ、これからも宜しくお願いします」
スケブを頼んだ人を待たせるのも悪いのでわたしはスケブに集中しなくちゃいけないのだ。
「ケ、ケイちゃん次からスケブお断りでっ」
「う、うんっ」
目が回るような忙しさである。
「手伝うよ」
「あ、ああっ、キヨコちゃんっ!」
そこでキヨコちゃんが帰ってきてくれた。
キヨコちゃんはナイスタイミングで帰ってきてくれるとてもいい人である。
「はい、そっちは合わせて500円っ、それは300円っ」
しかも接客が滅茶苦茶に上手い。
「アキラはさっさとスケブ終わらせちまいな」
「うんっ、ありがとうキヨコちゃんっ」
わたしは友情に感謝してスケブに精を出すのであった。
「ふう……」
昼を少し過ぎたところでわたしのサークルはだいぶ落ち着いていた。
新刊および既刊が完売したからである。
完売御礼という紙を真ん中においてまったりとする。
「あ、ケイちゃんとキヨコちゃんはご飯食べに行っちゃっていいよ。もうわたしだけでも平気だから」
「そーするか。行くぞケイ」
「うん、疲れちゃった……」
「あはは、お疲れ様」
ふらつくケイちゃんをフォローしながらキヨコちゃんは歩いていった。
「はぁ」
わたしも一息。
持ってきていたジュースを飲んで呼吸を整える。
「こんにちわ、アキラちゃん」
そこにぞくっとするような声が聞こえた。
「あ、ししし、志貴さんっ。どうもこんにちわっ」
わたしは大げさに頭を下げて挨拶をした。
「ははは……」
ぽりぽりと頬を掻く志貴さん。
しかしそれはもう、明らかに同人誌即売会なんて始めて来たぞーなんて感じである。
だって、鞄も何も持ってないんだもん。
周囲の様子をものめずらしげに眺めていた。
「ずいぶん端っこにいるんだね、アキラちゃん」
それにしても本当に志貴さんの声はぞくぞくする。
これでご飯三杯はいけるぞーってくらい。
「わたしこれでも壁ですから」
わたしはえへんと胸を張った。
これでも遠野先輩より胸はおっきいと思っていたりする。
「……ふーん。そうなんだ」
志貴さんはてんで淡白だった。
ああ、全然わかってくれないっ。
知ってる人に壁なんですって自慢すると驚いてくれるのにっ。
まあコミケとかではまだほとんど無名のサークルだけど。
いずれはCat or Fish みたいな大手にっ!
「……えーと、それでどうすればいいのかな、俺」
「はっ!」
いけない。
妄想にひたっていると志貴さんが困った顔をしていた。
「え、ええとですね。とにかく面白そうな本があったら読んでみて、面白かったら買うんです」
まあ世の中には見ず買いという中身も見ないで買っていく人がいるけど、作る側としては出来れば覗いていって欲しいものである。
「ふーん。じゃあええと、アキラちゃんの本は……と」
「あ、はい。とりあえず全部売れちゃったんです」
今回のサンマは大手サークルがCat or Fishだけだったので、わたしのような中堅壁サークルにもそれなりに人が来てくれたのだった。
実は午前中で完売なん初めての経験である。
「そ、そうなんだ。ちょっと来るのが遅かったかな」
はははと苦笑する志貴さん。
「あ、大丈夫です。もちろん志貴さんのためのトリオキしておきましたからっ!」
「そうなの? なんだか悪いな」
「いえいえ。志貴さんのためですしっ」
即売会に参加している人とは出来るだけ仲良くしておいたほうがいい。
何故ってこういう風に取り置きしてくれていたりするから。
わたしは志貴さんのためにとって置いた一冊を紙袋から取り出した。
ちなみにこの紙袋の中にはキヨコちゃんに買ってもらった今日の戦果がもりだくさんである。
「じゃ、見せてもらうよ……」
志貴さんはそう言ってわたしのマンガを読み始めた。
ううう、なんだか恥ずかしいよう。
「……」
志貴さん以外の人にも言えるけど、こうやって読んでもらってる時間は緊張してしまう。
読んで欲しい気持ちと恥ずかしい気持ちのジレンマである。
「……うん」
志貴さんは最後のページを閉じて頷いていた。
「いくら?」
「あ、は、はいっ。300円ですっ」
「300円か……えーと、500円でお釣りでる?」
「はいっ。出ます出ますっ。ええ、200円のお釣りですっ」
志貴さんの手に触れて500円を受け取り、200円を返す。
この手はしばらく洗わないでおこうっと。
「面白かったよ」
そう言ってすごくサワヤカな笑みを浮かべる志貴さん。
そんな顔でそんな声を出されるともうたまらない。
「あああ、ありがとうございますっ。はいっ」
わたしは自分でもやりすぎなんじゃないかってくらい頭を下げた。
「こういうマンガあんまり読まないから新鮮だったよ」
「あ、そうですか?」
「うん」
今回のマンガは本来なら同人誌を知らない志貴さんにシエル先輩やわたしが有彦さんを巻きこんで引き起こす微妙にやおいちっくなドタバタ騒動モノの予定だった。
しかしそんなマンガは当然見せられない。
そこで発想の転換。
女体化、という言葉がある。
「このメガネの女の子がちょっと可哀想な気もしたな」
「あ、あはは、そうですか?」
そう、禁断の奥義。
志貴さんで駄目だったら志貴さんを女の子にして誰だかわかんなくしよう作戦である。
つまりわたしの脳内ではその女の子は志貴さんなんだけど、読んでる人はそれが志貴さんだとはわからないのである。
ちなみに有彦さんもヤンキー姉さん風味にアレンジされてたりする。
先輩もわたしも名前を変えてあるし、志貴さんにばれるわけがない。
「でも、うん、アキラちゃんこんな漫画描くんだね。ちょっと意外だった」
「あ、そうですか?」
「うん」
わたしも女の子オンリーの話を描くのは初めてである。
「その、なんていうか――百合っぽいマンガ」
え。
「あ、いや、なんでもないんだ、うん」
志貴さんは気まずそうに咳き込んでいた。
しかし確かに聞いてしまった。
百合。
それはつまりレズのことである。
志貴さんの女の子バージョンをわたしやシエル先輩や有彦さん(同じく女体)が志貴さんをひん剥いたりコスプレさせたり絡み合ったりするマンガ。
「……」
百合だ。間違いない。
道理でお兄さん方にやたらと売れたわけである。
「し、志貴さんっ。ち、違うんですっ、これはそのなんていうかっ」
「あ、いや、別にアキラちゃんがそうだって言ってる訳じゃないんだ。うん、女の子同士ならさ、これくらい普通なのかもしれないし」
うわあ、間違いなく誤解されてるよう。
「志貴さんちょっと待って……」
「じゃ、じゃあ俺他のサークルでも見に行くから」
「うわああああ! そっちは出口ですよおぉぉっ!」
わたしは半泣き状態で志貴さんを追いかけるのであった。
完