「はうあっ!」

わたしはそこに出ている名前を見てそんな声をあげてしまった。

「どうしたの? アキラちゃん」
「え、いえ、そ、そのう……」
 

そこに出ている名前は今ちょうど考えていた人の名前なのである。

つまり。
 

『着信 遠野志貴』
 
 







「夏コミに行く前に」
その4












「あわ、あわわわわ」

わたしは自分で言うのもなんだけどかなり動揺していた。

まさか志貴さんから電話がかかってくるだなんて。

もしかしてデートの誘いとかだったらどうしよう、だなんて。

「……早く出ないと切れるぞ」
「は、はいっ」

わたしは震える手でボタンを押した。

「……って電源切ってどうするのわたしっ!」

慣れてない携帯電話と緊張のせいで通話と電源を間違えてしまったのだ。

「あ、あうう」

慌てて電源を入れても後の祭り。

電話は当然のように切れていた。

「どうした? 切れちまったのか?」
「い、いえ……切っちゃったんです」
「は?」
「うーあー、何やってるんだろうわたし……」

自分の抜けっぷりが情けなくなってくる。
 

プルルルル! プルルルル!

「わわっ」

幸いにも電話はすぐにかかってきた。

「よ、よかった……」
「今度は失敗すんなよ」
「は、はい」

今度はしっかりと通話というボタンを確認し、それを押した。

「も、もももも。もしもし。瀬尾ですけど」

ああ、そういえば電話越しで聞く志貴さんの声って凄いんだよなぁ。

なんていうか、こう聞くだけで悶えちゃうような声。
 

「瀬尾。あなた私からの電話を切るなんていい度胸してるわね……」
 

わたしの周りの温度が五度くらい下がった気がした。
 

「ととととととと、とおの、せんぱい……」

電話の相手は志貴さんの妹でありわたしの先輩、遠野秋葉先輩であった。

そっか、志貴さんに教えてもらった電話番号って実家のほうの電話番号だったんだ。

ああ、せっかくプライベートな電話が出来ると思ってたのにっ。

「瀬尾。聞いているの?」
「は、はいっ! 聞いてますっ」

とにかく今はそれどころじゃない。

遠野先輩をなんとかしなくては。

「え、ええと、今のはちょっと電波が悪かったんですよ。ほら、わたしのってボロっちい携帯なんで」

何か言われる前に自分から言い訳をしておく。

「……ふぅん。まあいいわ」

遠野先輩の言葉は志貴さんとは違った意味でぞくっとする。

いつ怒られるかもわからないという、プレッシャーのせいだろう。

「それより瀬尾。あなた、確か同人誌とかいうのに詳しいのよね」
「あ、はい。それはまあ一応同人女としてはそれなりに」

遠野先輩も羽根居先輩の本のせいで同人に興味が沸いたんだろうか。

「そう。なら話は早いわね。このMANAって方。今度の『なつこみ』とかいうのにも参加するんでしょう?」
「ええ。そうですけど……」

MANAさんのイベント参加予定は毎回本の後ろに書いてある。

羽居先輩が全ての本を持っているならば、次の予定も夏コミと書いてあるはずなのだ。

「新刊は出るのかしら?」
「まあ、多分……」

MANAさんは毎度のごとく新刊を出している。

それも人気の秘訣だ。

「で、それが何か」

わたしはなんだかとっても嫌な予感がした。

「瀬尾。ならその新刊を買ってきなさい」
「……うわあ」

やっぱりそうきましたか。

「そ、そういうのはその、羽居先輩に頼んだほうがいいのでは……」
「あなたはあの子に何かを頼んで覚えていると思うのかしら?」
「……」

忘れてしまいそうな気がする。

そしてきっと「あ、ごめん〜。忘れちゃった〜」といつもの笑顔で言うのだ。

そんな顔をされてしまうとこちらとしても許すしかないわけで。

「……で、でも、MANAさんって超絶大手なんですよ? 半日並ぶんですよ?」

それに比べてこっちはなんと鬼のようなお方なんだろう。

「何よそれ。なんとかならないの?」
「なりません。MANAさんの本を欲しい人はたくさんいるんですから」
「なら貴方がなんとかなさい。何のために同人をやってるのよあなたは」
「わ、わたしは他に行くところがありますし。それに、自分の楽しみのために同人をやっているんですよぅ。誰かに強要されるものではありません」
「ぬぅ……」
「こ、こればっかりは譲れませんからっ」

わたしはそう言って電話を切ろうとした。

「秋葉、いくらなんでも無理言いすぎだろ。止めておけよ」

瞬間。

身もだえするような声が聞こえてわたしは慌てて受話器を耳元へ寄せた。

「に、兄さん……」
「ちょっと変わってくれ秋葉。……あー、もしもし。晶ちゃん? 俺、志貴だけど」
「は、はは、はい。ご、ごぶごぶ、ご無沙汰してます」

何度志貴さんの声はたまらない。

電話だとなおさらそれが強調されているよな気がする。

「ごめんな。秋葉が無茶言って。あんまり気にしないでくれよ。こいつお嬢様だからわがままなんだ」
「あ、あはは。平気です。慣れてますから……」

遠野先輩も本当は悪い人じゃないのである。

ただ、ちょっとばかり物流関係に疎いだけであって。

金銭感覚の次元が違うからしょうがないんだろうなあ。

「でも、面白かったよこのマンガ。アキラちゃんが買ってきたの?」
「ええっ? 志貴さんも読んだんですかっ?」
「ああ。まあちょっとね。なかなか面白かった」
「はあ……」

そう、MANAさんのマンガは絵も綺麗で話も面白いという完璧超人のようなマンガなのである。

わたしも一冊だけ持っているからその素晴らしさは十分に知っている。

けど、あの列の長さだけはどうにも辛い。

夏の炎天下の空の下五時間以上並び続け。

手に入れた本はその一冊だけ。

翌日わたしの肌は真っ赤に燃え、お風呂に入れなかったくらいだ。

本が良かったから後悔もしてないけど。

「うん。だから俺もちょっと新しいの見て見たいなって思ったんだけど。アキラちゃんはアキラちゃんの都合があるだろうし、別に……」
「何を言っているんですか志貴さんっ? わたしも丁度MANAさんの本が欲しいと思ってたところなんですよっ? ええ、五時間くらい余裕ですともっ!」
「ご、五時間? そんなに並ぶの……?」
「ええ。でも平気です。頑張れます。二週くらいへっちゃらですっ」

人が頑張れるのは、誰かの期待に応えたいと思ったときである。

そしてそれが特に好意を持った人物だったら。

「だ、大丈夫なの? 無理しなくていいよ?」
「無理じゃないです。何が何でもゲットして見せますっ!」
「……瀬尾。なんだかあなた私の時と反応が違わないかしら……?」

うわあ、なんだかとても低いトーンの遠野先輩の声が聞こえた。

「じゃ、じゃあそういうことでっ。とにかく任せてくださいっ」

わたしは遠野先輩に代わられる前に即効で電話を切っておいた。

そのまま電源もオフ。

「……ふう」

これで追い討ちもなしと。

「おまえさん、そんな大変なこと引き受けていいのかい?」

椅子に座った蒼香先輩が苦笑していた。

「だ、大丈夫ですよ……多分」

ただ、MANAさんの本を手に入れるには他の全てを犠牲にしなくてはならない。

他に欲しい本もあったんだけどなあ……。

それはちょっと残念なことである。

「あ。じゃあわたしがMANAさんに頼んで本を貰っておこうか? 後でアキラちゃんにあげるよ〜」

なんですと?

今羽居先輩なんと?

「ママママ、マジッすか? ほんとに頼めますか?」
「うん。大マジー」
「ああ、ああああ……」

わたしは思った。
 

羽居先輩あなたは。
 

某大型掲示板風に言うならば。
 

神様キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
 

続く



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