振りかえると志貴さんが手を差し出していた。
それはつまりどういうことかというと。
「は、はぐれないように手を繋ごうと?」
「うん。子供っぽくて嫌かな」
「そんなことは断じてありませんっ!」
それはまさに恋人同士みたいじゃないか。
わたしはぎゅっと志貴さんの手を握り、慌ててその手を緩めた。
「ふ、ふつつかものですが宜しくお願いします」
「いやいや、こちらこそ」
二人仲良く手を繋いでわたしたちはコミケ会場内へと消えるのであった。
「夏コミに行く前に」
その20
「はぁー……」
わたしは同人誌を閉じてベットに寝転がった。
「……同人冥利に尽きるなあ」
帰宅した直後から爆睡、目が覚めてから同人誌を読み漁るという基本コンボを終えたのである。
同人をやっている人間としてこれほど満たされた時間は他にないだろう。
「本も買えたし志貴さんともいい感じだったし……」
結局、閉場までわたしと志貴さんは一緒に会場を回ったのである。
唯一残念なことと言えば、サークルMANAさんの撤収に間に合わなかったことだろうか。
今回は予想以上に回転が早かったらしい。
イチゴさんにもう一度感謝したかったし、羽居先輩にも宜しく言っておきたかったのだけど、向こうも向こうで都合があるわけだし、このへんは仕方のないことだ。
ちなみにわたしの携帯電話で有彦さんからそれを聞いていた志貴さんは何故だか「うるさいばか、そんなことするかっ!」とか叫んでいた。
どうしたんですか? とわたしが聞いても教えてくれなかったけど。
女の勘としてはそれは「おい遠野。せっかくだからアキラちゃんをモノにしちまえよ」とかそんな言葉を言われていたんだろう。
わたしとしてはそりゃあもう大歓迎ですがっ。
女の子がそんなことを言うのもはしたないというものであって。
遠野先輩も怖いし。
「……そういえば遠野先輩どうなったんだろうなぁ」
結局、あの後遠野先輩に遭遇することはなかった。
多分チャイナ&メイドのお姉さんと一緒にコスプレ広場にでも行って脱出不能になったんだろう。
そんな最強コンビがコスプレ会場で掴まらないはずがないからだ。
「志貴さんは大変そうだけど……」
多分志貴さん曰くの策士さんがうまくフォローしてくれるだろう。
むしろしてくれないとわたしも困る。
「……まあそういうマイナスの出来事は忘れるとして」
プラスのことを思い出そう。
「志貴さんと食べたラーメン、美味しかったなあ」
コミケ終了後、当然二人ともお腹が空いている訳で、電車に乗ってしばらくした適当な駅で降りて一緒にラーメンを食べた。
しょうゆとんこつ角煮ラーメン780円なり。
ヤバイ、これよりカラー同人誌のほうが高いのかと急に現実を感じる場所であった。
ちなみに偶然寄った割にはそこは有名なお店だったらしく、滅茶苦茶美味しいラーメンだった。
自称ラーメン通の志貴さんが、このスープは参考にしたい……と色々聞いていたくらいだ。
ここでさらに今度志貴さんの作ったラーメンを食べさせてもらうという約束までしてしまった。
今日一日だけでいくつ志貴さんと約束をしただろう。
その全てがかけがいのないもので、とても待ち遠しいものだ。
「その後カラオケで熱唱して……志貴さんの熱唱はたまらなかったなぁ」
わたしには声で感じてしまうというちょっと変な性癖がある。
そのわたしにとってカラオケはもう天国みたいな場所だ。
しかも歌うのはただでさえ身悶えしそうな志貴さんというわけで。
こりゃあもう当分妄想の……いや、同人のネタには不足しませんよっ。
志貴さんの情熱的に歌い上げるバラード、熱血アニソン、さらに演歌とレパートリーに驚かされ、わたしも負けじと古いアイドルの歌、最新のアイドル、アニソンと魂を込めて歌い上げた。
歌うのはストレス解消にもいい事だし、志貴さんとの距離もさらに縮まった気がする。
「はぁ……」
そうして再会を約束して別れ、現在に至るというわけだ。
「あーもう、コミケ最高……」
コミケというか志貴さんのことが大半を占めているような気がするけど気のせいである。
コミケも最高だし志貴さんも最高。
そういうことでひとつ。
「……そうだ、新ジャンルのチェックしてみようっと」
ふと思い出してわたしはパソコンを起動した。
今回原作を知らないのに買ったものは「陽姫」の同人誌だ。
「確かパソコンのゲームだったはずだけど……」
後は絵が綺麗でアニメにもなったらしい、ということしか知らなかったりするんだけど。
「検索をかけて……と」
インターネットならばすぐに情報が手に入るのだ。
果たしてどんなゲームなんだろうか。
『18才未満の方の立ち入りを禁じます。
Are you over 18 ?
YES / NO』
「え」
何かあり得ない文字が見えてしまったような。
「……まさか」
慌てて他のサイトを調べてみる。
『型月作「陽姫」18禁』
「エロゲーじゃないですかっ!」
思わず叫んでしまった。
しかも聞かれたらもう二度と寮にいられないようなセリフである。
「あ、危ない危ない……」
今が夏休みで本当によかった。
「うわぁ……同人誌はあるのにプレイできないなんて……」
まさに生殺し状態である。
「……大人になったらプレイしてやるぅ」
エロゲープレイを決意する女子学生。
わが身を冷静に見ると悲しすぎてもう涙も出る気がしない。
「はぁ」
深々とため息。
プルルルル、プルルルル。
「はいはい今出ますよ……」
下らない一人芝居をして通話に。
「瀬尾。あんた、どうしたのよ」
「え? あ。ね、猫美先輩。どうしたんですか?」
「質問を質問で返さない。あんた、わたしに初日の本頼んだでしょ。どうして取りに来なかったのよ」
「あ……ああああああっ!」
そうだった。
初日の本を猫美先輩に買っておいて貰ってたんだっけ。
「す、すいません、ごめんなさい、わざわざご足労頂いたのにこの体たらく……」
「いや、別にお金さえ貰えればいいんだけどね」
「はっ! そ、そういえば立て替えててもらってたんですよねっ! すいませんっ!」
「ん。結構かかったよ。次のイベントまでに返せる? こっちも何気に金策厳しいのよ」
「い、いかほどでしょう」
「えーと……」
かちゃん。
わたしはその金額を聞いて思わず電話を落としてしまった。
「すすす、すいません。猫美先輩。それ、マジですか?」
「大マジよ。今回どこもかしこも三冊づつとか本出してたから」
「うああ……」
そう、初日の女性向けサークルというのは不思議と新刊三冊とかのとんでもないことをやってのけるサークルが多いのだ。
腐女子の情熱、いや執念があるからこそできる業といえよう。
「あ、あの、金策が次のイベントまでにちょっと間に合いそうもないんですが」
「ふーん?」
猫美先輩のひとつトーンの低い声。
「ご、ごめんなさいごめんなさい必ず払いますからー!」
わたしは電話を持ちながら何度も頭を下げた。
「瀬尾君。実はわたし次のイベントに参加の予定があるんだけど」
何故か元のよりも明るいトーンになった猫美先輩。
「はは、はいっ、なんでもやります! パシリでもなんでもっ!」
「じゃあ、同人誌の手伝い宜しく」
「……はい?」
「だから、同人誌の手伝い。ゲストで5ページね。締め切りは来週」
「ら、来週っ? そんなっ!」
「出来ないわけないわよねー?」
「……は、はい」
「じゃ、宜しくー。楽しみにしてるわねー」
がちゃ。
「うああ、なんかとんでもないことに……」
でもこれも自分の不手際が招いた結果。
甘んじて受け入れなければ。
「アッキラちゃーん」
ばたんっ。
「は、羽居先輩っ?」
「うん。羽居先輩だよ〜」
羽居先輩が突如大量の荷物を持って部屋に入ってきた。
「これが今日の戦果ー。読みっこしよ〜?」
「あ、は、はい……」
なんだか羽居先輩の顔を見たら急に和んでしまった。
そう、人生は楽あり苦あり、落ち込んだってしょうがない。
「後で秋葉ちゃんも来るからー」
「え」
わたしの背筋に寒気が走った。
「な、なぜに遠野先輩が? 実家に戻られたのでは?」
「うん。それがね。アキラちゃんに大事なお話があるからって〜」
「あは、あは、あははははは……」
ああ、なんで今年の夏は猛暑なはずなのにこんなに寒いんだろうなあ。
クーラーもつけてないっていうのにっ。
「ちくしょー! こーなったらこれをネタにして小説書いてやるー!」
こうして、わたしの波乱に満ちた夏は終わったのであった。
完