「はぁ……」
「……」
廊下を歩いていると憂鬱そうな顔の琥珀さんがいた。
「珍しいね」
思わずそんな声をかけてしまう。
「志貴さん、ため息をつく美女に向かってそのセリフはないでしょう?」
自分で美女っていうのもどうかと思うけど。
「えー……なんかあったの?」
「そうなんですよー。聞いてくださいますか?」
「あ、うん」
琥珀さんはためいき混じりに話し始めるのであった。
「たまには悩む琥珀さん」
「最近翡翠ちゃんの反応が冷たいんですよ」
「いつもの事じゃない」
「そんな事ありませんっ! いつもと全然違うんです!」
「……具体的にどう?」
「なんかこう……そっけないんですよ」
それこそいつも通りじゃないかと言ったら怒りそうなので黙っておこう。
「何か原因があるんじゃない?」
遠回しに攻めてみる。
「特にありません。わたしはいつも通り翡翠ちゃんに接してます」
「じゃあ秋葉や俺への対応に問題があるとか」
特に俺に対して。
「それもないですね。もう諦めてますもん」
「自慢げに言う事じゃないなあ」
「他にないですかね?」
無視ですかい。
「……何かの記念日とか?」
「記念日?」
「だからこう、琥珀さんを驚かせるために準備をしててさ」
「なるほど。それでよそよそしいというのはありがちなシチュエーションですね」
「ありがちだね」
「でも翡翠ちゃんがそれをやってくれるなら話は別です!」
「あははは……」
俺が何かやったら喜んでくれるんだろうか。
「で、何の記念日なんですかね?」
「それは知らないよ」
「……うーん」
腕組みをする琥珀さん。
「特に思いつかないですねえ」
「じゃあ他に理由があるのかもな」
「この可能性であれば最高なんですが……」
言っておいてなんだけど、多分これは違う気がする。
翡翠がそういう事をやるとしたら、俺や秋葉にも話が来ているだろうし。
「……逆に翡翠に原因があるのかも」
「ひ、翡翠ちゃんにっ? 翡翠ちゃんはいい子ですよっ?」
「いや、そういう意味じゃなくて、こう何か悩みとか……」
それは大いにありうる話だ。
「そ、そんな……」
「悩みを抱えてても相談するタイプじゃないし」
むしろそれを気付かれまいと隠すだろう。
「じゃ、じゃあわたしがこんなつまらない事で落ち込んでいる間に!」
「つまらないなら相談しなきゃいいじゃない」
「それはそれ、これはこれです」
「……すごい理屈だ」
「とにかく大変です! すぐに翡翠ちゃんを」
「まあ落ち着こうよ琥珀さん」
俺は珍しく慌てふためく琥珀さんをなだめた。
「これはあくまで推測なんだから」
「そ、そうですよね。推測ですもんね」
やっぱり翡翠がらみだと違うんだなあ。
「では他に何があるでしょう?」
「……最悪の可能性としては」
「さ、最悪の可能性っ?」
俺の言葉にたじろぐ琥珀さん。
「琥珀さんのあまりの悪行に」
ちょっとからかいたくなってしまった。
「もう顔を見るのもイヤになったとか」
「がーん!」
「……がーんって」
わざわざ擬音を口にしないでも。
「そんな……わたしがよかれと思ってやってきたことが全て裏目に出ていたなんて」
「冗談だよね?」
「はい」
「……そのへんがいけないんだと思うよ」
非常に清々しいとは思うが。
「ばれたらあっさりと幕を下ろすというのが一流の犯人なんですよ」
「その潔さをどうしてもっと上手に使えないんですか」
「人の上に立つものには色々としがらみがありましてですね」
「上は秋葉でしょ」
「あはっ」
口元を隠して笑う琥珀さん。
「まあその可能性は低そうです」
「どうして?」
「だって翡翠ちゃんがわたしに遠慮するわけないじゃないですか」
「あー」
なるほど、俺や秋葉にはともかくとして、琥珀さんに不満があるなら直接言うってことか。
「というわけでその説は却下です」
「じゃあ何だろうなあ」
「わからないですねえ」
「……こういうのはどうだろう」
ラチがあかないので俺はある案を出すことにした。
「はい?」
「直接翡翠に聞くってのは」
「またずいぶんとダイレクトですねえ」
「こうやって話してても解決はしないよ」
それどころか余計な不安が増えるだけだと思う。
「案外大した事じゃないかもしれないしさ」
むしろその可能性のほうが高いと思う。
「……そう、ですかね」
「何か問題ある?」
「いえ、特にはないんですがー」
こうなると突然消極的になってしまうのが琥珀さんだ。
「大丈夫だって」
間接手段を用いての活動が多かったから、直接対決みたいなのが苦手なんだろう。
そのへんの不器用さはよく知ってるつもりだ。
「俺も一緒に行くから」
「はあ」
そんなわけで尻ごみする琥珀さんを引っ張って翡翠の元へ。
「姉さんにですか?」
「うん」
「翡翠ちゃん! わたしに対する不満があったらいくらでも言ってね!」
ずいっと翡翠に近づく琥珀さん。
「姉さんへの不満をあげていたらキリがありません」
翡翠はとても正直だった。
「うう、翡翠ちゃんが何気に酷い……」
まるでいつも通りだと思うんだけど。
「で、何かあったりするのかな」
「それは……」
「ああ、いや、言い辛い事だったらいいんだ。うん」
翡翠は僅かに顔を曇らせていた。
「志貴さまは気付かれていなかったのですよね?」
「え? 何を?」
別に俺に対して接する時は何も変化はなかったような。
「もしかして志貴さんに不満が? 何か変な事されちゃったのっ?」
「してないですって!」
「そういうわけではありません」
「じゃあ何? お姉ちゃんは心配で昼寝も出来ないよっ!」
昼寝ってあなた。
「……」
翡翠の顔が困惑に変わる。
「その」
頬が僅かに赤く染まっているきがした。
「なんといいますか」
いや、違う。
僅かなんてもんじゃない。
もう真っ赤に染まっている。
「え、もしかして姉妹の禁断の愛に目覚めたとか?」
「それはありません」
「……だよねー」
琥珀さんに対するツッコミはいつも通りである。
「その、志貴さまがいらっしゃると」
「え、あ、言い辛い事っ? やっぱ俺が原因っ?」
朴念仁と言われ続けている俺だ。
どんな失言をしているかわかったもんじゃない。
「悪い事したなら謝るよ! 直して欲しいところがあったら言ってくれ!」
慌てて叫ぶ。
思えば俺はあせっていたのだろう。
翡翠の表情に気付かず、自分を優先してしまった。
「……」
やむをえないといった感じで翡翠が口を開いた。
「……り」
「り?」
「重い……女の子の日が……」
「あ゛」
そうか、そういうことか。
つまりは、重い生理のせいでハイテンションな琥珀さんに反応するのが辛かったと。
そして俺は翡翠のその微妙な変化にはまるで気付かなかったというわけだ。
ようやく全ての謎が解けた。
「志貴さん……! 翡翠ちゃんになんて事を言わせるんですかっ!」
「ええっ!」
振り返ると怒りのオーラを放つ琥珀さんの姿が。
「俺が悪いのっ? 元はといえば琥珀さんが……」
「問答無用です! 覚悟してくださいましっ!」
「ゲェーッ! どっからそんな刀がっ!」
「やっちゃいますよー!」
「勘弁してよーっ!」
俺は強く心に誓った。
もう琥珀さんが落ち込んでたって声なんかかけるもんか……と。
完