朝起きるのも面倒で昼頃まで惰眠を貪っているとそんな声が頭の上から響いてきた。
他の女の声だったらすぐさま飛び起きるところだけど、コイツの声の場合全く起きる気がしない。
「テメエの存在自体が嘘っぱちみたいなもんだろ」
まあ一応念のために薄目を開けてみる。
「そんなぁ〜。酷いですよ有彦さん。わたし、いじけちゃいます。しくしくしく」
頭の上では嘘っぱち聖霊のななこがやはり嘘っぽい泣きまねをしていた。
コノヤロウ、ちゃんと持ち主の元に返したはずなのになんでここにいるんだろうか。
「……またマスターとやらとケンカでもしたのか?」
「いえ。今日は特別に許しを貰って来たんです。マスターに許可を貰うのは本当に血のにじむような努力をしたんですからね?」
これも有彦さんのためにですよーと恩着せがましいことを言ってくるななこ。
まあそんなことを言われてしまうと悪い気はしないのだが。
「じゃあ一体何しに来たんだよ?」
コイツの場合、他の全てがいけないのである。
「それはもちろん、有彦さんに嘘をつきにきたんですっ!」
要するにまあ、コイツは大バカ聖霊なのであった。
「嘘のような有彦の本当」
「ほー」
俺は体を起こして振りかえった。
ちょうどななこと向き合う形になる。
「な、なんですか有彦さん? ……というより学校は宜しいのですか?」
聖霊のクセにコイツは俺の出席日数を気にしているらしい。
「バーカ。だいたい高校ってのは四月七日くらいまで休みなんだよ」
まああったとしてもサボってるけど。
「そうですかー。なるほどー」
かぽんと馬の手で相槌を打つななこ。
流石にそんな手であるだけに音がいい。
「……って騙されないですよっ? い、今のは有彦さんの嘘なんでしょうっ?」
そして一人勝手に慌てていた。
「紛れもない真実だ」
「そ、そんな。有彦さんがよりにもよってエイプリルフールに真実を語るだなんて。明日は地球滅亡の日かもしれませんね」
よよよと泣き崩れるバカ馬。
「一生やってろ」
俺は朝飯兼昼飯を食うために起きあがった。
「あ、ちょっと、どこへ行くんですか有彦さんっ?」
鬱陶しくもななこは飛行して俺のそばをまとわり付いてくる。
「……飯だよ」
「ああなるほど。有彦さんでも食事は必要ですもんね。ではわたしもニンジンを……」
「ネエよ」
「え、ええっ! そんなっ! なんでないんですかっ?」
「あったとしてもテメエにやるニンジンはねえ」
「む、むー。では百歩譲って有彦さんで我慢しましょうかねぇ」
なんだか今物騒な言葉が聞こえた。
「あん?」
「ですから有彦さんを食べちゃうということで。ぱくりと」
「……冗談だろ?」
「いえ、大マジですが」
「……」
「う、うわっ! 嘘ですよもちろんっ! だ、だからそんなバケモノを見るような目で見ながら遠ざかるの止めてくださいってばっ!」
しかしこいつも自分から嘘をつきにきたと言ってるくせに、人が信じると慌てているようじゃてんでまだまだである。
「つくならマトモな嘘にしろよな。まったく」
まあ俺も人の事を言えた義理じゃないけど。
「あ、イチゴさんが今日は用事があって明後日くらいまで帰らないそうですよ」
「なるほど。それはホントっぽい感じがするな。だが嘘だろ。姉貴がいつ帰ってくるなんて言うはずねえからな」
「う……さ、さすが有彦さんですね。でもイチゴさんほんとにどこに行ってしまったんでしょう?」
「知るか」
適当に冷蔵庫の中のものを見合わせて即席チャーハンを作る。
卵といくつかの野菜がありゃまあ食えるもんになるのだ。
三パック二百九十八円のウインナーを豪勢に一パックまるまるぶち込んだりしてみる。
「うわー。そんなにお肉入れて大丈夫なんですか?」
「若いから肉がいるんだよ、アホ」
「このままではブタになっちゃいますよ? ブーブーですよ?」
「じゃあテメエは食わなくていいわけだな」
さっとフライパンの中身を見せる。
チャーハンの中には適当にぶった切ったにんじんが入っていたりした。
しっぽのほうがちょっとだけ余っていたのだ。
「わ、わ、わっ。食べますっ。食べさせてくださいっ」
「食べるとブタになるんじゃねえのか?」
「あれは冗談ですっ。ほらっ。今日はエイプリルフールですしっ」
「……ったく」
しょうがないので半分ほど皿にわけてやった。
「うわーい。これだから有彦さんは素敵です」
満面の笑みを浮かべているななこ。
「……」
悔しいがコイツは顔と体共に、間違いなく一級品だと思う。
だがやはり手足が蹄というのがいただけない。
やはり手や足でしか出来ないあれやこれやがあるわけで。
「じゃ、いっただきまーす」
俺の苦悩などいざしらず、ななこのヤロウは脳天気にその指でスプーンを掴んでチャーハンをすくい。
「コラ。ちょっと待ちやがれ。そりゃなんの冗談だ?」
俺はそのななこの腕を掴んだ。
「な、なんですかっ?」
「テメエ、馬の蹄はどこ行ったんだよ?」
この前までコイツの手足は蹄だったはずだ。
いや、それどころか今さっきまで間違いなくそうだった。
なのに今目の前にいるコイツはしっかりと五本の指でスプーンを持っている。
「……あ、これですか?」
ななこはまったく大した事じゃないようにその逆の指でスプーン
を持った手を指した。
「そう、それだ。なんで人間の手になってるんだよ?」
「有彦さん。わたしって聖霊なんですよ?」
「ああ。それはもう知ってる」
「聖霊っていうのは基本イメージはありますけど枝葉は変えられるものなんです。もちろん代償はあったりしますけど……ほら」
びよーんとななこの首だけが伸びる。
「うおおおおっ!」
「そんなに驚かないで下さいよー。やだなぁもう」
「ば、バカヤロウっ。今日一番の冗談だぞそれっ? 無茶苦茶にも程があるっ」
「いえ、そのようなことを言われましても。聖霊って存在自体無茶苦茶だと思いません?」
「……」
それは確かに言えてる。
「あーもう。頭痛くなってきた……オマエ、部屋で大人しくしてろ」
「えー? それじゃあ嘘をつきにきたわたしの立場が……」
「それなら後で付き合ってやるから少し一人にしてくれ」
「は、はい……」
ななこは元の首の長さになると俺から離れていってくれた。
「……はぁ……」
これがエイプリルフールの嘘だったらどんなにいいことか。
元々非常識な存在だったけどさらに酷くなってしまった気がする。
「……しかし」
マイナスも大きいがプラスも大きかった。
手足を自由に形を変えられるということは、それはもう丸っきり普通の人間と同じになれるということである。
つまりあんなことやこんなことも。
「だあ。やめだやめだ。アイツは聖霊なんだし」
そんなことを考えたってしょうがないのだ。
あいつが俺のことをどう思っているかもわからんわけだし。
「……それに、またいなくなっちまうだろうしな」
今日は特別と言っていたから、明日にはいなくなってしまうんだろう。
そんなヤツに感情を抱いてしまっては後が辛い。
「ま、でも冗談には付き合ってやるか……」
それが目的と言っていたんだから、それくらいはいいだろう。
「はぁ……はぁ……」
部屋に戻るとそのななこが息を荒げていた。
「お、おいっ? どうしたっ?」
「……あ、有彦さん。いえ、その後遺症というかなんというかで……」
ななこの手はまだ人間の形のままである。
良く見ると足のほうまでしっかり人の形をしていた。
「だったら今すぐ元に戻せばいいじゃねえか。駄目なのか?」
「あー、その、直したいんですけどちょっと集中できそうになくてー」
「……あん?」
ななこはよくわからないけどもじもじしている。
「魔力が足らねえとかじゃねえのか?」
「そうじゃなくてですね。……えと、普段の馬の手足って、あれ、本能を封印してるんですよ。もちろん本能も必要不可欠なものですから人の形は保てます。でも手足まで人間にすると、ちょっと理性が弱くなっちゃって……」
「理性が弱くって……それで苦しそうなのか?」
ななこが腹を抑えているので俺も腹のあたりをさすってやる。
「ひゃっ……だ、駄目ですよぅ有彦さぁん……」
それだけなのにななこは身悶えしていた。
顔もかなり紅潮している。
「……」
ヘンだ。
これは具合が悪いっていうよりも、むしろ。
「まさか……理性がなくなると」
「あ、有彦さぁん……わたし、もう我慢出来ませぇん……」
そう言ってまさか脱げるとは思ってなかったのだがななこはそのボディスーツっぽいヤツを脱ぎ始めた。
つまりまあ、そういうことだ。
理性がなくなれば、本能が強くなる。
本能とはつまり、食欲と睡眠欲と……性欲。
馬のそれってのはかなり凄いらしい。
「い、いいのか? おい?」
「わ、わたし……有彦さんなら……いえ、有彦さんじゃなきゃイヤです……だから来たんですから……」
「……」
まぁ、俺も健全な若い男なわけだ。
馬の手足であったときですらこいつは一級品だったのに、今やもう、ただのいい女と化している。
そして俺がいいと。
「……俺も、オマエがいい」
じゃあ、やることはひとつだ。
そのままななこを押し倒す。
「冗談きついよな。まったく……」
まったくもってどこまでも嘘っぽい話だ。
「や、優しくお願いしますね?」
「ああ」
だが、抱きしめるななこの体温だけは間違いなく本物らしいのであった。