学校から帰宅し、いつものように翡翠に出迎えられる。
「秋葉は?」
「今日はまだご帰宅しておりません」
「そっか。サンキュ」
挨拶を交わし階段を昇っていく。
途中の窓から琥珀さんが庭の掃除をしているのが見える。
タダの掃除だって言うのにその表情はとても楽しそうだ。
「琥珀さんらしいな」
ひとりごちて視線を戻し、とんとんと階段を昇っていく。
「ふう、今日も疲れたな……」
疲れたといっても普段どおり、学校へ行って帰ってきただけではある。
しかし真面目に授業を受けるってのは案外な労働なのだ。
何故なら有彦はいつもどおりバカだし、なんだかんだで色々とトラブルは耐えない。
さらに時折シエル先輩と秋葉がもめたり、それを仲介したりで苦労したりもする。
まあそれでも近頃はめっきり平和でこれといった事件といった事件は無かった。
退屈と平凡の混ざった日常。
それはいくらか面白みに欠けたかもしれないけど、俺の求めていたものに違いなかった。
願わくば、こんな日々がずっと続くことを――
「こんにちわ、志貴くん」
ばたん。
扉を開けた途端に、何やら日常とは無縁な声が聞こえた気がする。
いや、しかしこんなところに彼女がいるわけがない。
……気のせいだろう。
「志貴君、どうしたの? 部屋に入ってこないの?」
「……」
自分をごまかす暇もなく、声の主はご丁寧にドアを開いて手招きをしていた。
「……はぁ」
ああ、どうも今日は平凡な日々で終わってくれなさそうだ。
「どうして俺の部屋にいるんだよ、弓塚さん」
そう尋ねると、弓塚さつきはえへへと微笑むのであった。
「屋根裏部屋のさっちん」
「それで、どういうつもりなのかな」
「え? どういうつもりって?」
弓塚さんはベットの上に腰掛けながらクビを傾げていた。
いつもだったら帰ってすぐにベットに寝転がるのであるが、弓塚さんがいるおかげでそれも出来ない。
仕方ないので木の椅子に腰掛ける。
「だから、なんで俺の部屋にいるのかってことだよ」
「それは窓から入ってきたかな」
「そ、そういう問題じゃなくて」
かなり論点がずれている気がする。
「えへへ」
にこにこと笑う弓塚さん。
「あ、さっちんって呼んでくれていいよ?」
しかもやたらとフレンドリーであった。
「さ、さっちん?」
「うん。さっちん」
さっちんと呼ばれて弓塚さんは嬉しそうであった。
まあ別にそれでいいならそれでいいんだけど。
「勘弁してくれよ。最近翡翠の機嫌が悪くて大変なんだ」
それというのも、この前遊びに来た弓塚さ……いやさっちんと口論になり、そのうえ『ヒロインのくせに人気投票でわたしに負けたことがある』と最大の禁句を言ってしまったからなのである。
今さっちんと顔を合わせさせるのは危険だ。
「そんなこと言ったって。わたし帰る所がないんだもん」
さっちんは拗ねた様子で言った。
「帰るところが無い? 家はどうしたの?」
さっちんの家は普通のサラリーマン家庭でごく普通の家である。
まさか両親がリストラされたわけでもあるまいし、そこを追い出されるということはないだろう。
「それが、ちょっと面倒なことになっちゃって」
「面倒なこと?」
「うん。わたし吸血鬼になっちゃったじゃない?」
「吸血鬼?」
「そう。血を吸う吸血鬼。ちゅーちゅーって。そんな状態で家にいられるわけがないでしょ?」
「そりゃそうだろうな……」
それにしても一体この話はどこのルートの話なんだろう。
まあ細かい事は気にしないほうがいいか。
「それで逃げて来たってわけか」
「そう。たぶん向こうもわたしがしばらく逃げてれば諦めてくれると思うから」
果たしてどこの誰が諦めてくれるんだか。
さっちんは意味ありげな笑みを見せていた。
「……思うから、何かな」
なんだかいやな予感がする。
「しばらく泊めてくれない?」
案の定、とんでもない提案だった。
「駄目」
俺は即座に答える。
「えーっ、なんで。志貴君、ピンチの時は守ってくれるって言ったのに」
むくれるさっちん。
「さっきも言っただろ。翡翠の機嫌が悪いんだ。遊びに来てるだけでも機嫌が悪いってのに泊まるなんて言ったら――」
そんなことを言ったらきっと。
「――ただではすまないんですかね」
いきなりの声に俺は体を強張らせた。
恐る恐る振り返る。
「ひ、翡翠……」
そこにいたのは翡翠であった。
「申し訳ありません。悪いとは思っていたのですが……つい聞いてしまいました」
翡翠は手に水差しを持っていた。
いつも俺の部屋においてある、いつでも水が飲めるようにというやつだ。
それを運んできて、俺たちの話を聞いてしまったのだろう。
そういえばドアも開けっぱなしであった。
「その、なんていうか」
俺はなんとか上手いフォローを考えようとしたが全く思いつかなかった。
「いえ、別にもう気にしておりませんので」
しかし俺の心配とは反して翡翠の表情はいつもの淡々とした表情である。
「ねえメイドさん。あなたここで長く働いてるんでしょう? わたしひとり泊めるくらいなんとかならないかな?」
かなり傍若無人な態度で翡翠に尋ねるさっちん。
学校での彼女はこんなキャラじゃなかったような気がするんだけど。
あと以前の暴言も完全に忘れているようである。
「残念ですが、このお屋敷の権限を持っているのは党首である秋葉さまです。私の一存でお客様を泊めるということは不可能です」
こちらも翡翠らしい返答であった。
どうやら翡翠はもう根には持っていないらしい。
「だよなあ……」
なんとかしてやりたい気持ちはあるが、どうにも俺は無力なのだ。
「ですが、別の手段はあります」
「え?」
「あるの? なになに?」
俺とさっちんの視線が翡翠に集中し、翡翠は――何故か少し上を眺めながらこう言うのであった。
「あなたを消去すれば全て丸く収まるということですよ」
爆弾発言であった。
続かない