日曜日の昼下がり、部屋でゴロゴロしていると秋葉が思いっきり扉を開けてきた。
「う、うわあっ! な、なんだ秋葉っ?」
俺は思わず身構えてしまった。
秋葉が思いっきりドアを開く場合、大抵怒っている時だからだ。
「……何を身構えているんですか、兄さん」
だが今日の秋葉は別に怒っているというわけではないようだった。
「いや、うん。なんでもないよ。どうしたんだ?」
とりあえず安堵の息をつく俺。
「先週、兄さんからその……マンガを没収しましたよね」
「あ。それ有彦に借りた奴なんだよ。そろそろ返さないとまずいんだけど」
先週もこうやってゴロゴロしながらマンガを読んでいたら、秋葉にマンガ本を全部没収されてしまったのだ。
「そうなんですか。……乾さんに」
考え込む仕草をする秋葉。
「なんだ。どうしたんだよ」
「その……ですね。ごほん。実は、兄さんがどのようなものを読んでいるのか、参考までに見させていただいたんです」
「げ」
俺は思わずそんな言葉を出してしまった。
「徐々に奇妙な冒険」
プロローグ
有彦から借りたマンガは、少年マンガも少年マンガ、しかも好き嫌いがかなりわかれる作品なのである。
俺は当然その作品が好きで、自分でも買おうとは思っているのだが、有彦から借りられるので今のところはまあいいやという感じなのだ。
「よよよ、読んだのか」
「ええ。読みました。吸血鬼との戦いのお話なんですね」
「ん。最初のほうはな」
そのマンガは主人公が吸血鬼やバケモノたちと立ち向かう、王道的なストーリーである。
なんせ俺は実際に吸血鬼と戦った事もあるので、この作品の主人公には妙に共感が持ててしまった。
「イギリス貴族の話というのも興味深かったですし……19世紀代の雰囲気がとてもいいと思います」
「ははは。その先はもっと凄いのと戦うし、世界中を移動していくんだぜ」
「そうなんですか……」
「……っていうか秋葉。面白かったのか?」
普通に会話をしていたから気付かなかったが、秋葉はそのマンガの特徴をよく覚えているようである。
「そ、その……は、はい。面白かったです」
秋葉は顔を真っ赤にしていた。
「そ、そうか。面白かったか……」
なんだか秋葉が自分の好きなマンガを面白いと言ってくれるとちょっと嬉しかった。
「どのへんが面白かったんだ?」
「そうですね。主人公の友人が吸血鬼になってしまうところでしょうか。あそこは衝撃的でした」
「あ。わかるわかる。セリフもすごい印象的だったからな」
「俺は人間をやめるぞ、でしたっけ?」
「ああ。その通りだ。まったくどうかしてる」
自分から吸血鬼になりたがる感覚というのは俺にはよくわからない。
「そうですか? わたしはちょっと気持ちがわかってしまいましたが」
「そ、そうなのか」
そういえば秋葉も吸血鬼ってわけじゃないけど血を吸ってた事があるしなあ。
「人より優れたものになりたいという願望は誰にでもあるものなんですよ。だからこそ人は成長するわけですし」
「そ、そういう難しい話はちょっとわからないけどな」
俺は苦笑した。
「このマンガに出てくる石仮面があったら、わたしもちょっと被ってみたいですね」
「おいおい勘弁してくれ」
「冗談ですよ」
秋葉はくすりと笑った。
「そ、それで、その、乾さんに借りたのだったら、出来れば続きを借りてきて頂きたいのですが……」
「ん。ああ、元々そのつもりだったし、構わないけど」
「本当ですか?」
目を輝かせる秋葉。
「ああ。それなら今から行ってくるけど……今ある本は返しちゃってもいいか?」
「あ。いえ。今翡翠と琥珀が読んでいるんですよ」
「ひ、翡翠と琥珀さんが?」
琥珀さんはまあわからなくもないけど、翡翠までが。
「ええ。興味深そうに読んでいました」
「そ、そうなんだ」
ちょっとそれは嬉しいかもしれない。
「じゃ、いいや。とりあえず借りれるだけ借りてきちゃうことにするよ。すぐ帰るから待っててくれ」
そうとわかれば善は急げだ。
「はい。行ってらっしゃい、兄さん」
俺は秋葉の横を通りすぎ、ドアを開けた。
「あ、そうだ」
せっかくなので秋葉がどれくらい作品にはまっているのかを確かめることにした。
「なんですか? 兄さん」
「えーと」
俺はポケットから七夜の短刀を取り出し、柱に傷をつけていった。
「ちょ、ちょっと何をしているんです?」
「まあまあ」
秋葉に見えないように背中で隠して文字を彫る。
「あ」
それで秋葉もぴんときたようだった。
「ねえ兄さん、何を彫っているんです?」
そう聞かれた俺は慌てて背中で文字を隠した。
「いや、なんでもない」
それから体を移動させ、手でその部分だけを見えなくする。
「いえ、確かに彫ってたわ……何故隠すんです?」
「す、すごくつまらないものなんだ」
「見せてもらえますか?」
「駄目だ……見せるようなものじゃないよ」
「そう言われると尚更見たくなってきますね」
俺の手をどけようと引っ張る秋葉。
「きっと笑うだろ」
それでも俺は手をどけない。
「いいえ、笑いませんよ」
秋葉はさらに引っ張るが、ほとんど力は入れていないようだった。
「人に言うから駄目だ」
「決して人には言いません。ですから見せてください」
「やっぱり駄目だ」
「どうしても見せてもらいますっ」
と、そこで俺は秋葉に引っ張られるまま手をどかした。
「あっ」
そこに書いてあるのはハートマークと、その中に志貴、秋葉の文字。
「まあ! 兄さんったらいけないひとっ!」
秋葉はくるりと後ろを向いてしまった。
「なあ、一言……『うれしい』と言ってくれよ」
ぴしゃんっ。
手をはたかれる。
「ふふ……ふふふ」
「ははは……完璧じゃないか」
「嫌ですよ、それじゃあ。わたしはディオに唇を奪われたくなんかありませんからね」
そう言って笑う秋葉。
「確かにそうだな」
しかもズギュウウウンという効果音つきのキスである。
「では行ってらっしゃい兄さん。次は第二部ですよね?」
「ああ。ジョジョの奇妙な冒険、第二部、戦闘潮流だよ」
まあ、今更かもしれないが、秋葉のはまってしまったマンガの名は、荒木飛呂彦氏の書いている「ジョジョの奇妙な冒険」なのである。
今回有彦に借りてきてあったのは第一部全巻だったので、次は第二部となる。
「波紋がさらに強くなるからな。楽しみにしてろよ」
「はい。お待ちしています」
そうして俺は有彦の家へと向かった。
続く