「……」
そこへ駆けていく遠野君。
「あ。ちょっとっ!」
わたしも慌てて後を追う。
そして。
遠野君はドロボウを前にして人の変わったような表情で、こう言った。
「てめー。おれの財布を盗めると思ったのかッ! このビチグソがァ〜〜っ!」
「徐々に奇妙な冒険」
その11
黄の節制 その2
「と、遠野君?」
今遠野君、なんて言いました?
「ヘドぶち吐きなッ!」
グシャアッ!
ドロボウの顔面向けて膝をぶち当てる遠野君。
「この、こえだめで生まれたゴキブリのチンポコ野郎のくせに……」
ああ、またなんて下品なセリフをっ。
恥ずかしくて耳を覆いたくなってしまいます。
「おれのサイフを! そのシリの穴フイた指でぎろうなんてよぉ〜〜〜〜っ!」
グオバンッ!
なんと荒技、バックブリーカー。
「こいつはメチャゆるせんよなああああ!」
「うげァああああ! あがっ! あがっ! うげっ!」
バキバキと背骨のきしむ嫌な音。
はっ!
なにを冷静に状況を観察してるんですか、わたしっ!
「何をしているんですか遠野君っ! 止めてください! 血を吐いてるじゃないですかっ!」
「ほらほーらほーら」
遠野君はなおもバックブリーカーを止めない。
「止めろと言ってるのがっ! わからないんですかっ!」
見かねてわたしは遠野君を突き飛ばし、ドロボウから離させた。
ドサアッ!
そのままドロボウは地面へと落ちる。
「わ、わ。生きていらっしゃいますかね……」
ドロボウの様子を伺うセブン。
「セブン。手当ては任せますよ」
セブンにそう告げてわたしは遠野君を睨み付けた。
「遠野君……どうかしてますよ。興奮しているんですか?」
いくらなんでもやりすぎだ。
「……」
遠野君は悪人みたいな顔つきをしてわたしを見た。
「痛いなあ……なにもぼくを突き飛ばすことはないでしょォ」
うう、なんだか遠野君の口調が気持ち悪い。
「こいつはぼくのサイフを取ろうとした悪いやつなんですよ。こらしめて当然でしょ!」
パンパンと服を払い、それからさっき買ったココナッツジュースを手に取る遠野君。
「違いますかねぇ? シエルせんぱぁい?」
それからじゅるじゅる音を立ててジュースをすすっている。
あたかも自分は全く悪くないというように。
「…………」
どうしてしまったんだろう、遠野君は。
「何睨んでいるんだよ。ずいぶんガンくれてるじゃないか先輩」
「……」
「まさかあんたァ――こんな盗っ人をちょいと痛めつけたってだけでこのぼくと仲間割れしようっていうんじゃないでしょうねえ――」
わたしはしばしの間遠野君と睨みあっていた。
「わー。カブト虫ですよ。マスター。あそこに四匹固まっていますー」
セブンの言葉で思わずひっくり返りそうになるわたし。
セ、セブン。あなた一体何をしてるんですかぁっ!
「あ、いえ、険悪な雰囲気だったので場を和ませようと……あ、さっきのドロボウさんは悲鳴を上げて逃げていきました」
あーもう、セブンと話してるとおかしくなってしまう。
「フフフ」
すると突然遠野君が笑い出した。
どうしたんだろう。セブンの言葉が聞こえたわけでもないでしょうに。
「先輩。そんな大げさに考えないでくれよ。今日はちょっとばかりイラついてたんだ……」
「そう……なんですか?」
「嫌なことがあってさ。機嫌が悪いって日さ。先輩だってそういう時があるだろう? 確かにちょっとばかりやりすぎて痛めつけてしまったけどさ」
「機嫌が悪い……? 良さそうに見えましたけどね」
セブンがそんなことを呟いている。
これに限ってはわたしも同意だった。
さっきドロボウを痛めつけていた遠野君は、妙に嬉しそうだったのである。
「……」
再びジュルジュルとココナッツジュースをすする遠野君。
「……」
しょうがないのでわたしもジュースを飲む。
なかなかさわやかな喉越し。
バリッ! バリバリバリ! ジュルジュルカリコリッ!
遠野君は後ろを向いてココナッツの果肉をかじっているようだった。
「うーん……」
お腹がいっぱいになれば機嫌も直るだろうか。
今日の遠野君は本当にどうかしている。
バリバリコリコリジュルンズルズル。
「と、遠野君……ずいぶんココナッツジュースが好きみたいですね」
ピタリ。
遠野君は動きを止め、ゆっくりと振り返った。
「あっ!」
わたしは遠野君を見て唖然とした。
遠野君の口から、その、なんていうか。
「カ、カブトムシの足じゃないですかっ? あれっ?」
あああ、言わないでください言わないでください。
じゃあ遠野君がカブトムシを食べたっていうんですかっ。
「……」
プチ、プチ、プチプチ。
うわあ、なんだか嫌な音がする。
「マママ、マスター。樹、樹にいたカブトムシが……い、いなくなっちゃってるんですけど……」
い、いえ、そんな! 見間違いです! きっとココナッツの筋か何かですよっ!
「うん。凄く好きなんだ。……ココナッツ」
ぞぞぞ!
遠野君の笑い顔を見て鳥肌が立った。
遠野君だというのに、なんていう気持悪い笑顔!
「じゃあ。ココナッツジュースも堪能したことですし、他へ行こうか? 先輩」
「は、はは、はい。お任せします……」
おかしい。
絶対におかしい。
どうなっているんでしょうか、これは?
「ところで先輩。そのチェリー食べるのかい?」
「あ、え、はい?」
わたしたちは歩道橋の上を歩いていた。
遠野君の言う、チェリーというのはココナッツジュースのおまけについてきたやつだ。
わたしはまだジュースを飲み終わっていなかったのである。
「食わないならくれよ。腹がすいてしょーがねーぜ」
「……は、はい。じゃあ、どうぞ」
チェリーを取って遠野君に。
「おおっとー危ないッ! シエル先輩!」
ドンッ!
「うわっ……?」
突き飛ばされた感覚。
次の瞬間、わたしは歩道橋の鉄柱を越えていた。
「ま、マスター!」
「……っ!」
鉄柱と鉄柱の間に手を挟み、落下を食い止める。
「じょうだんッ! ハハハハ? 冗談ですよぉ〜〜〜っ シエルせんぱぁい」
そんなわたしを見て笑っている遠野君。
「……」
わたしの中に、ふつふつと怒りの感情がこみ上げてきた。
「レロレロレロレロレロレロレロ」
チェリーを舌で転がす、まさに人を舐めきったような態度。
ベチャ。
チェリーが舌から地面へと転げ落ちた。
「また! なにバカづらしておれを睨んでいるんだよぉシエル先輩!」
かがんでチェリーを拾う遠野君。
「冗談だって言っとるでしょうが! あんたまさか冗談も通じねえコチコチのクソ石頭の持ち主ってこたぁないでしょうねえ〜〜」
そしてその落ちたチェリーをまた口の中に含んだ。
いくら遠野君だと言っても、もう勘弁出来ない。
ここはちょっと痛いお仕置きが必要なようだ。
「遠野君。あなたは何かに取り憑かれてしまっているようですね……わたしの拳で正気に戻りなさいっ!」
顔面向けて思いっきりパンチ。
「ブギャー!」
バガアッ!
「な、なっ……?」
わたしのパンチでなんと遠野君の顔はぱっくりと割れてしまった。
「うわー! 気持ち悪すぎですよー!」
セブンが悲鳴をあげている。
わ、わたしだって泣きたいですよっ。
なんなんですかこれは本当に!
「ヒヒヒ……違うなあ。取り憑かれているのとはちょっと違うなあ〜レロレロレロレロレロレロ」
「こ、これは……遠野君じゃ……ない!」
途中から怪しいと思ってたけどもう間違いない。
こんな気持ち悪いのが断じて遠野君であるものですかっ!
「気がつかなかったのかい? 俺の体格がだんだん大きくなっていることにまだ気づかなかったのかい?」
「はっ……」
そいつは遠野君どころか、ネロカオスの身長をも超えているようだった。
最初は遠野君とまったく同じだったというのに。
「何者ですか……あなた」
「俺は食らった肉と同化しているから一般の人間の目にも見えるし触れもするスタンドだ」
「スタンド……?」
ぐりゅぐりゅと遠野君だった顔が不気味に動いている。
「『節制(テンバランス)』のカード、イエローテンバランス!」
ババァン!
ついに遠野君の顔は砕け、中から見た事もないような男の顔が現れた。
続く