もしも秋葉が石仮面を被って吸血鬼になってしまったら。
「人間を超えるものにならなくてはね」
「何を言ってるんだっ!」
俺は一体どうするのだろう。
「私は人間を止めますっ! 兄さんっ!」
瞬間、秋葉の右手に持ったナイフが俺の肩を切り裂いていた。
「徐々に奇妙な冒険」
その5
波紋疾走
「くっ……」
勢いよく飛びのき、肉にまで突き刺さるのを避ける。
だが鮮血は空を舞っていた。
「ふふふふ……ふふふふふふふふ」
そして石仮面にその血が触れると、ビスビスと嫌な音を立てて秋葉の顔に食い込んだ。
「あ、秋葉……」
仮面が怪しい光を放っていく。
寸分違わない、ディオと同じ吸血鬼への変貌の兆しである。
「URRRRYYYYYYY!!」
叫び声を上げ仮面を取り外す秋葉。
その歯は吸血鬼の象徴ともいえる牙と化していた。
「秋……葉」
それでも俺は信じることが出来なかった。
あれは漫画の中だけの話のはずだ。
現実で起きる訳なんかないと。
「兄さん……ふふ。私は……こんなに」
跳躍する秋葉。
それは人間の飛べる高さではない。
アルクェイド並みの非常識さだった。
「私はこんなに素晴らしい力を手に入れましたよっ! この仮面からっ!」
バゴオンッ!
「うわっ……」
秋葉の着地した地面が砕けた。
「素晴らしい……素晴らしいですよ、兄さん」
「……怪物だな……まるで」
俺は眼鏡を外さざるを得なかった。
今の秋葉を世の中に放ってはいけない。
元はといえば全部俺が秋葉に本を読ませてしまったのがいけないのだ。
「せめて……俺が」
「殺すというのですか? 妹である私を」
「くっ……」
決心が揺らぐ。
だがやるしかない。
「秋葉っ……さよならだっ」
俺は秋葉に向けて短刀で突いた。
「ふん」
「ぐっ……」
だが七夜の短刀は秋葉の右手に突き刺さり、脳へ至る前に止められてしまった。
「貧弱、貧弱っ!」
「ぐ……っ!」
片腕の力だけで俺は吹き飛ばされる。
背中を激しく打ち付けられ、俺はそのまま前のめりにぶっ倒れた。
「大した事ないですね。これがあれの恐れていた遠野志貴なんですか?」
秋葉の足音がこつこつと近づいてくる。
「……」
駄目だ。体が動かない。
「では……兄さんの血を頂かせて貰いますよ」
秋葉の手が俺の頭に触れた。
「何をやっているんですか、遠野志貴っ!」
「……っ?」
パシイッという何か細いものを地面に叩きつける音。
「ふん……」
秋葉は数メートル離れたところへ着地していた。
「君……は?」
ふらふらと立ち上がると、あの幻のような女の子の姿が。
「言ったでしょう。不吉なことは考えてはいけないと。それなのに何故このようなことを考えたんです」
「……俺が考えたから秋葉がこうなっちまったっていうのか?」
その女の子はそう言っているように聞こえた。
「詳しい話は後です。とにかくこの場を離れましょう」
そう言うと女の子はしゅっとムチのようなものをしならせ、俺の体に巻きつけてきた。
「ちょ、ちょっと?」
「飛びますよっ!」
「だーっ!」
女の子は跳躍し、紐に釣られて俺の体も宙に浮いた。
「ふん……逃げるか、錬金術師」
秋葉がそんなことを呟いていた。
錬金術師。
なんのことだろう。
「なあ……」
尋ねようと顔を上げる。
「む」
ほほう、青のストライプか。
いわゆる縞パ……
「こんな状況でどこを見ているんですか貴方はっ!」
「わ、わわ、悪いっ!」
慌てて下へと顔を戻す。
「ふふふ……無駄無駄。その程度の高さなら飛び降りてもなんともないんですよ、兄さん」
バゴッ!
「なっ……」
秋葉は壁に足をめり込ませて上へと昇ってきた。
「……もう少し上まで行きましょう」
俺に巻きついている紐の力なのか、かなりのスピードで俺たちは上昇していく。
そして路地裏から一番近くにあるビルの屋上へ。
「ここまでくれば少しは時間稼ぎが出来ますね……」
そしてようやっと俺の体に巻かれた紐も解かれる。
「……まるでハーミットパープルだな」
俺はそんなことを思った。
「遠野志貴。あなたにいくつか質問をします」
女の子は俺に向かってそんなことを言う。
「ちょっと待ってくれ。こっちのほうが質問したいよ。わけのわからないことだらけだ。だいたい君は誰なんだ?」
「シオン・エルトナム・アトラシア。錬金術師です」
「シオン……錬金術師?」
「そうです。では問います。あなたの知っている遠野秋葉はあのような力を持っていましたか? 前に得た情報とあまりに違いすぎます」
「ちょ、ちょっと。話が早すぎる」
こんなんじゃちっとも状況を理解できないじゃないか。
「……そのようですね。では深呼吸を」
「すーはー……」
って俺も律儀にやるなよ。
「あ、秋葉はあんなんじゃないよ。石仮面を被っておかしくなっちまったんだ」
「石仮面?」
「ああ。いや、漫画の話なんだけど、何故かそれも実在してて……」
「……なるほど、その漫画の情報と秋葉の情報が混在してあのような姿になったわけですね?」
「え、う、うん。多分」
俺と違って女の子、いやシオンはやたらと状況理解が早かった。
「とりあえず先に言っておきましょう。あれは遠野秋葉の姿をしていますが、まったくの偽者です」
「ニ、ニセモノ?」
「はい。すぐに正体はわかると思いますが……」
ドゴオッ!
「ふっふっふ……追い詰めましたよ、兄さん」
「……秋葉っ」
秋葉がついに屋上まで追いついてきた。
「ふん……そんな演技は止めたらどうです? もう貴方の正体はわかっているんですよ」
「正体……? なんのことですか? 私はあなたなんて初めて見ます。兄さん、また新しい女を連れ込む気ですか?」
「い、いや、そんなつもりは……」
いつもの癖で弁明してしまう。
「下らない。貴方はわたしを最初に見たとき言いました。『錬金術師』と。本物の遠野秋葉ならばそんなことを知るわけがありません」
「あ……」
確かにそうだ。
シオンは妙な格好をしているけれど、一目見ただけで錬金術師だとわかるはずがない。
「……」
「さあ、いいかげん正体を……」
「フフフ、フフフフフフフ……ハハハハハハハ。いやいや失敬失敬。確かに下らないミスをしてしまったな」
途端に秋葉の声のトーンと口調が変わった。
「ふん。最初からそうすればいいんですよ」
シオンがムチを構える。
「戦う気か。だがこの体は強いぞ……元々の素質があったうえに強化されているからな」
「ええ。ですが所詮ただの吸血鬼です。それに……漫画をそのまま具現化したのなら……弱点もそのままということですよ」
「ほう……どうするというのだね」
「こうです」
シオンはそのムチを偽秋葉へ放ち、俺にやったようにがんじがらめに巻きつけた。
「これで……どうした?」
「知っているでしょう。漫画の知識を得たならばね。吸血鬼は太陽に弱い。そして太陽のエネルギーは……人間の呼吸、波紋で作り出せることを」
「……貴様、まさかっ!」
秋葉の目が光る。
その目の形は化け物といって間違いなかった。
「震えますハート! 燃え尽きるほどヒート! 刻みます血液のビート! 食らいなさいっ! 山吹色の波紋疾走ッ!」
「ギャアアアアアアアアアッ!」
ムチが山吹色に光り、秋葉をより締め付ける。
「波紋……波紋だって?」
吸血鬼も実在していれば、波紋も実在していたっていうのか。
「……これは迂闊だったよ。まさか波紋とやらも具現化してしまったとはな。ここは大人しくやられるとしよう……だが……悪夢は続く、ヒャハハハハハハハハ!」
偽秋葉はそう叫びながら黒いどろどろとしたものへと変わっていき、やがて塵と化していった。
続く