「姉さんこそ早くタオルをつけてください」
「えー? だからわたしは裸でー」
「姉さんっ!」
琥珀さんまで裸なのか。
「……うおお」
いたらいたで目のやりどころに困るし、いなければいないで想像を掻きたてられてしまう俺なのであった。
「間近に温泉があったなら」
その12
「では行きましょうか?」
「……ああ、うん」
色々とあれな想像をしてしまったせいでなんだか琥珀さんの顔を見づらくある。
「志貴さま、どうなされました?」
「あ、いや、なんでもないよ」
翡翠の顔も同様にまったく見れなかった。
「まあ志貴さんが変なのはいつものことだし。気にしないで翡翠ちゃん」
なんだかヒドイ言われようである。
「それで、志貴さん。残念なことがひとつありまして」
「残念なこと?」
「はい。この混浴ゾーンに水風呂はないんですよ」
「あ、そうなんだ」
それはむしろ今の俺にとっては嬉しいことであった。
この状態がずっと続いたら俺はおかしくなってしまうだろう。
「ですから、三十分後くらいに上がって合流いたしましょう。四階に卓球コーナーがあるんですよ」
「卓球か……」
そういえば有彦も卓球コーナーがあるって言ってたっけ。
「わかった。じゃあそうしよう」
「はい。それから志貴さんちょっと」
琥珀さんは翡翠から少し離れて手招きをした。
「ん? なに?」
近づくと琥珀さんは耳元に近づいてきて。
「今晩のオカズには事欠かないですね、あはっ」
などと言ってくれるのであった。
「なな、なななな」
「はーい。では翡翠ちゃん行きましょう〜」
「ちょっ、姉さん? 志貴さまに何を言ったのですか?」
「それは秘密だよ〜」
琥珀さんはスキップしながら彼方へと去って行っていく。
「で、では、失礼します」
翡翠も後を追っていった。
「……」
そして肯定も否定も出来ない自分がなんとも悲しいのであった。
「ああもう、水風呂入ってすっきりするぞっ!」
俺はやけ気味に階段を降りていた。
二段飛ばし三段飛ばしはあたりまえである。
降りる階段もサウナ状態で、また体中を汗が流出していた。
「ていっ」
この先水風呂と書かれた方向へダッシュで進んでいく。
「お? 遠野。今から水風呂か?」
すると反対の角から有彦がにゅっと現れた。
「どこ行ってたんだよ、おまえ」
「俺か? 俺はそこのサウナだ。おまえこそどこ行ってたんだ?」
「い、いや、俺はその……」
塩サウナで琥珀さんたちといちゃついてました、とはさすがに言えない。
「俺もその、他のサウナにいたんだよ」
「そうか。サウナの後はやっぱ水風呂だからなっ」
有彦は非常に単純で助かった。
「で、あの美人のねーちゃんたちはどこへ行ったんだ? おら? 実はでいちゃついてたんじゃねえのか?」
と思ったらそうではなかった。
やはり女性に関してだけは鋭いのである。こいつは。
「い、いや。そんなことなかったって。なんにも」
「ほんとだろうな?」
「ほ、ほんとだって」
「……ま、いいか。とりあえず水風呂でじっくり話を聞かせてもらうとしよう」
「は、ははは……」
琥珀さんたちと別れても俺に安息は来ないようであった。
「ここが水風呂だ」
「ああ」
目の前ではいかにも冷たそうな水が波打っている。
「さて……水風呂に入る前にやることはわかってるな、遠野」
「ん、まぁな」
とりあえずここには男しかいない。
俺は腰のタオルを外した。
「よーしっ。遠野っ! 体は乾いているなっ!」
「ああ。汗をかきまくってかなり水分不足だっ!」
「ならやるべきことはひとつっ! 水分補給だっ!」
「よし有彦っ! 行くぜっ!」
「おうっ!」
水風呂に入る前にやることはただひとつ、無駄にテンションをあげることである。
そして。
「とうっ!」
入水。
「……っ!」
風呂に入ったときとは間逆にひんやりとした感覚が全身を包み込んでいく。
だがこれに対して声を出すのはいけない。
声を出したら俺の負けなのだ。
すでに有彦との勝負は始まっている。
「……くうっ」
先に耐えられなくなったような有彦が声を出した。
「俺の勝ちだな。有彦」
「ちっ。テメエは我慢強すぎなんだよ」
「はぁ……」
水風呂で耐えなくてはいけないのは最初のほんの数秒だけである。
あとは体が水温に慣れてくれるから辛いということはない。
だがその最初だけは何とも辛いものなのだ。
そこでこんな勝負をいつからかやるようになってしまったのである。
昔住んでた有間の家の傍には小さい銭湯があり、そこでよく有彦と勝負をしていたのだ。
「これで何勝何敗だ?」
「さあな」
もう何度競ったかも覚えていない。
「お湯に浸かって何秒入ってられるか勝負もやったしなあ」
「ん。ここにもスゲエ熱い風呂があるぞ。後で勝負するか?」
「そいつは上等」
やはり野郎同士の風呂というのはどうしてもアホな方向に進んでいってしまうものなのだ。
「あ、でもさ。琥珀さんと約束があるんだ。だから早めにあがりたいんだけど」
「あん? なんだテメエ、やっぱりあの美人のお姉さんと約束があったのかっ。羨ましいぞこのおっ!」
「うわっ」
有彦は俺にヘッドロックを仕掛けてきた。
「だ、だからたまたまなんだって。それに、ただ卓球をやろうってだけだよ。それだけだ」
「それだけか? 本当にそれだけなのかぁ?」
「……多分」
それだけは素直に頷けなかったりした。
あの琥珀さんのことなのだ。ただそれだけだとはとても思えないのだが。
「ちっ。俺も一緒に行きてえがそうもいかねえしな」
有彦はヘッドロックを解除してくれた。
「行けないのか?」
「ああ。さっき同僚から姉貴が酔っ払って連れてかれたって聞かされちまったからな。引き取って連れて帰らねえとな」
「……そうか。イチゴさん、どうだって?」
「別に大した事はねえってさ。酒っつったって常人の酔うレベルじゃねえからな。俺にしてみりゃ水レベルだよ。なんであんなになるんだかわかんねえ」
酒に強い人間は弱い人間の心理がわからないという。
「まあ、しょうがないだろ。そういうもんなんだから」
俺もそうは強いほうではないので、どちらかというとイチゴさんを擁護したい感じだった。
ちなみに我が妹の秋葉はものすごい酒豪である。
「でも大丈夫なのか。よかった」
俺は安堵の息を漏らした。
「何言ってんだテメエ。美人のネーチャンと約束しておいてうちの姉貴の心配なんざしてるんじゃねえ」
「それはそれで、これはこれだろう」
イチゴさんには色々お世話になっているんだし。
今日はよいものを拝ませてもらったし。
「……」
イチゴさん、今回のこと覚えてなければいいけど。
もし覚えてたらお互い見た見られたでしばらくからかわれてしまいそうである。
そしてその危惧は琥珀さんにもまったく同じく当てはまっているのだ。
さらに琥珀さんはそれを絶対に覚えている、と。
「はぁ……」
これからしばらく大変そうである。
「どうしたんだ遠野? 風呂ってのは楽しく入るもんなんだぜ? ほら、笑え。はっはっはっはっはっは!」
「……」
俺はなんだか有彦のバカさ加減が少し羨ましくなりつつあるのであった。
続く