イチゴさん、今回のこと覚えてなければいいけど。

もし覚えてたらお互い見た見られたでしばらくからかわれてしまいそうである。

そしてその危惧は琥珀さんにもまったく同じく当てはまっているのだ。

さらに琥珀さんはそれを絶対に覚えている、と。

「はぁ……」

これからしばらく大変そうである。

「どうしたんだ遠野? 風呂ってのは楽しく入るもんなんだぜ? ほら、笑え。はっはっはっはっはっは!」
「……」
 

俺はなんだか有彦のバカさ加減が少し羨ましくなりつつあるのであった。
 
 




「間近に温泉があったなら」
その13















「うし。水分補給できたしそろそろ姉貴迎えに行くかな」

有彦はやれやれと体をあげた。

しかしこいつもなんだかんだで姉思いなのである。

普段なら水風呂に平気で一時間くらい入っているやつだというのに。

[そうか。俺が宜しく言っていたと伝えてくれ」
「おう。じゃあおまえは楽しんでくれよ。コンチクショウ」
「ははは……」

有彦は少し駆け足で走っていった。

「……」

これでイチゴさんのほうは大丈夫そうである。

「問題はもう一人か……」

後は琥珀さんをいかに対処するべきかということなのだ。

「……」

顔に水をかけてさっぱりさせてみるものの、全くいい考えは浮かばない。

「ええい」

琥珀さんだって人間だ。

今まであれだけ俺への策をこらしてきたんだから、もういい加減ネタも尽きただろう。

そうであって欲しい。

「……とりあえずまだ時間はあるし」

今は全てを忘れて色々な浴槽を楽しもうじゃないか。

階下には確か色々なものがあったはずだ。
 
 
 
 
 

「混んでるな……」

さすがに大浴場は誰でも入れるだけあって混んでいた。

がらがらの上の階との差がなかなか印象的である。

「さて」

それでもなんとか俺ひとりくらいが入れる余裕はあるだろう。

適当に何か面白いところはないか捜し歩いてみることにした。

「お」

まず最初に見つけたのが「うきうき風呂」というものであった。

「なんだ……? これ」

入ったら気持ちがうきうきするような風呂なんだろうか。

試しとばかりにそこへと入ってみる。

湯船は浅く、寝転がるには丁度いい深さであった。

頭を置く場所もしっかり設置されている。

これはいわゆる「寝湯」というやつだ。

俺は頭を何で作られてるかわからないけど柔らかいものに乗せて、横になった。

「……」

しかし別に気持ちがうきうきするということは別に起きなかった。

「何かあるのかな」

周囲を見まわしてみる。

「お?」

すると何かのスイッチを見つけた。

試しとばかりにそれを押してみる。
 

ぼぼぼぼぼぼぼぼ。
 

「うおっ……」

すると突然背中に向けて水流が下から湧き出してきた。

慌てて左右にあった手すりをそれぞれ握る。

と、水流に押される形で俺の体がふわふわと浮き上がった。

「……なるほど、そういうことか」

うきうき風呂とは体が浮く風呂という意味だったのである。

それと気分がうきうきをかけているわけだ。

「仕掛けがわかれば大した事ないな……」

と言いながらも体が浮いている状況はなかなか楽しかったりした。

「よっ、はっ」

片手を離してバランスを崩してみたり、足をばたばたさせたりして遊んでみる。

これは」普通の風呂ではなかなか出来ない事だ。

「しかし……」

なんだか水流の当たっている背中の部分が少しむずかゆくなってきていた。

ぽりぽりと片手で背中を掻く。

そしてもう耐えられそうにないかなーと思ったあたりで水流はゆるやかになり、止まってくれた。

なかなか絶妙のタイミングである。

「わーい、わーいっ」

隣のうきうき風呂では子供がはしゃいでいた。

確かにこのうきうき風呂は子供にうけそうだ。

「……っていうか」

周囲を見回すと入っているのは子供ばかりで、大人はどうも俺ひとりのようであった。

「さ、さーてあがるかな」

我ながらかなり演技くさいセリフを言って、俺はその場を後にした。
 
 
 
 

「ふう……」

さて次は何に入ろうか。

「お?」

今度は「泡風呂」なるものが目に映った。

文字通りぶくぶくとお湯一面に泡が立っている。

ライトでお湯が赤く照らされていて、ぱっと見はかなり熱そうだ。

「どれ……」

しかし手を入れてみるとまさに適温、ちょうどいい熱さであった。

「失礼しまーす」

俺は既に入っているおじさんたちに迷惑がかからないようにゆっくりと湯船に浸かった。

「お、おおお」

全身にまとわりついてくる泡がやたらとくすぐったい。

特に脇やら足の裏はかなり辛いものがあった。

「……」

しかし周囲のおじさんたちはむしろ、むすっとしたしかめっ面である。

「むぅ」

こんな状況では笑うに笑えない。

俺は笑いを堪えるために眉間に皺を寄せ、ぎゅっと唇をかみ締めた。

「……」

と、つまりこれがしかめっ面なわけである。

なんのことはない、他のおじさんたちも笑いを堪えてこんな顔になっているわけだ。

「ははは……」

そのおかしさと泡のくすぐったさが重なって俺は耐えきれず笑ってしまった。

「ふ……ははは」

そんな俺を見て周りのおじさんたちもつられたように笑い出す。

「いや、ははは、ついくすぐったくて」

俺はぽりぽりと頭を掻いた。

「そうだよなぁ。くすぐったいよなあ、坊主」

見知らぬおじさんが気さくに話しかけてくる。

「ですよねえ」

だが嫌な感じはまったくなかった。

俺たちは同じ感情を味わったもの同士なのだから。

「ほんと、この泡何の効果があるのかもわからないしな」

別のおじさんがそんなことを言った。

「でもなんか効果がありそうでつい入っちまうんだよなあ」

さらに別のおじさんが相槌を打つ。

「そりゃあ言えてるな」
「ははは……」

VIPの広い風呂をほとんど貸し切り状態だったのもよかったけれど、これもこれでいいなと思った。

これは旅の醍醐味と似ている。

それは人情に触れることなのだ。

近くにありながら、遠くへいったような旅情を感じられる。

温泉や銭湯はそんな不思議な力があるのかもしれない。
 

「……」
 

ただ、そんな中ひとりだけおじいさんがむすっとした顔をしたままである。

「ん」

そんなおじいさんと俺の目が合った。

「……ふ」
 

するとおじいさんは白い歯のたくさん残っている口を開いてニカッと笑ってくれるのであった。
 

続く



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