俺と琥珀さんがそんなやり取りをしている間も秋葉と翡翠の試合は進行している。

点数は5−1。

なんだか短時間ですごい点差になってしまっていた。

「くうっ……またっ……」

だが、それは実に不可思議な展開であったのである。

「私の得点ですね」

そう言って点数をめくる翡翠。

6−1。
 

そう、つまり試合を優位に運んでいるのは翡翠なのであった。
 
 



「間近に温泉があったなら」
その16












「……どうなってるんだ?」

俺はさっぱりわけがわからなかった。

完全に秋葉が攻めていたはずなのに翡翠が優勢だなんて。

「……」

とりあえず今度は真面目に試合展開を見ていくことにした。

「せいっ!」

相変わらずの高速サーブで攻める秋葉。

「……っ」

そしてやはり翡翠は返すだけで精一杯といった感じである。

「せいっ! このっ!」

右へ左へ高速サーブの嵐。

っていうか秋葉があんまりにも動くもんで浴衣はだいぶはだけていた。

「う……」

ついに耐えきれなくなったのか、翡翠は返す球を高くバウンドさせてしまう。

「来たっ……」

高く上がった球というのは上から叩きつけやすいのでチャンスボールなのだ。

「今度こそぉっ!」

秋葉は思いっきり振りかぶりその球を打ちぬいた。

物凄いスピードの球が翡翠へ向けて飛んでいく。

「……っ!」

その球から逃げるように飛びのく翡翠。

翡翠の真横を球が通りすぎていく。

「……」

これはいかにも秋葉が点を入れたように見える。

だが。

「アウトです、秋葉さま」

そう、卓球は相手の陣地に一度球を当てないとミス扱いになるのである。

秋葉の球は翡翠の陣地をかすることなく飛んでいってしまったのだ。

そんなわけで今のは秋葉のミス。

翡翠に得点が入る。

「……っ! 翡翠っ! さっきからそのバウンド球っ! いい加減になさいっ!」

どうやら秋葉の失点は全てその球でのミスのようである。

「で、ですが、秋葉さまの球が早過ぎてああ返すしか……」

翡翠は大分困っているようだった。

「秋葉。勝負なんだから卑怯とかそういうもんじゃないだろ?」

俺は仕方なくそう言った。

「で、ですが。なんであんなに決まらないんでしょう」
「力み過ぎなんだよ。もっと強く打つんじゃなくて、軽く打つとか、手前を狙うとか」
「て、手前を……」
「ああ。だからこうやってだな……」

俺はラケットを振る素振りをしてみせる。

「……兄さん、全然わからないのですが」
「だからー。ちょっと翡翠タイム」

俺は秋葉の後ろに立った。

「構えて。こうやって……こうだろ?」

秋葉の手を掴んで実際に振らせてみる。

「こここ、こうですか」

秋葉はなんだか妙にぎこちなかった。

「違う。こうやって……こうだ」
「……は、はい」

そしてずいぶんと大人しくなってしまった。

「むぅ」

さっきまでの威勢はどこに行ってしまったんだろう。

「に、兄さん。その」
「ん。なに?」
「その、汗くさくないですか?」
「う」

別に汗のにおいくらいどうってことないだろうけれど、やはり女の子は意識してしまうものなんだろう。

「い、いや、うん、大丈夫だよ、うん」

むしろ妙な色気を感じてしまってそっちのほうが大変だった。

「そ、そうですか」
「……うん、だから、まあ、その、頑張ってくれ」

慌てて秋葉から離れる。

「……」

翡翠はなんだかむっとした顔をして俺を見ていたけれど多分気のせいだろう。

「で、ではもう一度……せいっ」

ややスピードは鈍ったもののやはり早い秋葉のサーブ。

「……や」

なんと翡翠が素早い動きでそれを返した。

「なっ」

不意をつかれたもののなんとか打ち返す秋葉。

「せい」

今度はゆるい球。

「くっ……」

そしてそれは秋葉の苦手とする高い球であった。

「秋葉、さっきのイメージ通りにやれば出来るって」
「に、兄さん」

きゅっと構える秋葉。

そして。

「せやあっ!」

翡翠の陣地めがけ思いきりスマッシュを打った。

「お……」

今度はちゃんと翡翠の陣地内へと入っている。

この球を打ち返されなければ秋葉の得点だ。

「えい」

ぽん、ぽんぽん。

「……あ、あれ」

だが秋葉のスマッシュはいともあっさり翡翠に打ち返されてしまった。

「ちょっと! 兄さん。全然駄目じゃないですかっ!」

途端に怒り出す秋葉。

「え、いや、ちょっと待って」

今のスマッシュは秋葉の打ってきた球の中でもっとも早いものであった。

それなのにあっさりと返されるだなんて。

「ひ、翡翠、どうしたんだ?」

翡翠は今までの消極的な戦いから打って変わって俊敏な動きへと変わっていたのである。

「知りません」

翡翠はむっとした顔のままでそんな事を言った。

「……」

一体翡翠に何があったっていうんだろう。

「どうですかー? 試合は進んでますかー?」

そこへ琥珀さんが帰って来た。

「あ、うん」
「ほほう。翡翠ちゃん優勢な感じですね。秋葉さま、頑張って下さいな」
「言われなくてもわかってるわよ」
「……試合を続けましょう、秋葉さま」

翡翠は変に燃えている。

「なんか翡翠変なんだよなあ」

俺は琥珀さんにそう囁いた。

「はぁ。何があったんでしょう?」
「いや……わかんないけど、俺が秋葉に球の打ち方を指導してからちょっと」
「あー」

琥珀さんは原因がわかったような顔をしていた。

「わかるの?」
「そりゃあもちろん。でも志貴さんには内緒です」
「はぁ」

それは女性にしかわからないもんなんだろうか。

それとも俺が鈍過ぎるだけなのか。

「うーん」

俺は思わず考え込んでしまった。

「行きます」

今度は翡翠のサーブ。

「くっ」

翡翠の戦法はいたってシンプルなもので、相手を右へ左へと走らせるものだ。

だがそれは最も効果的なものでもある。

「てい」
「あっ……」

左ギリギリを狙った球を拾うことができず、秋葉の失点になった。

これで得点は7−1。

「あ、ちなみに11点取られたら負けですよ、秋葉さま」
「わ、わかってますっ! 少し静かにしてなさいっ!」

しかしこの力量差じゃ同頑張っても秋葉は勝てなさそうである。

「あはっ。頑張って下さいねー」
「続けていきます」
「あ、ちょっと……」

再び再開される高速ペースな試合。

「なんだか熱血翡翠ちゃんも新鮮でいいですねー」
「うーん。ちょっと違和感あるけどね」

翡翠にやられる秋葉という構図は珍しいかもしれない。

「くっ……このっ!」

しかし秋葉もやられているばかりではなく、懸命に戦っていた。

だがやはり実力差は激しく、11−3で翡翠の勝ちになった。
 
 
 
 
 
 

「す、すいませんでした。つい熱くなってしまって……」

試合が終わった後の翡翠は急に大人しくなってしまった。

「結局翡翠はなんで熱くなっていたのかさっぱりわからなかったな」
「志貴さんは愚鈍です」

俺が呟くと琥珀さんが翡翠の真似をしていた。

そうか、やっぱり俺が愚鈍なのか。

がっくり。

「いいのよ。兄さんが言ってたけれど、勝負なんだし」

翡翠に向けてそう言う秋葉。

だがやはり顔は悔しそうであった。

「あはっ。次はわたしとの勝負ですねー」
「……ああ、うん」

そして次は俺たちの対戦だ。

何が起こるのやら不安で一杯である。

「でもその前に」
「その前に?」
「ドリンクタイムと行きましょう〜」
 

そう言って琥珀さんは胸元から牛乳瓶を取り出すのであった。
 

続く



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