そして顔を拭かないまま瓶に口を近づける。
「ちゅ……ふぁ……美味しい……」
「琥珀さん、絶対おかしいから、それ」
「えー。ごく普通にヨーグルトを飲んでいるだけじゃないですかー」
「……」
ちなみに秋葉や翡翠は我関せずと言った感じでそっぽを向いてしまっていた。
「それとも、何かイケナイことを想像してしまったりしているんですか〜? 志貴さんは」
そんなわけで俺はまずこの浴衣を着た悪魔の誘惑と対決しなければいけないようであった。
「間近に温泉があったなら」
その18
「この先っぽのところが美味しいんですよね〜」
牛乳瓶の先をぺろぺろと舐める琥珀さん。
「そ、そうだねえ」
俺はどぎまぎしながら返す。
「こうやって瓶をさすりながら飲むとさらに美味しいんですよー」
瓶に当てた左手を上下に動かす琥珀さん。
瓶に対してそんなことをやってもてんで無意味だとは思うんだけれど。
他のものに対してだったら効果は絶大そうである。
「はっ!」
そこで俺は我に返った。
こういう風に琥珀さんのペースに巻き込まれてしまうからいけないのだ。
俺も秋葉たちを見習って知らん振りをしてしまおう。
「あー、コーヒー牛乳が美味いなあ、うん」
そっぽを向いてコーヒー牛乳を飲んでみる。
「あらら」
琥珀さんは少し呆気に取られたようであった。
「志貴さーん、どうしましたー?」
「いやあ、風呂上りはやっぱり牛乳に限る」
何を言われても相手にしない。
「志貴さーん」
「さて、ラケットの確認をしないとなぁ」
「……ぐすっ」
「げ」
振りかえると琥珀さんは涙目になっていた。
「志貴さんがわたしのことを無視します……わたしはいらないってことなんですね……」
手の甲で涙を拭う琥珀さん。
「あ、いや、その……」
「ちょ、兄さん。何をしているんですか? そんな、琥珀を泣かせるような真似をして」
今までは無関心だったのに急に口を挟んでくる秋葉。
「い、いや、別に何も」
「秋葉さま〜。志貴さんが酷いんですよ。おまえの顔をベタベタにしてやるってヨーグルトをぶちまけて」
琥珀さんはここぞとばかりに情報を捏造していた。
「……そんなことをしたんですか?」
「ち、違っ」
「うわーん。志貴さんは鬼です。悪魔ですー」
「だあ、ちょっと……」
実際に悪事を働いていたのは琥珀さんだというのに。
このままでは俺が悪者にされてしまいそうである。
「それで姉さん。その目薬はなんでしょう」
と、翡翠が琥珀さんの手を取りそんなことを言った。
「あう」
苦笑する琥珀さん。
手には翡翠の言う通り目薬が。
つまり涙は嘘っぱちだったというわけだ。
「……琥珀」
じろりと琥珀さんを睨みつける秋葉。
「あ、いいえ、これはその、心理作戦というやつでー」
「いいからさっさと勝負を始めなさい」
「はーい」
さすがに琥珀さんといえども真っ向から秋葉に睨まれると弱いようであった。
そんなわけで渋々顔のヨーグルトを拭い、台に立つ琥珀さん。
「ちぇ。志貴さん、そんな反応じゃつまらないじゃないですか。もっと恥ずかしがったりわけのわからないことを言ってくださらないと」
「いっつも琥珀さんにやられてばかりじゃいられないからね」
と言いつつ涙攻撃にはやられそうになってしまったけれど。
「ですがここからが本番ですからね。勝負の中でわたしの真髄をお見せしますよ〜」
「ぬう」
つまり今までのは余興で、ここからがいよいよ恐ろしいということなんだろうか。
「さあ、いきますよ〜」
早速の琥珀さんのサーブ。
スピードはまあ……普通だ。
「てい」
俺は普通に打って返す。
「あ、あれ?」
ところが俺の打ち返した玉は変な跳ね方をしてネットに引っ掛かってしまった。
「ふっふっふ。さっそくわたしの得点ですよ」
「……おかしいな」
前に有彦と対戦した時は今みたいな返し方でよかったと思うんだけど。
「志貴さま。姉さんは回転をかけて打っています」
俺が不思議に思っていると翡翠がそんなことを言った。
「回転か……」
「ナナメに打てばその球を返せると思います」
「あーっ。翡翠ちゃん、ばらしちゃ駄目だよ〜」
顔をしかめる琥珀さん。
「姉さんこそ素人の志貴さまにそんな技を使うなんて大人げないと思います」
どうやら翡翠と琥珀さんは結構卓球が上手いらしい。
「ナナメに打てば返せるんだな、よーし」
「う〜。カットがばれたからって負けはしませんよ〜」
再び琥珀さんのサーブ。
「とうっ」
俺は翡翠に言われたとおりラケットを斜めにして打ち返してみた。
すると綺麗に琥珀さんのほうへと飛んでいく。
「やりますねー」
琥珀さんはその球を簡単に返してくる。
「えい」
「てりゃりゃーっ」
しばらくラリーが続く。
「えいっ。胸チラサービスアタックっ!」
言葉通り浴衣をはだけさせて胸を強調するサーブ。
もう少しで先端が見えてしまいそうである。
「わっ……」
と、目を取られている隙に球は俺の横を通過していってしまった。
「くそっ」
罠だとわかっていてもどうしてもつられてしまう。
悲しい男のサガである。
「琥珀っ! そんな邪道なサーブ許しませんっ!」
そんな琥珀さんに対して秋葉がやたらと過剰な反応を見せていた。
「えー。浴衣をはだけさせるのが卓球の醍醐味なんですよー」
琥珀さんの言い分は正しいような間違っているような。
「とにかく胸を強調するのは止めなさい、琥珀」
「わっかりました……とほほ」
これで琥珀さんのお色気作戦は封じられたも同然だ。
「ていっ」
俺は安心してサーブを打った。
「必殺 ふとももが浴衣からちらりと見えちゃうぞスマーッシュ!」
が、全然駄目だった。
今度はふとももに目を取られて点を取られてしまった。
「ちょっと琥珀さん……」
今のも卑怯だと思うんだけれど。
「……なるほど、その手は効果的かもしれないですね」
今度は秋葉は何も文句を言わないのであった。
「秋葉。今のはずるくないのか?」
俺はそう尋ねてみた。
「いえ。今のは気を取られた兄さんが悪いんです」
「……」
どうやらふともも攻撃は秋葉でも出来るから俺の対戦のときにでも使うつもりらしい。
「さいですか」
翡翠は恥ずかしそうに俯いてるのでフォローをさせるのも可哀想である。
くそう、琥珀さんの色気なんかに屈するもんかっ。
俺はやってやるぞ。
「小さくジャンプして胸の谷間が揺れちゃうぞアターックっ!」
「う……」
「下着をつけてないからこんなところまで見えちゃうぞクラーッシュ!」
「ぐむぅ……」
「うっかり帯がはだけそうになってはだ……キャーッ!」
「えっ! それ狙ってじゃないのっ?」
とまあ、その他様々なバリエーションのお色気攻撃の前に結局は太刀打ちできず、俺はストレートで完敗してしまうのであった。
続く