「ネコですかね? 最近この辺りに多いらしいですけど」

すると、いかにも演技くさく「うにゃ〜」なんて声が聞こえた。

「あらあら。ネコだったみたいですね?」

琥珀さんはそんな事を言ってくすくす笑っている。

「は、はは……」
 

割烹着を来ていようが来てなかろうがこの人は間違いなく悪魔なのであった。
 
 




「間近に温泉があったなら」
その2








「ここを左に行くんですよー」

妙に大きな声で行く先々を説明してくれる琥珀さん。

「あ、うん」

左へと進んでいきながらちらりと後ろを見ると、秋葉たちが相変わらずバレバレの尾行を続けていた。

「琥珀さん、せっかくなんだから翡翠と秋葉も誘っちゃえばいいんじゃないかな」

なんだか二人が不憫に思えてきたので俺はそう提案してみた。

「いえ、ですがもう到着してしまったんですけど」
「到着?」

きょろきょろと辺りを見廻してみる。

だが温泉施設らしいものはどこにも存在しなかった。

「えっと、どこにあるの?」
「ですから目の前にです」
「……これが?」

目の前にあるのはごく普通のコンクリートビルであった。

まるっきり都会の象徴そのものみたいな作りのビルである。

「そこに大きな看板が立ってるじゃないですか」
「看板……」

普通会社名などが書かれている看板のあたりには、確かに『天然温泉 極楽湯』とか書かれていた。

なるほど確かにここは温泉施設のようだ。

「……もうちょっと外観をよくしたほうがいいと思うんだけどなあ」

実際遠くから見てこれを温泉施設だと思う人間はいないだろう。

この道を何度か通った事もあるけど俺はここが温泉だなんてまったく知らなかった。

「いえいえ、外観と中身のギャップがまたいいんですよー」
「そういうものかなぁ」
「ええ。外観は現実の象徴です。ですが中へ入れば夢の世界。それがここのコンセプトですから」
「ふーん……」

まあ世の中なにがうけるかわからないものだ。

もしかしたらここも評判の温泉施設なのかもしれない。

「ささ、早速入りましょうー」
「あ、うん」

琥珀さんに背中を押される形で自動ドアをくぐる。

「階段で二階へ行くんです」

琥珀さんの言う通り目の前には階段がある。

というかそれしかない。

他はちょっと遠くにトイレらしきものが見えるだけで、ここは本当に温泉施設なのかという疑いは強くなるばかりである。

「……」

振りかえってみたが秋葉たちの姿はもうなかった。

もしかしたら諦めたのかもしれない。

「まあいいや。とりあえず行ってみよう」

ここまで来たら今更引き返す気にもならない。

騙されたつもりで先へ行ってみようじゃないか。

「はい。ほんとにびっくりしますよー」

二階なのですぐに階段は終わってしまった。

階段のてっぺんにはようやっと風呂屋らしい暖簾がある。

その暖簾があんまりにもでかいせいで中は丸っきりわからなかった。

「いざ、桃源郷へ……」

そして暖簾をくぐった。
 
 
 
 
 

「……」

瞬間、そこは確かに別世界に変わっていた。

床から天上まで全て木材で囲われていて、木の匂いまでしてくるような気がする。

木々はところどころに煤で黒くなったような跡があり、そこがまた古臭くていい。

「すごいな、ここ」

暖簾の反対側は間違いなくただのビルだというのに。

「ええ。来た瞬間にタイムスリップしたような錯覚を感じさせるのがコンセプトだそうです」
「うん……確かにこりゃ凄い」

これはかなりの驚きである。

入った瞬間にもう気分がリフレッシュしてしまうような勢いだった。

「さあさあ、ここだけじゃありませんよー。中もびっくりするんですから。こちらへどうぞ〜」
「あ、うん」

琥珀さんはてくてく歩いていって、これまた古臭い木造の下駄箱に草履を入れていた。

「へえ、懐かしいな。近所の風呂屋もこんなのだったよ」
「そうなんですかー」

琥珀さんの隣の下駄箱に靴を入れる。

靴を入れたら蓋を閉じて木の札を抜くのだ。

この木札が靴の鍵になるわけである。

「いの一番か……」

俺の札は一番風呂の代名詞であった。

なかなか縁起がいいようだ。

「志貴さん、先にこちらを渡しておきますね」
「ん?」

琥珀さんは俺に束ねられた紙を手渡してくれた。

「回数券?」

紙にはそんな文字が印刷されている。

ぱらぱらとそれをめくっていく。

目算だが十数枚くらいであろう。

「普通に入浴料を支払うよりも断然お得な回数券です。有効期限はありませんのでどうぞ使ってくださいね」
「いいの? こんなに貰っちゃって」
「ええ。まだこんなにありますから」

琥珀さんは両手で回数券を扇状にして開いて見せた。

「す、すごいな」
「ええ。一年経てば使いきっちゃいますけどね」
「お金かかったんじゃない?」
「いえいえ。ですからわたしはVIP待遇ですし。そもそも必要経費で落としちゃいますからねー」
「え」

何かタチの悪い政治家が似たような事を言っていたような気がする。

「さあさあ、行きましょう行きましょう」
「う……うん」

なんだかイヤな汗をかきはじめている背中を押され、仕方なしに前へと進んでいく。

下駄箱の先にもうひとつ暖簾が見えた。

「そういえば俺、琥珀さんみたいに風呂道具一式持ってこなかったんだけど、大丈夫?」

学校帰宅からほとんど着の身着のままで来たので、実はお金すらほとんど持っていないのであった。

一応普段着に着替えてはあるけど。

「そのことなら平気です。きちんと志貴さんのぶんも持ってきておきました」
「あ。そうなんだ。助かる」
「ええ、ちょっと待ってくださいねー」

琥珀さんはごそごそと脇に抱えた桶の中をさぐりはじめた。

「はい、どうぞ」
「……」

琥珀さんが渡してくれたタオルには、真っ赤な顔の天狗がどでかく描かれていた。

これを腰に巻けというのだろうか。

「お気に召しませんでしたか?」
「あ、いや、うん、その。なんていうか……和風だね」

すごいセンスだね、とはさすがに言えなかった。

「はい。ここの雰囲気にぴったりでしょう?」
「そ、そうかな……はは」

さすがは琥珀さん。やることが違う。

「石鹸などは中に置かれていますので、それだけで事は足りると思います」
「そうなの?」
「ええ。いたせりつくせりですよー」

それは不精者にとっては悪魔の計らいと言えよう。

仕事帰りのサラリーマンも大喜びに違いない。

「ではさっそく中にー」
「うん」

二つ目の暖簾をくぐる。
 
 
 
 

「いらっしゃいやせーっ!」

入った途端に男らしい挨拶で出迎えられた。

中々好感が持てる感じだ。

「……げっ!」

だが次にそんな叫び声が響いていた。

「なんだ?」

声のしたほうを見る。

「げっ」

見た瞬間俺も同じ言葉を言ってしまった。

何故かってそりゃあ理由はひとつしかないに決まってる。

「テ、テメエなんでこんなところにいやがるんだよっ!」
「おまえこそなんでいるんだよっ! ……有彦っ!」
 

出迎えてくれたのは他でもない我が悪友、乾有彦だったのであった。
 

続く



あとがき
なんか前回「完」とか書いてしまいましたが(吐血
もちろん続きます(苦笑



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