「なんだ?」

声のしたほうを見る。

「げっ」

見た瞬間俺も同じ言葉を言ってしまった。

何故かってそりゃあ理由はひとつしかないに決まってる。

「テ、テメエなんでこんなところにいやがるんだよっ!」
「おまえこそなんでいるんだよっ! ……有彦っ!」
 

出迎えてくれたのは他でもない我が悪友、乾有彦だったのであった。
 
 




「間近に温泉があったなら」
その3












「んなもん決まってるだろ。バイトだバイト。他に何がある?」
「……バイトか」

言われてみれば至極まともな理由だけど、こいつが採用されたということが驚きだった。

「ああ。まだ三日目だけどな」

ちなみに有彦の格好はハッピをアレンジしたようなものである。

黒髪にねじりハチマキと、祭りの場所にいてもおかしくない雰囲気だ。

「……ちょっと待て。有彦、オレンジヘアーは止めたのか?」
「あん?」

頭を指差す有彦。

髪型自体はさほど変わっていないものの、有彦の髪は完全漆黒とも言えるほど黒い髪の毛だった。

「ああ、こりゃヅラだ。採用はするけどこれを常につけろってさ」

僅かに黒髪をずらすと、見慣れたオレンジの髪が顔を覗かせていた。

「なるほど」

やはり接客業にあの髪色は駄目だったんだろう。

しかしカツラ着用でも雇ってくれたのは奇跡だ。

「志貴さんのお知り合いなんですか?」

やや後方で俺たちのやり取りを見ていた琥珀さんが尋ねてくる。

「ああ、まあ悪友ってやつだよ」
「……お? おおお?」

琥珀さんを見て顔色を変える有彦。

「遠野。その美人は誰だ?」
「あはっ。美人だなんてそんな。照れますねー」

まんざらでもなさそうな顔をしている琥珀さん。

「あ、言い遅れましたが俺は乾有彦と言います。以後宜しくっ」

びしっと親指を立てる有彦。

相変わらず男か女性かで態度の全然変わるやつである。

「これはご丁寧にどうも。わたしは琥珀です。遠野家で秋葉さまのお世話をさせていただいています」
「ほほう、秋葉ちゃんの。俺、秋葉ちゃんとも仲いいんですよ? な? 遠野」
「あー、うん」

実際は有彦が猛烈アピールしているがてんで相手にされてないって感じである。

「そうなんですか。それはありがとうございます。ですが今は有彦さんはお仕事中ですし、私語は慎んだほうが宜しいのでは?」
「ん、あ、へい。そうですね。ええ、はい、ご案内いたします。番台はあちらになりまーす」

営業モードへと戻る有彦。

知り合いが仕事をしている姿ってのはなかなか見れないもんで、見ていて面白かったりする。

「ほら遠野。てめえもさっさと来やがれ」
「こら有彦。客にはもっと丁寧な言葉で話せよ」
「ほう。ではお客さま。こちらでございますからどうぞお急ぎなさいませ」
「……気持ち悪いからやっぱ止めてくれ」
「はっはっは。俺も気持ち悪い」

有彦とバカなやりとりをしながら番台へ。

番台とは言っているものの、まあいわゆるフロントである。

「いらっしゃいませ。……これはこれは琥珀さま。毎度ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ繁盛しているようで嬉しいですよ」

さすがVIP待遇というだけあって、琥珀さんはフロントの渋い男性に丁寧な挨拶をされていた。

「遠野。実はあの人って凄い人なのか?」

そんなやりとりを見て有彦がささやいてくる。

「まあ、一癖も二癖もある人であることは間違いないかな」

策士としては間違いなく一級品だと思う。

「そいつは攻略しがいがあるな……」

有彦は無駄に燃えていた。

「オマエには無理だと思うからやめとけ」

友人として親切な忠告をしておいた。

「遠野。何事もやってみなきゃわからんだろう?」
「だあ、いいからおまえは仕事をやってろ」

有彦の女性への情熱は一部見習いたいところがあるけど、いかんせん時と場所を選ばなさすぎである。

「志貴さん、こちらへ木札を預けて下さいな。それと回数券も」
「あ、うん」

琥珀さんに言われてフロントへ。

「こちらは遠野のご子息さまです」
「なんと。日頃お世話になっております。私、当店の支配人をやらせて頂いている長瀬と申します。以後お見知りおきを」
「は、はあ……」

なんかこう、お坊ちゃん扱いされるのは初めてなのでいささか戸惑ってしまう。

「本日はVIP待遇でのご入浴で宜しいですか?」
「あ、えーと」
「長瀬さん。わたしが来た時のいつものコースで構いませんので、宜しくお願いします」
「……は。かしこまりました」

なんだか俺の知らないところで勝手に話が進んでいるようだ。

「ではこちらをお持ちになってください。ロッカーに必要な道具一式は全て入っておりますので」
「あ、どうも」

手渡されたのはゴムのわっかであった。

そのわっかに鍵がつけられている。

「これを腕につけるわけか」
「ええ。無くさないように気をつけてくださいね」
「大丈夫だって」

いくら俺でもそんなミスはするまい。

「男湯はあちらで、女湯の入り口はあちらになります。これも間違えないでくださいねー」
「だ、大丈夫だって」

男湯は青で、女湯は赤の暖簾だ。

字も印刷されているし、間違えるわけがない。

「はい。ではまた後でお会いしましょう〜」

琥珀さんはそう言って女湯へと入っていった。

「……あ」

しまった、待ち合わせ時間を決めてなかった。

女の人のお風呂は長いっていうから、いつ出てくればいいかわからないじゃないか。

「戻ってくるかもしれないな」

琥珀さんがそれに気付いて戻ってくるかもしれない。

少し暖簾の前で待ってみる。

「……」

周囲を伺ってみたが、お客さんらしき姿はほとんどなかった。

果たしてこの温泉施設は本当に大丈夫なんだろうか。

有彦なんぞを雇っている時点でもう不安で一杯である。

「……来ない」

そして琥珀さんも戻ってこない。

「ええい」

考えても仕方がない。

温泉ってのは息抜きに来るもんだ。

そんなところであれこれ考えてストレスを増やしちゃ意味ないじゃないか。

「よし」

さっさと入ってさっさと出よう。

そして琥珀さんを待つ。

それでオッケーだ。

さあいざ温泉へ。
 

「翡翠っ。何をやってるのっ! 急ぎなさいっ!」
「は、はいっ……」
 

なんかまたどっかで聞いたような声が聞こえた気がする。

「……」

ここで俺が取るべき選択肢はふたつあるだろう。

ひとつは俺が二人に会ってなんとかする方法。

もうひとつはもう琥珀さんに全部任せてしまう方法だ。

この場合重要なのは俺と琥珀さんでどちらが二人を上手くあしらえるか、ということである。

「よし」

そんなものはもう決まりきっているのである。

「……琥珀さん、後は頼む」
 

俺は琥珀さんに全てを任せることにして男湯の暖簾をくぐるのであった。
 

続く



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