ひとつは俺が二人に会ってなんとかする方法。
もうひとつはもう琥珀さんに全部任せてしまう方法だ。
何故って二人がどんなに頑張ったって男湯に来るというのは無理なのだから。
「よし」
君子危うきには近寄らずだ。
俺は何も見なかったことにして男湯の暖簾をくぐるのであった。
「間近に温泉があったなら」
その4
「……えーと」
暖簾をくぐるとまた階段がある。
そしてそれぞれの階段の傍に数字が書かれていた。
「鍵の番号かな?」
自分の鍵を見てみる。
番号は四千百弐拾六番。
ヨイフロである。
これまた縁起がいい。
「……の割に先行き不安だけどなぁ」
どうしても秋葉たちのことが気になってしまう。
「やっぱり引き返すか」
そう思って踵を返す。
「よう」
そこには有彦がいた。
「なんだよ有彦?」
「ああ。俺は今日仕事終わりだからな。せっかくだし裸の付き合いといこうぜ」
「終わり? おまえ、いつからバイトやってたんだよ?」
「当然、朝からだ」
そういえばコイツ今日は学校いなかったなあと今更思い出す。
「何も朝出ることないだろ? 他の夜のバイトとかなかったのか?」
「いや。色んな理由があって俺はここを選んだんだよ。どうしてもここじゃないと駄目なんだ」
有彦は真剣な表情だった。
こいつもこいつなりに事情があるんだろう。
「まあいいけどさ。単位だけは気をつけろよ」
「わーってるわーってる」
「それより有彦、おまえ……」
「ん?」
秋葉を見なかったか、と言いかけて止めた。
もし有彦が秋葉の来ていることを知ったらさらに面倒なことになってしまいそうだからである。
「なんだ?」
「……いや、ええと、この鍵のところを探してるんだけど」
そんなわけで別の疑問を尋ねてみた。
「ほう。どれどれ……ってヨイフロか。見事にVIP待遇だな」
有彦は鍵を見て目を丸くしていた。
「この番号でもうVIP待遇なのか?」
「ああ。4000番台はVIPだ。特にヨイフロはよっぽどのことがねえと渡さねえ。入れる場所も変わってくる」
「入れる場所も変わる?」
「おう。……まあ歩きながら話すか。とりあえずこの番号はここなんでな」
有彦が指差したところには4000〜と書かれている。
「で、場所が変わるってどういうことなんだ?」
階段も木で出来ているのかと思ったら木で作ったように見せたエレベーターであった。
さすがはVIP待遇、いきなり文明の利器である。
「日によって開放してるトコが違うんだよ。月曜日は三階四階、火曜日は二階三階みたいな感じでさ」
「へえ」
「だから毎日来ても全然違うところに入れるってわけだ」
「そりゃなかなか面白いなあ」
そういうところなら俺もバイトをしてみたくなるかもしれない。
「まあちょっと金を払えば任意の場所にも入れる。一般開放されてるとこはやっぱ混んでるから割とそういう風に入ってく客も多い」
「ふーん。じゃあVIP待遇ってのはもしかして」
「その通り。いつでもどこでも好きなトコに入れるってわけだ」
「へえ……」
「まあ心配するな。俺が案内してやるからさ」
「そりゃありがたい」
「ああ。感動するぜ? マジで」
有彦はにやにやと笑っていた。
「な、何だよその笑いは」
「まあいずれわかる」
「むぅ……」
「ほれほれ。こっちだぞ」
「お、おう」
有彦の態度は気になったがとりあえずそのまま後についていった。
「へえ」
ロッカーを開けると浴衣から何やら何まで必要そうなものが全て積め込まれていた。
その上で脱いだ服を入れるスペースも余裕である。
さらにオススメルートまで記入されていた。
これが琥珀さんの言っていたいつものルートだろうか。
「いかにもVIPって感じだよなあ?」
「いや、俺は普通に入ったことないからわからないけど。普通はどうなんだ?」
「ま、せいぜいこの半分だな。浴衣なんぞあるわけもなし」
「うーむ」
なんだかそう金持ち扱いされることがなかったのでどうにも戸惑ってしまう。
「っていうかおまえはなんでそんなに詳しいんだ?」
「あん? バイトしてるんだから当然だろ。あと姉貴が何気VIP会員だし」
「イ、イチゴさんが? なんでまた?」
「さあ? 何がどうしてそうなのかはワカランがな」
「ははは……」
イチゴさんは小さい頃から世話になっているけどよくわからないところが多い。
そのミステリアスさといったら琥珀さんにも匹敵するほどである。
「んなこたいいんだ。さっさと脱げって」
「……早いなオマエ」
有彦はかつらも外してすっかり真っ裸だった。
「つーかタオルくらいつけろ」
「はっはっは。ボディマッスール!」
真っ裸のままポージングをしている有彦。
ああ、なんでまた俺はこんなやつの友人やってるんだろう。
「……おし」
有彦は無視して俺は腰にタオルを巻きつけた。
メガネも外すと大変なのでそのままだ。
「オーケー。じゃあ行こう」
「うっし」
有彦もタオルを腰へと巻き、ガラス戸へと向かっていった。
「先ずはVIPも一般も室内共同風呂なんだ。だだっ広いけどまあ味がネエな。体洗うにも場所がない」
ガラガラと音を立てて扉を開く有彦。
「へえ……」
その途端湯気の蒸気が俺の顔を軽くなでた。
「そこにかがり湯がある。とりあえず浴びとけ。ここは入るのかったるいから通過だ」
「あ、おう」
かがり湯というのは風呂に入る前に体を流すお湯だ。
ざばぁと背中を流すと湯の雫が俺の体を滴っていった。
「広いだろ?」
「ああ」
そのスペースに様々な浴槽が並んでいた。
何十人かがまとまって入れる巨大浴槽。
年齢もジイさんからサラリーマンっぽいおじさんから若者、お子様まで。
「こんなんが五階まであるんだぜ? スゲエ施設だよな」
「だな……」
その上日替わりときたもんだ。
VIPの更衣室はあんまり人がいなかったけど、ここはまさに人でごった返しという表現が正しかった。
「とりあえず五階が露天とかおもしれえもんあるからな。さっさと行こうぜ」
「まったくどこにも入らないのか?」
「五階に行ったらそんなこと思わなくなるって。マジで感動するぜ?」
有彦の目はこれでもかってくらいに輝いていた。
「それにVIPの連中はまず五階に行く。こりゃほぼ確定だ」
「うーん」
そういえばさっきのロッカーにも五階がオススメだと書いてあったような。
「わかったよ。そこに行く」
「うっしゃあ! 待ってろよ子猫ちゃんたち……」
有彦の言葉は意味不明だった。
「大丈夫かよ……」
不安ながらに後をついていく。
五階への入り口というのは鍵を入れるとすぐに開いた。
なるほど、VIPの鍵を持っていないとまったく入ることの出来ない作りのようである。
「ここは健康階段っつって足のところに湯が流れてる」
「ほー」
なるほど足首のあたりはお湯で満たされていた。
おかげで登り辛いったらありゃしない。
「辛そうだなあ、遠野」
「当たり前だ。なんかおかしくないかこれ?」
「いや。おかしくない。これは桃源郷へのための試練なんだ」
「……」
俺は有彦の頭のほうがおかしくなってしまったんじゃないかという疑惑を抱いてしまった。
「ダッシュダーッシュ! ダンダンダダーン!」
湯飛沫をあげながら階段を駆け昇って行く有彦。
「……早く風呂に入りたい」
俺の感情はもうただそれだけであった。
続く