さあああああ……
雨の音はますます強く。
ばくん、ばくん。
それと同じように鳴り響く心臓の音。
志貴くんの息遣い。
わ、わたし……どう……しよう?
「さっちんと紅葉狩り」
その8
「し、しかしあれだな。うん。さっきまであんなにいい天気だったのに、雨になるなんてほんとびっくりだ」
志貴くんからわたしから一歩遠ざかった。
「そ……そうだね」
「これじゃせっかくの紅葉も台無しだよな。はは、ははは……」
「うん……」
多分志貴くんはわたしに気を遣って離れてくれたんだと思う。
けれど二人っきりのこの状況でのその行動は、なんだか寂しく感じてしまった。
「志貴くん」
「な、なんだ?」
ふり向かずに尋ねてくる志貴くん。
「あのね……寒いの。すごく。だから、その、傍にいて欲しいな、なんて」
我ながらちょっとずるい言い方をしてしまった。
同時になんて恥ずかしい事言っているんだろうとも思う。
「で、でも」
「志貴くんだってこのままじゃ風邪ひいちゃうよ。二人で寄り添えばあったかいし……ね?」
「それはまあ……そうなんだろうけど……ほら、その、俺だって一応男なわけだしさ」
「ううん。志貴くんだったらいいの」
「……」
「むしろ志貴くんじゃないと……やだな」
体は寒いなんてまったく感じていない。
むしろ熱くて熱くてどうしようといった感じだ。
こんなにわたしが積極的になったのは初めてのことかもしれない。
だって、このチャンスを逃したらもう二度と機会は巡って来なさそうだから。
「そんな事言われたら……俺、どうにかなっちまうよ」
志貴くんは壁に頭を押し付けていた。
多分理性と本能がぶつかり合ってるんだと思う。
「どうにかなっちゃってもいいよ……志貴くんだったらわたし、何されても……いい」
「ゆ、弓塚。それは反則だ。勘弁してくれ」
それでも志貴くんは動かなかった。
「……やっぱりわたしなんかじゃやだよね」
そうだよね。わたしなんて影の薄い女なんだし、もう死んでるんだし。
そんな女をどうにかしようなんて気が起こるはずがない。
「ち、違うんだ。そういうわけじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「いや……その。なんていうか。弓塚のこと好きだから……その、そう無闇にそんなことしたくないというかなんというか……」
「え?」
ちょっと待って。今わたしなんか変な言葉聞かなかった?
「志貴くん。冗談だよね? わたしの事好きだなんて」
「……残念だけど大真面目なんだ」
「え―――」
一瞬で頭が真っ白になってしまった。
なに? これどういうこと?
「弓塚のことはずっと気になってたんだよ。大人しいけど……その、優しい子だなって。関心を持ってた」
「ほ、ほんとに?」
「ああ。だから、弓塚を殺さなきゃいけなくなって……本当に辛かった」
からっぽの頭の中で、その言葉が酷く耳に響いた。
そう。吸血鬼になってしまったわたしは志貴くんに殺された。
「でも……それはわたしが望んだことだから」
どうせ殺されるんなら一番好きだった人に。
皮肉な話だけど、それがわたしにとってわたしを印象付ける最良の方法だったのだ。
「弓塚の事を忘れた事はなかったよ。一度も」
「わたしも……死んでから志貴くんの事忘れたことなかった」
だからわたしは成仏出来ないでいたんだろう。
「けど、駄目なんだよね。わたしは死んじゃったんだから、ワガママ言わないで成仏しないと」
「俺はそういう難しい事はわからないよ。けど、とにかく今日弓塚に会えて本当に嬉しかった」
「志貴くん」
「だからその……なんていうか、今みたいな……劣情を煽られて無理やりみたいな展開じゃなくて、もっと順序を踏んだ予定を考えてたんだけど」
「え?」
「い、いや、俺はその。まあ……キスくらいまでしか考えてなかったんだけど。弓塚がそんな事言って、すごいびっくりした。今も自分が何言ってるかよくわからない」
「……」
男の子である志貴くんがキスくらいまでしか考えてなかったのに。
わたしはもっと遥かかなた先の展開まで期待してしまった。
わたし、もしかしてすんごくえっちぃ娘だったり?
いや、でも初体験もせずに死んじゃったわけだし!
年頃の女の子だったらやっぱりそういうことにはあこがれるわけでっ!
……ああ、なんか墓穴が増えそうだから考えるのやめよ。
「でも、何だ……もし弓塚が本当にいいっていうなら我慢出来ないかもしれない」
「えっ」
ケガの巧妙っ?
「いや、やっぱり駄目だ。俺外に出てるよ」
「ええええ、ちょ、ちょっと待って志貴くんっ! 据え膳喰わぬは男の恥だよっ?」
「だ、だから、その。弓塚とはそういうなんかギャグみたいな展開じゃなくて、するならするでもっとちゃんと……したい」
「……志貴くんこそ、それ反則」
くらりときてしまった。
まさか志貴くんにそんな事を言われるだなんて。
なんだか溶けてしまいそう。
で、でも、この展開だとこれからもっと凄い事になるわけで。
「……どうすりゃいいんだよ……」
「だから……優しく抱きしめて欲しいな」
「それやったら間違いなく暴走するけど」
「大丈夫だよ。志貴くんを信じてるから」
きっと絶対間違いなく暴走してくれるはずっ。
っていうかこの状況でおかしくならないのは男の子じゃないっ。
「……くしゅんっ!」
なんだかアレな会話をしてるけど、そういえばわたしの体はまだ濡れたままだったのだ。
「だ、大丈夫か弓塚」
「寒くなってきちゃった……」
体ががたがたと震えだしている。
「わ、わかった。その、保障は出来ないけど頑張ってみる」
うん、期待してるからね志貴くんっ。
ぴた。
肩に志貴くんの手が触れる。
「志貴くんの手、あったかいね」
「俺はむしろ熱が出てきたみたいなんだ」
「……あはは」
わたしもまたドキドキしてきてしまった。
こんなにわたしが大胆な事をしちゃうだなんて。
ううん、今までだってやろうとすれば出来たのかもしれない。
ただ、勇気が足りなかっただけ。
「弓塚……」
志貴くんの声が近づいてくる。
「志貴……くん」
もう駄目。何も考えられない。
ぎゅっ……
志貴くんがわたしを抱きしめてくれている。
耳元で聞こえる呼吸音。
背中から伝わる心臓の音。
「弓塚って意外と小さかったんだな」
「それ……どこを見て言ってるの?」
「い、いや。身長だよ。ほら、髪の毛が長いからさ」
「あはは。冗談だよ」
はぁ……はぁ。
二人の呼吸音だけが響く。
「志貴くん……わたし凄くドキドキしてる」
「俺も……だよ」
「……もっと触っても……いいよ?」
志貴くんの腕が強くわたしを抱きしめた。
「ごめん。さすがに限界」
「あっ……」
肩を引っ張られて志貴くんと向かい合わせに。
どさっ……
そのままわたしは床に押し倒された。
「弓塚……」
「志貴……くん」
見つめあう二人。
がらっ!
「よかったっ。翡翠ちゃんこの小屋で雨宿りしよっ」
「姉さん、そんな急に開けては中に人がいたと……き……」
「……」
「……」
目があった。思いっきり。
「……」
「あ、あはっ。もしかしてすんごーくお邪魔虫でした?」
もう悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。
「うあーん! 神様のばかーっ! ばかーっ! うわぁぁぁん!」
続く