「よかったっ。翡翠ちゃんこの小屋で雨宿りしよっ」
「姉さん、そんな急に開けては中に人がいたと……き……」
「……」
「……」
目があった。思いっきり。
「……」
「あ、あはっ。もしかしてすんごーくお邪魔虫でした?」
もう悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。
「うあーん! 神様のばかーっ! ばかーっ! うわぁぁぁん!」
「さっちんと紅葉狩り」
その9
「ぐす……ひっく」
「もう泣くなよ弓塚……」
「だって……ひどいよ……あんまりだよ……こんなのってないよ……」
いくらなんでも悲しすぎる。
ようやく幸せを得たかと思った瞬間のこの仕打ち。
「もう嫌い……みんな嫌い……みんなみんな嫌い……」
「うああ、弓塚さんが思いっきりネガティブモードにっ。これじゃ成仏なんて夢のまた夢ですよっ」
「姉さんのせいでしょう! 今日という今日は……姉さんに愛想がつきました」
「ち、違うよっ! いくらわたしでもあんなシーンを邪魔するような野暮な真似しないって!」
「信じられません!」
「うう……わたしも泣きたくなってきましたよ……」
「ぐすっ……えぐえぐ」
「弓塚……」
志貴くんがわたしの背中を優しく撫でてくれる。
「志貴くん……」
「ほら、涙も拭いて」
それからハンカチを差し出してくれた。
「……ありがとう……ぐすっ」
志貴くんの優しさがとても嬉しい。
でも、だからこそ邪魔された事が悲しくてたまらなかった。
「うう……」
ざあああああ……
雨はわたしの心理を写すように強くなっている。
「姉さん。わたしたちは今すぐ出て行くべきです。行きましょう」
「で、でも、こんな雨の中出て行ったら風邪引いちゃうよ?」
「それくらい仕方ありません。人の恋路を邪魔した報いだと思ってください」
「そんなぁ……」
そのまましばらく翡翠さんと琥珀さんは口論を続けていた。
「帰りましょうさあ」
「うう……翡翠ちゃん怖い……」
「……いいよ……別に……そのままいても」
人間どんなに悲しい事があってもずっと泣き続けてはいられないもので。
翡翠さんたちの話を聞いている間にわたしの涙は止まり、少しだけ気分が落ち着いていた。
「ゆ、弓塚さま」
「ほら、わたしって不幸だから……翡翠さんとかが来なくてきっと何かに邪魔されてただろうし。だから、気にしないで」
いくら今日一日しか生きていられないからって事をあせりすぎたのだ。
志貴くんだって「もっとちゃんと手順を踏んで」って言ってたし。
きっとそのせいでバチがあたったんだろう。
「志貴くんと一緒にいられるだけで嬉しかったのに……つい欲が出ちゃって。ごめんね」
「……うああ」
琥珀さんがよろめいている。
「だ、駄目ですこのオーラ……悪意と正反対の……わたしには眩しすぎて……」
「姉さんは悪意の塊ですからね」
「ひ……翡翠ちゃん酷い。わたしにだって正義の心くらいあるのに」
うん、絶対ないと思う。
「……もう、いいんだ。まだ時間はあるから」
まだ今日が終わったわけじゃないのだ。
これからこれから。
まあ……またチャンスがあるとは限らないわけだけど。
「弓塚さま……なんて健気な……姉さんに一分でもそんな心があったら……」
「一割どころか一分っ? 虫でも五分の魂があるんだよ翡翠ちゃんっ?」
「弓塚……強くなったんだな」
「志貴くんのおかげだよ」
志貴くんを想うことでわたしは強くなれたんだと思う。
「えっ? ちょっとみなさんもわたしはスルーですかっ?」
「姉さんは少し黙っててください」
「うう……みんながわたしをいじめます……」
琥珀さんがわたしのように落ち込んでいた。
「まあ……これで琥珀さんがちょっとは大人しくなってくれればいいけど」
ちょっと琥珀さんが気の毒になってきたかも。
「ところで志貴さま、弓塚さま。お腹は空いていませんか? お詫びにもなりませんが姉さんのお弁当がありますので」
「ん」
翡翠さんが後ろに置いてあった布袋を前に出した。
「あ、それお弁当だったんだ」
「はい。濡れないように庇って走ったので中身は無事だと思います」
ぐきゅるるるるー……
「……あ」
狙いすましたように志貴くんのお腹が鳴った。
「あ、あはは。そうだな。どうせ外にも出られないだろうし、食事にしようか」
照れくさそうに笑う志貴くん。
「ふふっ……」
その仕草がなんだかかわいらしくてつい笑ってしまった。
「……よかった。笑ってくれて。弓塚はやっぱり笑ってるほうがいいよ」
「え、そ、そんな。やだ。志貴くん……」
また志貴くんといい雰囲気になれた感じがする。
うん。これだけでもわたしは十分幸せ。
「では準備をいたしますね。姉さん。いつまでもいじけてないで手伝ってください」
「……はーい」
さすがに琥珀さんと翡翠さんは姉妹だけあってコンビネーションが抜群だった。
「琥珀さんの料理はほんとに一級品だから期待しててくれよ」
「そうなんだ」
そういえば志貴くんの食事っていつも豪華だったけど、あれは琥珀さんが作ってたのかな。
「準備おっけーです。どうぞ召し上がってくださいなー」
「お。待ってました」
「うわぁ……」
広げられたそれは、まさに豪華絢爛。
「配置などは紅葉をイメージしてみたんですよ。どうです?」
「うん。すごいな。なんか食べるのがもったいないくらいだよ」
琥珀さんの言うとおりお弁当のおかずがうまく模様になっていてとても綺麗だった。
「お弁当は食べるためにあるんですよ。ささ、どうぞ一口」
「う、うん」
志貴くんが遠慮しがちに箸を伸ばす。
「わたしも……」
紅葉を模ったにんじんを取ってみた。
わたしはあんまり器用なほうじゃないからこんなお弁当作れなかっただろうなあ。
ぱくり。
「……あ、おいしい」
適度な甘さと歯ごたえが心地いい。
「あはっ。光栄です」
「姉さんの料理の腕は一級品ですから」
「他のも食べてみよう……」
から揚げもウインナーもハンバーグも一体どうやって調理したの? という美味しさだった。
「あ、でもこれは赤ワイン入ってるかな」
「ご明答です。うわー。うちの人たちはそんなことに気づいてくれないからやってた甲斐なかったんですけどここにきて報われた気がしますねー」
「……すいません、味オンチで」
「ああ、ううん、翡翠ちゃんはいいのよ。わかってるから」
琥珀さんは遠い目をしていた。
そういえば唯一の翡翠さんの欠点がそれなんだっけ。
「俺も全然そういうのわからないからなあ……ただうまいってだけで」
「まあ、完璧な人間なんてこの世にいないわけだし。気にしないでいいと思うよ」
わたしなんてもっと欠点ばかりだ。
さらに超絶不幸というおまけつき。
「弓塚さま……」
「そうだな。不完全だからこそ人間は面白いんだ」
「あ。今志貴さん自分でいい事言ったなとか思いましたね?」
「お、思ってないよ」
「ほんとですかー?」
「あはは……」
なんだか最初の意図とはちょっとずれてきちゃったけれど。
これはこれで楽しかった。
「志貴さんってば実はこれが苦手なんですよー。こっそり混ぜておいたんですけど気づかなかったみたいですね」
「げっ! 琥珀さん入れないでって言ったのに!」
「気づかなかったんだからいいじゃないですかー」
志貴くんの意外な一面が見れたりして。
「弓塚さま、お茶をどうぞ」
「あ。ありがとうございます」
志貴くんの家族同然の人と仲よく出来て。
本当に生き返れてよかったと思う。
「……あ」
「どうした弓塚」
「外。晴れてるよ」
「ん……ほんとだ」
いつの間にか雨は止んで外はきらきら輝いていた。
「綺麗ですねー」
「……うん」
そう、ただなんとなく生きていた時には気づかなかったけれど世界はこんなに綺麗だったんだ。
「志貴くん……」
「ん? どうした弓塚」
「……ううん。なんでもない」
言葉にするのは野暮というものだ。
わたしは志貴くんと一緒に輝く景色を、同じ時間を共有出来ている。
それだけで十分だろう。
だって、これが本来の幸せというものだと思うから。
続く