「なあ、弓塚」

オレは尋ねた。

「赤ずきんちゃんって知ってるかな」
「知ってるけど、どうして?」
「いや」

それと同じような質問をしたくなったのだ。

普段のこいつは栗色の目だったはずなのだが。

「弓塚の目って……そんな赤かったか?」
 

目の前の彼女の瞳は、滴る血のように真っ赤に染まっていた。
 
 



『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その126







「赤い? 明かりのせいじゃないかな?」

確かにそう考えられない事もない。

オレの手も、普段より赤みがかかって見える。

ただそれ以上に弓塚の目は、血で染まったかのような赤さだった。

「……」

正直言うと、この先の質問は死亡フラグだと思う。

それでもオレは聞くしかなかった。

「どうして、弓塚の口に牙が見えるんだ?」
「だって吸血鬼になっちゃったんだもん。しょうがないよ」

どこまでも軽い口調。

オレは弓塚に笑顔で答えて欲しくなんかなかった。

「じゃあ……」

もう引き返せないらしい。

本能が告げている。逃げろと。

こいつから簡単に逃げられるんだったら苦労はしないんだがな。

多分本気を出した弓塚に太刀打ちできる術をオレは持っていない。

「……どうして弓塚から、血の匂いがするんだ?」

それを聞いた弓塚は目を大きく見開いて、それから自虐的に笑った。

「やだなぁ。気付いちゃったの? 残念」

弓塚が近づいてくる。

オレは一歩下がった。

しかしその後ろはもう、壁だ。

「さっきの質問の答え、訂正していいかな。どうして牙がっていうの」
「他にいい答えがあるなら……な」

喉が渇く。口の中がカラカラだ。

「それはね……」

砂利を踏む音が響く。

「乾くんの血を吸うためだよ」

オレは咄嗟に身を屈めた。

弓塚の手が虚空を掴む。

見知った、それなのに酷く歪んだ顔が間近にある。

「くっそ……!」
「あっ?」

弓塚の足を払い、バランスを崩して駆け出した。

逃げるしかない。

だが逃げて、どうなるっていうんだ?

「酷いなぁ。避けるなんて。乾くんなら助けてくれると思ったのに」
「……お前がオレの血を吸ったところで、他の誰かをまた狙うんだろ」

この状況すら弓塚は楽しんでいるのか、オレをゆっくりと歩いて追いかけてきた。

「乾君が仲間になってくれるだけで嬉しいよ」
「そいつぁゴメンだ」

曲がり角を駆け抜ける。

「……っ!」

だがそこはまた行き止まりだった。

どうなってるんだ、この場所は!

「残念。おしまいかな?」

再び弓塚の腕が伸びる。

ただ手を伸ばしているだけなのに恐ろしく長く感じた。

「くっ……!」

鋭い爪が頬を裂き、鮮血が舞った。

「……あ」

その爪先についた血を、嬉しそうに舐め取る弓塚。

「ふふ。乾くんの血、美味しいよぉ」
「……おまえは」
「ん?」
「おまえはそんな奴じゃなかっただろう、弓塚……」

そのあまりの豹変ぶりが信じられなかった。

オレの知っている弓塚は、弱気で、運動は出来るが肝心な時にからっきしダメな奴で……

「やだぁ。古い熱血教師みたいだよ」

からかうように笑う弓塚。

「そんなの演技に決まってるじゃない」
「……そうか」

オレの知っている弓塚は全部嘘だったというのか。

「あれ? がっかりした? 天然ドジっ子のままでいたほうがよかったかな?」
「いや……」

言葉というものはそれが全て真実だとは限らない。

「なあ。オレに気を使ってわざとそんな風な……」

弓塚の口元が歪む。

「乾くん、夢見すぎ」
「……ぐっ!」

次の瞬間には首を掴まれていた。

「うっ……くっ……」

呼吸が出来ない。

必死に攻撃をしかけるが、弓塚はものともしていないようだった。

「何か遺言があったら友だちのよしみで聞いてあげるけど」
「……っ」
「ああ。遺言ってのはおかしいか。これからは本当の意味でお友だちになるんだし」
「弓塚……!」
「でも、もしかしたら死んじゃうかもしれないね。そしたらごめんなさい」

悔しさか、怒りなのか、瞳に涙が滲んできた。

「泣いてるの? かっこ悪いなぁ。最後くらいかっこよく決めようよ」
「……うるせぇ!」

吐き捨てるように叫ぶ。

「抵抗したって無駄だよー」
「ぐっ……」

言葉はどこまでも軽いのに、弓塚の腕は華奢な体とは思えない力でオレを締め上げてくる。

そしてそのまま地面に叩きつけられた。

「は、あっ……」

胃液が逆流しそうになった。

このままだとオレは確実に……

「……嫌だ」
「ん? 何?」
「……死にたくないんだ、オレは」
「それはちょっと保障できないかなあ」

からかうように笑う弓塚。

「ばあちゃんは……死にそうなオレを庇って自ら命を絶った」

思い出したくもない嫌な記憶。

オレがこんなになっちまったのはそのせいだったか。

死なんてのは本当にあっけないものだと思っていた。

「いいおばあちゃんじゃない。乾君も見習いなよ」
「そうなれればよかったんだけどな。ダメなんだ」
「どうして?」
「……死にたくない」

死ぬ前にするべき事はわかっていたつもりなのに。

「結局偽善者なんだね。わたしたちを助けるような事しておいて、それ?」
「オレは……ちっぽけな人間なんだよ」

弓塚を助けてやりたいとは思う。

けれどここで血を吸わせる事はなんの解決にもならないんじゃないだろうか。

そんな理屈を考えても、結局は死にたくないという意識があるせいなのか。

偽善と言われても否定は出来なかった。

「失望しちゃったなぁ」
「……それはお互い様だ」
「だねえ」

笑う弓塚。

今はその笑顔がとても辛かった。

しばらくの沈黙が二人の間を支配する。

「それで、おしまい?」
「……」

これが悪夢だとしたら、弓塚に噛まれた瞬間目が覚めるんだろうか。

しかし傷をつけられた部分の熱さがそれが夢で無い事を示していた。

情けない。この状況で夢である事を期待している自分が。

オレは物語の主人公みたいにかっこよく生きる事は出来なかった。

「じゃあ、さよなら。運がよかったらまたね」

弓塚が首筋に近づいてくる。

残念ながらここまでのようだ。

ヒュンッ!

「っ!」

空を切り裂く音。

さっきまで弓塚がいた場所に何か剣のようなものが突き刺さっていた。

つまりはオレに当たってもおかしくない位置に。

「そこまでです。わたしの友人を返して頂きますよ」

声が聞こえる。

いかにもなご都合主義だが、ピンチの一般市民を助けに来てくれるヒーローってのはいるらしい。

それは別にいいんだが。

「……誰だ、あれ?」
 

そこにいたのは、全力で今までのシリアス具合をぶち壊しにする怪しい仮面を被った人物であった。
 




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