沈黙がそれが事実という事を物語っていた。
「さ、さあ、ツルでも折ろうかっ? 楽しいぞおっ?」
「う、うん、そうだね。あは、あはは」
「そうですね……話など不要です」
なんだかギクシャクした空気の中、仕事は再開されるのであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その17
「……思い返せば色々あったんだよねぇ。路地裏で」
しばらくは沈黙の中ツルを折っていたのだが、弓塚がそんなことを呟いた。
「ほう。そいつは興味があるな」
「聞きたい?」
「そりゃもちろん」
「いいのですかさつき?」
「うん。こういう経験を話す機会ってのも滅多にないしね」
はにかむ弓塚。
その笑顔は吸血鬼になる以前となんら変わっちゃいなかった。
「どこから話したらいいかな。起床から?」
「やっぱあれか。普通の人と逆転した生活を送ってるのか?」
「うん。大体活動を開始するのは夜の十時くらいから。その日のご飯を探しに行くの」
「ご飯……」
やっぱりアレか。人間の血を求めてさ迷うんだろうか。
「あ、誤解しないでね? 人の血は滅多な事じゃ吸わなかったから」
オレの思っている事を予想したのかそんな事を言う弓塚。
「そりゃ血を吸ってたら騒ぎになってるだろうからな」
ここ最近でそんな噂を聞いた事はなかった。
「お肉屋さんとかお魚やさんとかあるでしょ? そこの閉店際を狙うの」
「ドロボーでもすんのか?」
「違うよ。その日捌いたお肉とかお魚があるでしょ? ってことは……」
「それだけ血も出るわけだ」
「そう。だから、頭を下げてそれを譲ってもらうの」
「……不憫だなあ」
吸血鬼と言えば人間の何倍も強いとされる生き物である。
それがしがない魚屋や肉屋に頭を下げて食料を確保してるだなんて。
「まあしょうがないよ。わたし吸血鬼なわけだし」
さらりと言ってのける弓塚。
路地裏での生活が弓塚の精神を強靭とさせたのかもしれない。
「続けざまに行くとさすがに不審がられるから、何箇所かそういう場所を用意しておくの。そこの徘徊でだいたい真夜中になっちゃうかなぁ」
「真夜中になったら食事か?」
「うん。確保してきた血液をね。あんまり美味しくないんだけど」
苦笑する弓塚。
「でも、たまには普通のものも食べてたよ?」
「そうなのか?」
「……まあ普通って言ってもゴミ箱から拾ったものなんだけどね」
「ゴミ箱あさってちゃんと食えるもんあるのか?」
「うん。料亭のゴミ箱とか凄いよ。結構豪華なものがそのまま捨てられてたりするし。宝の山って感じ」
「宝の山か……」
オレがななこの本体を拾ったのもゴミ捨て場だった。
ゴミ捨て場には意外な掘り出し物が埋まっているものなのである。
「まあ……なんにもない時はなんにものないんだけどね。そういう時はひたすら我慢」
「ふーん。大変なんだなあ」
ありきたりだがそんなセリフしか言えなかった。
そういう生活をしている人間がいる事を考えると、屋根のある家で暮らしているということが、どれだけありがたいことなのか分かる。
「でも血は我慢すれば三日に一度とかでも平気だったし、慣れればそんなに辛くはなかったよ? ルート通りに歩いてるだけだから」
「そのルートとやらを確保するまでが大変なんだろう?」
「そう。酔っ払いがたくさんいるところは駄目だし、ここぞと思ったところにはアベックが隠れてたり……」
そこで少し声が小さくなった。
どうやら何か言いづらいことでもやらかしていたらしい。
「ほう。そのアベックは何をしていたんだ?」
オレはわざとそう尋ねてみた。
「……乾くんの意地悪」
顔を真っ赤にしている弓塚。
「いやまあ軽いジョークとして受け流してくれ」
やっぱりそういう事やってる奴っているんだなぁ。
これでまたひとつ無駄な知識が増えたぜ。
「……状況によってはセクハラとして訴えられますよ、有彦」
ここまで無言で話を聞いていたシオンさんから厳しいツッコミを受けてしまう。
「そうだよ。ばかっ」
「スイマセン、もう言いません」
多勢に無勢、オレは大人しく謝っておいた。
「しかしさつきの適応力には驚きましたね。私は吸血鬼になった自分を受け入れるのにずいぶん時間がかかったというのに」
シオンさんが感嘆の言葉を洩らす。
「さつきは吸血鬼になった自らをきとんと受け入れ、なるだけ人に迷惑をかけない生き方を編み出した」
「そ、そんな大層な事してないってば」
「いや、実際並大抵の根性じゃ出来ない事だと思うぞ」
そんな状態になっても未だに遠野のヤツを想い続けている事も含めて。
「どうなんだろ。不幸慣れしてたのがその時だけは幸いしたのかも」
「不幸が幸いってのも変な言葉だな」
「そうだね。あはは」
くすくすと笑う弓塚。
「問題はその後なんだよね。ご飯を食べ終わったら、もうすることがなくて……」
「あー、なんとなくわかる」
タイクツで死にそうだ、という状況に陥ったことが誰でも一度はあるだろう。
路地裏での生活。
テレビもない、ゲームもない、そもそも電源すらない、そんな状況で、一体何をして過ごせというのだろうか。
「だから目的もなくひたすら歩いたり」
「……死ぬほど疲れそうだな」
聞いただけでうんざりである。
「疲れたらぐっすり眠れるし、新しい巡回ルートの確保も出来るから」
「それでも出来ればやりたくはなかっただろう?」
「ま、まあそれは最後の手段だったし」
遠くを見るような目をする弓塚。
一体何度その最後の手段とやらを使ったんだろうか。
「……他にはどんな事やってたんだ?」
それを聞くのは悪いのでオレは話題をずらす事にした。
「うん。後から思いついたことなんだけどね。ノートを買ってお話を書いてたりしたの」
「お話?」
「不幸な女の子がひそかに想っている男の子と恋仲になる話とか……」
「……それはただの妄想だろう」
「ちゃ、ちゃんとしたお話だもん。最後はハッピーエンドでしめくくったしっ」
「ふーん」
女の子は、そういう自分を主人公にした物語を考えたりするのが好きとかどこかで聞いた気がする。
「なかなかの良作ですよ。今度有彦にも見せてあげたらどうです?」
「や、やめてよシオンっ」
「ほほう」
どうやらシオンさんは弓塚作の物語を読んだ事があるらしい。
「むしろ全文を全て記憶しています。今朗読して差し上げましょうか?」
「や、やだっ! 恥ずかしいってばっ!」
こういう妄想小説は同性に見られるのはOKだけど、異性には絶対見せられないものなんだそうだ。
ちなみにこのへんは全部姉貴の入れ知恵である。
「まあ嫌がるものを見せろというオレじゃない」
くどいようだがオレは似非フェミニストなのだ。
「え? ……読まないの?」
やたらと残念そうな顔をしている弓塚。
「どっちなんだよ」
つくづく女性心理というものは謎である。
「え、ええと……やっぱり駄目っ」
「さいですか」
まあ内容はだいたい予想できるからいいんだけど。
「そ、それ、見せてくださいっ!」
「あん?」
すると何者かの声が響いた。
何者かったってまあ正体はわかりきってるんだけど。
「……どこほっつき歩いてたんだ今まで」
「え……わっ?」
弓塚の頭のすぐ上あたりの壁から、上半身だけを出しているななこがそこにいたのであった。
続く