弓塚が無防備ではいけない理由を。
それは。
「弓塚」
「うん、なに?」
シオンさんの表情が少し強張ったような気がした。
「ノーブラでしかもパジャマの前がはだけてるってのはどうかと思うぞ?」
そして次の瞬間、思いっきり地面にひっくり返っているのであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その33
「え……きゃああああっ! バカバカバカ! 乾くんのえっち!」
弓塚は急に顔を真っ赤にして暴れている。
「おいおい、せっかく教えてやったのにエッチ呼ばわりはねえだろう」
黙って観察する事だって出来たってのに。
「有彦……あなたという人は……」
頭を抱えながら立ち上がってくるシオンさん。
「それともあれか。ウホッ! いいバスト! とか叫べばよかったかな」
それを言ってしまうとなんか別の方向に走ってしまいそうだが。
「いえ、ご指摘ありがとうございます。さつき、わかりましたか。ここには有彦がいるのですよ」
「……」
弓塚は顔を真っ赤にしたまま胸を押さえていた。
「つーか下着はどうしたんだ?」
「洗濯中です」
「なにいっ?」
じゃあ……まさか下も?
「い、乾くんのえろ大魔神っ!」
「まだ何も言ってないだろっ?」
飛んできたスプーンを避ける。
まあ想像はしちまったんだけどさ。
「下着は借りたんですけれど、さすがに一子のブラジャーではさつきに合わなかったんですよ」
「なるほど」
あいつ意外と胸でかいからな。
シオンさんになら丁度良かったかもしれないけど、弓塚だと合わなかったんだろう。
「……路地裏に取りに行こうかなあ」
「しかしあれは大分汚れてしますし、買い直してもいいのではないですか?」
「うーん」
吸血鬼になっても下着は女性の死活問題ってやつか。
「大変だなあ」
今度路地裏を探し回ってみるかな。
お宝が発掘できるかもしれん。
「全部有彦のせいですよ」
「オレとしてはつけてないのは大歓迎だぞ」
「……」
ものすごく渋い顔をしているシオンさん。
「……濡れててもいいからつけて来ようかなぁ」
弓塚はため息をついていた。
「いや、朝飯作ってる間はそっち見ないからさ。それでも嫌ってんならあれだが」
とにかくななこが行方不明になってしまったので朝飯はオレ一人で作らなきゃいけない。
まあ最初からそのつもりだったから問題はないのだが。
「……だそうですが。さつき」
「あ……うん」
弓塚は一瞬オレの顔を見たが、何も言わずに椅子に座った。
「意外と信用されてんのな、オレ」
自分でびっくりしてしまった。
「下着つけてないの忘れたのはわたしが悪いんだし」
「……むぅ」
こういうところが弓塚のいいところであり悪いところでもある。
オレを追い出すくらいでもいいと思うんだがなあ。
「見ないと約束したのですからきちんと守ってくださいね、有彦」
「へいへい」
怖い監視員のお姉さんがいるので弓塚を観察するのは無理そうだった。
「……さて何作ろうかね」
昨日は朝からずっと和食メインだったからなあ。
パンでも焼くか。
「えーとパンは……」
買い置きしてある食パンの賞味期限を確認してからオーブンに放り投げる。
後はお湯を沸かしてマーガリンやらジャムやらを用意するだけだ。
「……いかん、やる事がない」
いくらなんでも簡素にしすぎてしまったようだ。
「……」
少し後ろを見てみると、シオンさんがぎろりと睨みつけてきた。
「うーむ」
じっとしてるのもなんだしなあ。
「今日はわたしたちも仕事あるかなぁ」
弓塚がシオンさんに話しかけてるようだ。
「どうでしょうね。その日その日で仕事は変わりますし」
「オレは今日は休みたい」
弓塚たちのほうを向かずに話に絡むオレ。
「乾くんは昨日何をやったの?」
「い……いや、まあ、その、なんだ。ビラ配りだよ、ビラ配り」
正確に言えば配っていたのは風船で、しかも着ぐるみを着て子供に愛嬌を振りまいていたんだけど。
恥ずかしいのでそれは黙っておいた。
「へぇ。どうだった?」
「結構大変だった。なかなか受け取ってくれないわ、変なのに絡まれるわ……」
変なのというのはまあクソガキなんだけど。
「ですが払いはいいのでしょう?」
「まぁな」
ティッシュ配りとかそういう系統の仕事は案外ギャラがいいのだ。
ただ、一度やればわかるけど、見た目以上にしんどい仕事なのである。
体力云々もそうだけど、あんまり受け取ってもらえないと精神的にしんどくなってくるのだ。
「シオンさんたちは他の仕事やったほうがいいよ、きっと」
ああいう仕事は神経図太いオレみたいなのがやるに限る。
チーンっ。
「お」
などと話しているとオーブンが鳴った。
「出来た出来たっと」
適当に分けて皿に置く。
「スープはまあレトルトで……と」
お湯で溶かして30秒なスープを人数分用意する。
「ほい、朝飯できあがりっと」
焼きたてのパンとスープを二人の前に置く。
「ずいぶんシンプルだね」
「余計な事をしないほうが美味いんだ」
「じゃあまずはそのまま食べてみようかな」
「おう、いってみろ」
「はむ……」
耳ごとかじる弓塚。
「……」
シオンさんは無言でパンの耳を外していた。
「いや、耳も……」
「うわ、すごいこれ。美味しいっ」
目をきらきら輝かしている弓塚。
すごい勢いでぱくついていく。
「あれ? シオン耳食べないの? じゃあわたしが……」
それからシオンさんのほうを見てそんな事を言うと。
「い、いえ、今から食べようとしていたんです」
慌てた様子で取った耳を口へ運んでいた。
「む……これはなかなか」
「はっはっは」
シオンさんもなかなかお茶目だなあ。
「な、なんですか有彦っ」
「いや、別に」
オレも一緒にパンをかじる。
「この辺にこんな美味しいパン売ってたっけ?」
「すぐそこのパン屋だよ。曲がり角の先の。前に三人で買い食いしただろ」
弓塚は地元住民なのでこんな適当な説明でもちゃんと通じたりする。
「え? あそこのパン、こんなに美味しくなかったよ?」
「なんか最近新しいバイトの女の子が入ったらしくてさ」
その女の子がいる時に出来るのがこの美味いパンなのである。
「へえ……」
職人ひとりで料理の味は変わる。
昔から行ってた店の味が急に変わったら人事で何かあったと判断していいだろう。
「これはいいですね。他にも販売しているのですか?」
シオンさんもこのパンを気にいったようだった。
「色々あるぜ。アンパンとかカレーパンとか。特に焼きたてのは犯罪級だな」
なんせ家で焼き直したものでこの美味さなのだ。
「……」
ごくりと喉を鳴らすシオンさん。
「食いたい?」
「わ、わたしはそんな食い意地の張った……」
「わたしは食べたいな。パン焼いてるのっていつなのかな。夕方だったら買いに行きたいけど」
「ああ。確か夕方にも焼いてたぞ。買いに行くか?」
「うん」
にこりと笑う弓塚。
「じゃあ決定な。シオンさんは留守番で」
「だ、誰が行かないと言いましたか。さつきが行くならばわたしも行きますよ。さつきを一人で行かせるなんて心配ですから」
「はいはい」
「わかってるわかってる」
「〜〜〜〜〜〜っ」
シオンさんは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「はっはっはっは」
「あは……あははははははっ」
「な、なにがおかしいのですかっ! もう……っ!」
朝から騒がしい乾家の食卓であった。
続く