弓塚は遠野派なんだからな。
気持ちがこっちにない以上は、オレが弓塚をどうにかなんてあり得ないのだ。
「おそらくは」
けどまあ、それを言うのもシャクなのでオレは適当な言葉を続けていた。
「有彦さーんっ!」
「もしかして」
その奇妙な漫才は、オレが飽きるまで続くのであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その41
翌日。
「……」
「うおっ」
顔を洗いに洗面所に行ったらいきなり姉貴と出くわしてしまった。
どんな顔をして出て言ったもんだろうと考えていた矢先である。
まさかいきなりラスボスが登場するだなんて。
「おう。おはよう」
「あ、あれ?」
昨日の事で何か言われると思っていたのに、姉貴は特に何も言ってこなかった。
「挨拶はどうした」
「あ、う、え、お、おはようございます」
つい敬語になってしまう俺。
「宜しい」
こくりと頷く姉貴。
そしてそのままオレの横を通り過ぎていく。
おかしい。
何かおかしい。
昨日のあれはやっぱり夢だったんだろうか?
「……なあ、昨日の事なんだが……」
尋ねようとすると。
「有彦」
姉貴は後ろを向いたまま、恐ろしいオーラを放っていた。
「昨日は何もなかったんだ。平和な一日だった」
「……え」
どうやら昨日のアレは無かった事にするらしい。
「あたしも詳しい事情は知らないからね。それ以上は言えんよ」
言えんよったって、まずそのプレッシャーを何とかして欲しいんですけど。
「わ、わかったよ。昨日は何もなかった。平和な一日だった」
オレは姉貴の言葉をオウム返しにした。
「宜しい」
再びさっきと同じセリフ。
それでようやくプレッシャーはなくなった。
「はぁ」
なんで朝っぱらからこんな恐怖に襲われなきゃならんのだ。
「……しかし」
これではっきりした。
やはり昨日のは夢じゃなかったんだ。
オレが目にしかと焼き付けたアレも。
「……」
いかん、顔がにやけてきている。
オレは慌てて水を被った。
「……ぷはあっ!」
それで少し落ち着いた。
あの姉貴が昨日は何も無かったと主張するのだから、それはおそらく弓塚の意思なんだろう。
だとしたら、オレもなるだけいつも通りに振舞うべきだ。
「……昨日は何もなかった……」
うん、何にもなかったな。
「……」
何にもないと言うには色々ありすぎたけどなぁ。
下着の試着をやると家を追い出され。
遠野と遭遇。
アルクェイドさんによってプールへ拉致。
シエル先輩がパン屋でバイト。
何故かななこがレジ担当。
「うーむ」
まあ前半部分は忘れなくてもいいだろう。
後半は取りあえず封印指定ということで。
「意識しないってのも難しいんだがなぁ……」
まあ、いつもななこにやってるようにすればいいのかな。
「あ」
「……ぬ」
ばったり。
洗面所で考え事をしていたオレは、やはり顔を洗いに来たであろう弓塚と遭遇してしまった。
「おう。おはよう弓塚」
姉貴に習って極めて平凡な朝を演出するオレ。
「……おおおお、おは、おはよ、おはよう乾くん」
弓塚も頑張ってはいるものの、昨日の今日で意識するなというのは無理そうであった。
「……」
このまま弓塚と面していると色々思い出してしまいそうだ。
「じゃ、そういう事で」
オレはそそくさとその場を去る事にした。
「あ、あのね乾くんっ」
「……ん?」
ところが逆に弓塚に呼び止められてしまった。
「あ、あのね」
「……なんだ?」
弓塚はなんだかやたら顔を赤くしている。
まさか、いくら遠野を追っても無駄だと悟り、乾有彦に乗り換えるつもりなんだろうか。
それはまずい。いくらオレでも二人同時にはちょっと……
「乾くんが気を失ってる間にね」
「……姉貴たちにボコボコにされた時か?」
どうも違う話らしい。
まあ当たり前だけど。
「うん。その時にね。目には目をって一子さんが……」
「あ、姉貴が何を?」
なんだか嫌な予感がする。
しかも猛烈にだ。
「……ご、ごめんっ。やっぱりなんでもないっ」
弓塚はそう言って駆けだしていってしまった。
「ちょ、待てっ! そんな中途半端なっ! 気になるだろおいっ?」
オレが気を失っている間に一体何があったっていうんだ?
「おや」
弓塚を追いかけていくとシオンさんと遭遇した。
「……ああ、シオンさん。弓塚見なかった?」
「さつきがどうかしましたか?」
「いや、なんか意味深な事言って逃げてったんでさ」
「ほう」
きらりと目を光らせるシオンさん。
「な、何か知ってるのか?」
「ひとつ言える事は、お互い昨日の事は忘れたほうがいいという事ですかね」
「……そうする事にします」
少なくとも表面上はそうしたほうが幸せに生きられそうな気がした。
「賢明な判断です。貴方が賢くて助かりました」
「あんまり褒められてる気がしないな……」
どちらかというとコケにされているような。
「それはやっかみというものですよ。それより、今日の仕事についてミーティングがあるそうです。ななこを呼んで来て下さい。有彦」
「ん……仕事か」
「ええ」
しょうもない。仕事に集中して気分転換といくか。
「つーわけで次の仕事はこの組み合わせで行う事にする」
「はぁ」
「どういう組み合わせだ? これは」
「意図が読めませんね……」
今回の仕事の組み合わせ。
ひとつはオレとシオンさん。
もうひとつは姉貴、ななこ、そして弓塚という組み合わせであった。
弓塚とオレを分けたのは、なんとなくわかるけど。
それ以外はさっぱりわからない。
「仕事の内容は目的地についてから聞いてくれ」
そう言って地図を手渡してくる姉貴。
「なんか最近適当になってないか?」
「そうでもないさ。あたしゃ前からこうだ」
「まあ……それもそうなんだが」
納得出来てしまうのがイヤである。
「まあ、現場に行ってから仕事の内容がわかるというのもギャンブル的で面白いではありませんね」
シオンさんは余裕の表情であった。
「その余裕が続いてくれればいいがね」
「……ぬ」
やたらと意味深なセリフを吐く姉貴。
まあ、これも適当なのかもしれないけど。
「弓塚さんとですか。よろしくお願いしますね」
にっこり。
「あ、う、うん。宜しく……」
ななこは弓塚に対して無駄に対抗オーラを放っていた。
当の弓塚は何が何やらという感じである。
大変そうだが、姉貴がいるから大丈夫だろう。
「じゃあ、飯を食ったら解散っ」
「へーい」
はてさて、鬼が出ますか蛇が出ますかねと。
続く