「だから勘違いしてもいいかな」
「な……何をだ?」

一瞬視線を下に向けて、それから上目遣いでオレを見る。
 

「わたしの事、助けてくれるよね?」
 

そう言って笑う弓塚の口には、長く尖った牙があった。
 
 

『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その58






「……弓塚」

恐ろしく嫌な予感が頭をよぎる。

さっきも感じた妙な違和感。

「助けてくれるよね?」

それは弓塚から発せられている威圧感だった。

「……っ」

気がつくとオレは壁に背をぶつけていた。

体が無意識のうちに逃げていたのだ。

「乾くん」

弓塚の目は赤く光っていた。

「弓塚……おまえは」

本能が訴えている。

早く逃げろと。

逃げなければ、きっと……

「……っ!」

近づいてくる弓塚にフェイントをかけ、横から抜き去ろうとした。

「あ」

横を通り過ぎる事は簡単だった。

「乾くん、逃げないでよ」

まるでいつもと変わらない声を出す弓塚。

今は逆にそれが恐怖だった。

「……ぐあっ」

ドアを掴む前に肩を思い切り引っ張られる。

オレの体はバランスを崩し、床へとぶっ倒れた。

「ごめんね。でもちゃんと話聞いてくれないんだもん」
「……っ」

弓塚はオレに押しかかるような姿勢になった。

「人の話は最後まで聞かなきゃ駄目だよ」
「……だからって無理やり押し倒すのもどうかと思うんだが」

心臓の動悸が激しい。

けれどそれを顔に出す事はしたくなかった。

「ご、ごめん」

そうやってすぐ謝るところなんて、まるでいつもの弓塚なのに。

何でこんな事になっちまったんだろう。

「話、聞いてくれるかな」
「……ああ」

こうなっては頷くしかない。

「わたしね」

ななこを呼べばオレは助かるかもしれない。

あいつはあれでも吸血鬼用の最強兵器なのだ。

けれど、今ここであいつを呼んだらきっと弓塚は……。

それは絶対に嫌だった。

「乾くん、話聞いてる?」
「ん? ああ、悪い。全然聞いてなかった」
「もう……」

額に皺を寄せる弓塚。

「もう一度話してくれ」

オレは出来るだけ普段のように軽口を叩いていたが、背中には脂汗がにじんでいた。

「うん」

ごほんと咳払い。

そして弓塚は話を始めた。

「わたしね、吸血鬼になっちゃうだなんて、なんて不幸なんだろうって思ってた」
「そりゃそうだろうなあ」

日常生活を送っていたらまずそんな事にはならないだろうし、なるだろうとも思わない。

「すっごい落ち込んだよ。自暴自棄にもなったし」
「……」

弓塚はこんな体になる前は本当にただの女の子だった。

「路地裏での生活は吸血鬼って事を抜きにしても辛かったよ」

それがハンデのある肉体と、生活を余儀なくされてしまった。

さぞ辛い毎日だったんだろう。

「一体いつまでこんな事が続くんだろう……正直、毎日が憂鬱だった」

思い出してしまったのか、弓塚の瞳に涙がにじんでいた。

オレもそう恵まれた境遇ではないが、弓塚の前だとそれがかすんで見えるくらいだ。

「けど、そんなわたしにも仲間が出来たの」
「……シオンさんか」
「うん。シオンに会って、色々教えてもらって……一緒に生活して。ちょっとは前向きになれた気がする」
「前向きなのは元々だったと思うけどな」

シオンさんに出会ってというのはきっかけに過ぎないだろう。

弓塚は一人でもずっと頑張っていたのだから。

「あはは。それで、ちょっとは毎日が楽しくなったの。やっぱり仲間が居ると違うよね」
「そうだな」

オレも姉貴がいたからなんとかやってこれたって感じがあるし。

「けどね、人ってワガママなんだ。少し良くなると、もっと良くなるんじゃないかって期待しちゃうの」
「誰だってそうじゃないか?」

いい事に遭遇したいし、続いて欲しいに決まっている。

「でもやっぱりそういう事を考えるのは止めにしてたの。普通に考えたら無理だもんね」

そこでじっとオレを見る弓塚。

「ある日シオンがね。わたしたちの理解者が現れたって言ったの」
「……」
「最初は信じられなかったよ。どういう説明したんだろうって」
「まあ、オレは人外慣れしてたからな」

普通のやつだったらシオンさんの話はまず信じなかっただろう。

「しかもわたしたちに仕事をくれるって……あのシオンがね、すっごい嬉しそうだったんだよ」
「そうなのか」

あの時オレはそこまで大した事を考えていなかった。

姉貴が決めちまったから仕方ねえかなくらいにしか思ってなかったのだ。

「一体誰なんだろう。もしかして遠野くんじゃ……なんてバカな事考えてた」

苦笑する弓塚。

「で、会いに行ったらびっくり」
「オレがいたと」
「全然予想してなかったから。乾くんオカルトとか嫌いだと思ってたし」
「……まあな」

ななこに会うまでは、そういうのはまるで信じてなかった。

「吸血鬼になったわたしをあっさり受け入れてくれたのが、すっごい嬉しかった」
「あの時も言ったけど、実感が沸かないだけだ」

こうやって押し倒されていてもそう思っている。

これは何かの間違いなんじゃないかと。

「わたしもそう思いたかったんだけどね。駄目なんだ。わたしの中のわたしが言うの。血が欲しいって」
「……」
「血を我慢するのはすっごい辛いんだよ」
「そうなのか……」

オレがそれを実感できなかったのは、弓塚が苦しそうな素振りを見せた事が一度もなかったからだ。

もちろん血を吸うところだって一度も見ちゃいない。

おそらく弓塚がそれらの行為を見せたくないと思っていたからだ。

「結構努力家でしょ、わたし」
「それは知ってる」

学校での生活の中でずっと見てきた。

その努力がほとんどまるで報われてない事も。

「……やっぱり努力にも限界があるよね」
「そうだな」

オレは大きく息を吐いた。

そこでやっと最初に話が繋がるわけだ。

「乾くんがわたしやシオンを家に住ませてくれたのはすっごい嬉しかった。そこまでしてくれるなんて思ってなかったから」
「あれだけ話を聞いてはいおしまいじゃ鬼だろ」
「路地裏で苦しんでた時は誰も助けてくれなかったよー」
「そうか」
「うん」

どこか遠くを見ているような弓塚。

「本当にありがとう」
「なあに、気にするな」

さて、いよいよ覚悟を決めなきゃなるまい。

ここから先を弓塚自身に言わせるのは酷だろう。

もう一度大きく息を吐き、弓塚の目をじっと見つめる。

そしてオレは言った。
 

「おまえは、オレの血を吸えば助かるのか?」
 

続く



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