さて、いよいよ覚悟を決めなきゃなるまい。
ここから先を弓塚自身に言わせるのは酷だろう。
もう一度大きく息を吐き、弓塚の目をじっと見つめる。
そしてオレは言った。
「おまえは、オレの血を吸えば助かるのか?」
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その59
「……乾くん」
弓塚が大きく目を見開いた。
「世の中ってのは弱肉強食だからな。しょうがないさ」
力無く笑うオレ。
弓塚相手じゃこれ以上抵抗する気にはならなかった。
「えと……こんな事聞くのもなんだけど」
「なんだ?」
「……怖くないの?」
「そりゃ怖いなあ」
もしこの軽口を止めてしまったら、オレはおかしくなってしまうだろう。
「昔さ。オレを助けるために死んじまった人がいたんだ」
その事件があったから、こんな捻くれた性格になっちまったんだが。
「その人はオレのために死んでくれたんだよ」
「……」
オレはあの人に感謝している。
「だから、オレもどうせ死ぬなら誰かのためにって……まあカッコつけだな」
「乾……くん」
腕の力が強くなった。
「やるのか」
弓塚は答えない。
「ま、まああれだ。運がよければオレも吸血鬼になるかもしれないしな。いや、悪運かもしれないけどさ」
「……」
大きく息を吐く弓塚。
「ずるいよ。そんな話するなんて」
腕が離される。
「弓……塚?」
「そんな話されたらわたし、困っちゃうよ」
「ああ、うん、悪い」
つい謝ってしまうオレ。
「乾くんが謝ってどうするの」
「いや、確かにそうなんだが」
何故か弓塚は口を尖らせていた。
「それに乾くん、凄い勘違いしてる」
「勘違い?」
「わたし、乾くんの血を吸うなんて言ってない」
「……は?」
おいおいなんだそりゃ。
「血を吸わないと駄目なんだろ? 今までの流れだとそうなるんじゃないのか?」
「あー、だから……うん、わたしの話のしかたが悪かったと思う」
頭を下げる弓塚。
「……吸わないのか?」
「うん」
「そ、そうか」
ってことは助かるのか? オレ。
「話まだ続くんだけど、いい?」
「はぁ……」
なんだか急に全身の力が抜けてしまった。
「脅かすんじゃねえコノヤロウ」
頭を両手でぐりぐりしてやる。
「い、痛いよ、止めてってば」
「……おう」
弓塚はさっきより大分威圧感がなくなっていた。
さっきのあれは何だったんだろう。
「で、話の続きは?」
「あ。うん。シオンが話してたでしょ。血を吸わなくても代わりの欲求を満たす事である程度我慢は出来るの」
「……我慢してたけど限界ってさっき言ってたよな」
「あはは。正直話してるのも辛かったり」
もしかして威圧感がなくなったのは、それほど弓塚が弱っているって事なんだろうか。
「大丈夫なのかよ」
「うん、大丈夫じゃないよ。だから助けてくれないかなって」
「一体どうしろと」
最も手っ取り早いのはオレの血を吸う事だ。
「わたしも悩んだんだけどね。乾くんを吸血鬼にはしたくないし……」
「時間がないなら早めに結論に行ったほうが良いんじゃないか?」
このままだといつまで話が続くかわかったもんじゃない。
「……えっと、うん。人間の三大欲求って知ってる?」
「司法、立法、行政」
「それは国の……っていうか良く知ってるね」
目をぱちくりしている弓塚。
「……いや、だから結論をだな」
「それが大事なの」
「はぁ」
えーとなんだっけ?
「食事、睡眠、それから……」
それから。
「……いや」
いやいやいやいや。
まだ弓塚は何も言ってないし。
「そ、それがどうしたって?」
「……」
顔を真っ赤にしている弓塚。
「ちょっと待て」
いかん、さっきより心臓がドキドキしてるぞ。
「うん……そういう事なんだけど」
待て待て待て待て。
「お、オレの勘違いかもしれないからな。うん、さっきの件もある。ちゃんと口で説明してくれ」
ぼんっ。
弓塚の顔がさらに赤くなった。
「あ、あ、いや、悪い、すまん」
女の口から何言わせようとしてるんだオレは。
「……えー」
いかん、気が動転している。
「人間の三大欲求っつーのは睡眠欲、食欲、それから性欲だよな」
こくり。
「で、そのうちの性欲を満たす事が出来れば、血を吸う必要はない……と」
こくり。
「……マジで?」
「きゅ、吸血鬼は人間の精を食らうって小説にあるじゃない」
いや、確かにそういうのいるらしいけどさ。
「いいか、よく考えろよ」
オレは弓塚の肩を掴んだ。
「おまえは弓塚さつきなんだ。わかってるな?」
「え、あ、うん」
「弓塚って言ったらな。遠野くん遠野くんってそれ以外のことは何にも考えてないような奴なんだぞ」
「そ、そんな事ないよ」
「そのおまえがだな、遠野以外の相手に」
しかもよりによってオレなんぞに。
「そんな軽率な事を言っちゃいかんだろう」
「……」
弓塚はしばらく唖然としていたが、やがて顔がみるみる怒りの表情へと変わっていった。
「全部乾くんが悪いんじゃないっ!」
「オ……オレが?」
オレそんなに悪い事したか?
「だって乾くん優しいんだもん! わたしなんかにっ」
「……弓塚?」
「わたしだってわからないよっ! 遠野くんは好き。けど、遠野くんはわたしの気持ちに気付いてくれなかった!」
「弓塚、何を言っているんだ?」
弓塚の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「遠野くんには……もう相手がいるんだもん……わたしは……もう……」
「……知ってたのか?」
涙を拭いながら頷く弓塚。
「勘違いしてもいいかなって言ったよね、わたし」
「……ああ」
「乾くんが優しいのは、もしかしたら、わたしの事を好きだからなんじゃないかなって」
「そりゃ……」
好きじゃないと言えばそれは嘘になるだろう。
けど弓塚は遠野一筋だったから、恋愛対象として見た事なんて無かったのだ。
「なのに、乾くんがそんな事言うから……」
「……」
そうか。だから弓塚は怒ったのか。
「……悪かった」
本気の相手には本気でぶつかるべきだったのだ。
「でも、これはわたしの勝手な気持ちの押しつけだから」
「弓塚」
「……もし乾くんがちょっとでもわたしの事が……ううん、好きじゃなくてもいいの」
なんとも不安定な笑顔を浮かべる弓塚。
「わたしの事、助けてくれないかな」
「そんな……無茶苦茶な」
頭が混乱している。
わけがわからない。
オレはどうすればいいんだ。
「あ、だ、大丈夫っ。最後までしなくても平気だからっ」
顔を真っ赤にしている弓塚。
「……」
弓塚は、最初からずっと必死だったんだ。
こんな事を女の子が自分から言い出すっていうのは、男の何倍も勇気のいる事だったんだろう。
だから最初は威圧感のある態度で、強引な行動を行ってしまった。
「その……ね、ちょっと口に……えと」
「もういい。それ以上言うな弓塚」
オレはこいつの事を知ってたはずなのに。
にこにこ笑っているが、裏では必死に努力しているヤツだという事を。
「……乾くん」
「いや、ほんとマジで悪かった」
弓塚は真剣にぶつかってきてくれた。
だとしたらオレも応えてやらなきゃいけないだろう。
「……で、ついでに謝っておくけど」
「うん」
ごくりと喉を鳴らす弓塚。
「どうなっても……知らないからな」
その肩を掴んで煎餅布団の上へと押し倒した。
続く