「さて今回の仕事だが」

朝食を終えた後、姉貴がみんなを集めて仕事の説明を始めた。

「全員でやってもらう事になった」
「なんか久しぶりだな」

最近は分担して仕事をやる事が多かったからな。

「人数が必要な仕事ということですか?」

シオンさんが尋ねる。

「ああ。結構辛いが見返りは大きいぞ」

姉貴がテーブルの上に何かを投げた。

「これは……」

温泉のパンフレットであった。
 
 

『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その68










温泉と言えば、男のロマンがこれでもかってくらいに詰まっている場所だ。

湯煙、岩肌、月夜に流れ星。

大自然の中で開放的になる美女。

浴衣に卓球温泉。

「……素晴らしい」

そこはまさに理想郷。

「オマエは留守番でもよかったんだがな」
「そんなつれない事言うなよ姉貴」

オレは姉貴に素早く飲み物を差し出した。

「サンキュー」
「いえいえとんでもございません」

理想郷への道を閉ざすわけにはいかないのである。

「温泉かあ……ずいぶん行ってないなあ」

弓塚が遠くを見るような目をしていた。

「お風呂上りの牛乳がたまらないんだよねぇ」
「おまえ、結構風呂好きだよな」

路地裏生活で風呂に入れなかった反動なのかもしれない。

「温泉は日本の生んだ文化の極みだよ。働いた後のお風呂は自分へのご褒美」

なんか似たようなセリフをどっかで聞いた気がする。

「温泉ですか……話には聞いていましたが、これが……」

興味深そうにパンフレットを見ているシオンさん。

「なんか凄い効能があるみたいですよ?」

ななこも驚いた顔でそれを見ていた。

「そういうのは大抵色々書いてあるんだよ。本当に効くかどうかはわからん」
「へぇー……」
「でも、入るとやはり気持ちが安らぐのでしょう?」
「そりゃもちろんな。特に露天風呂は最高だ。絶景を眺めつつの入浴が出来る」

その開放感といったらもう。

「言葉じゃ表現出来ないくらい、温泉ってのはいいもんなんだ」

これはもう色気とか一切の要素を抜いてもそうだと思う。

「……」

シオンさんの目がきらきらと輝いていた。

「……堪能させていただきます」
「おいおいお前ら。遊びに行くんじゃないんだぞ?」

姉貴は苦笑いしていた。

「っても仕事が終われば風呂には入れるんだろ?」
「そりゃもちろんさ。じゃなきゃ引き受けたりしない」

その辺はさすが姉貴というかなんというか。

相変わらずコネが謎の女であった。

「つーかさ、ここ遠いよな?」

パンフレットの裏の地図を見ると、家から結構な距離を移動しなくてはいけないようだった。

「ああ。だから泊まりだね。なんかイベントやるんでその間の忙しい時だけ手伝って欲しいんだと」
「泊まり……」

理想郷で女の子たちと宿泊。

となればそりゃもうイベントのふたつや三つあってもおかしくないはず。

ポロリもあるよ? みたいな。

「ふ、ふふふふふ」

思わず笑いがこみ上げてきた。

「……やっぱおまえは置いて行くか?」
「いや、真面目に仕事はやるから連れてってくれよ。つーか置いて行ってもバイクで追うぞ」
「はいはい」

大きくため息をつく姉貴。

「どのみち男手は必要だから置いてはいかんさ」
「力仕事か……」
「しかもかなりのね」
「上等じゃねえか」

たまには俺もいいところを見せないとな。

弓塚も言っていた通り、労働後の風呂には格別の良さがあるのだ。

「乾くん、卓球で勝負しようねっ?」
「ん? ああ」
「お土産は何が良いでしょうか。やはり伝統に乗っ取って木刀を……」
「いや、そんな伝統無いから」
「温泉、温泉〜」
「……駄目だこりゃ」

ななこたちは仕事の後の事しか考えられなくなってしまったようだ。

まあ、オレと違って仕事慣れしてないからしょうがないって言えばしょうがないんだけど。

「大丈夫かね?」
「ま、道中で目が覚めるだろうよ」

そりゃもう色んな意味で。
 
 
 
 

「い、一子! もう少しスピードを落として……!」
「ぶ、ぶつかるー! 死ぬー!」
「助けて遠野くん! ピンチだよー!」

後部座席は死ぬほどやかましかった。

「少し静かにしてな。運転に集中できないだろ」

額に皺を寄せている姉貴。

「まあしょうがないわな」

こいつは高速道路だと無茶苦茶に飛ばすからな。

しかも普通の道路だと妙に安全運転なので、大抵のヤツはそのギャップに驚く。

特にカーブを曲がる時なんか、ノンブレーキで危険極まりない。

「安全運転ー! 家内安全ー!」
「……こ、この加速で激突した場合の負傷は……い、いえそんな可能性は決して……」
「こういう体験はマンガの中だけで十分だよ〜!」
「取り合えずどっかのパーキングエリアで休憩しねえか?」

後ろの連中もちょっとは行楽気分が抜けた事だろう。

「……ま、そうだな。運転しっぱなしってももアレだし」

既に背景はでっかい山のそびえる田舎と化していた。
 
 
 
 

「なんか食うか?」
「いらない……」
「え、遠慮しておきます……」

パーキングエリア内で、三人はぐったりしていた。

「にんじん……」
「んなもんねえよ、バカ」

それでもしっかり食欲を主張する辺り、ななこらしいなと思った。

「いや、なんか向こうで農家のおばちゃんが野菜売ってたぞ?」
「マジで?」

たまーにそういう変なものを販売しているパーキングエリアもあるのだ。

名古屋でもなんでもないのに、ういろうを売ってたり。

「じゃあ買ってくるか」
「ついでに飲み物も買ってやりなよ。食いもんは無理でもそれくらい大丈夫だろ」
「おう」

ここで炭酸とか買ってきたらものすごい非難を受けてしまうだろうか。

それはそれで面白そうだが。

「……まあ適当に」

お茶を濁すという言葉があるわけで、お茶にしておいた。

「面白くはないな」

微妙に意味も違う気がするし。

「おーい」

人数分のお茶を抱えて戻る。

「あれ?」

そこには弓塚とシオンさんしかいなかった。

「姉貴とななこは?」
「一子はそこのドライバーさんと話しています」

見ると、トラックを運転していた兄ちゃんと楽しそうに話す姉貴がいた。

「……誰とでも意気投合できる人間だからなぁ」

知り合いが多いのもそのせいだろう。

「ななこのほうは?」
「何かマスターに呼ばれてとか言ってたけど……」
「仕事か」

出先で呼ばれるなんて不幸なヤツ。

「取り合えずこれでも飲めや」
「……ありがと」

お茶を渡して隣に座る。

「仕事って辛いねえ……」
「まだ何もしてないけどな」

移動の時に運転が酷いヤツに当たってしまうというのはよくある事なのである。

姉貴の運転は乱暴に見えてちゃんとしているので、オレにとっては全然マシな部類だと言えた。

「戻りましたー」
「お」

しばらくまったりしているとななこが戻ってきた。

「お疲れさん」
「いえいえ大した事ではありませんよ」
「?」

ななこは何故か上機嫌だった。

「あのですね、有彦さん」
「なんだ?」
「わたしって精霊なわけですよ」
「何を今更」
「うふふふふ」
「……」

ななこの言いたい事がなんとなくわかってきた。

「つまり、わたしは一緒に車に乗ってなくても……」
「目的地についたら一瞬でこれるって事か」
「はいっ」

そうすれば姉貴の運転の恐怖に怯える事はないと。

「なるほど、それはよさそうな考えだ。しかし」
「しかし?」
「ずるいよななこちゃん。そんなの駄目」
「一人だけ開放されようたってそうはいきませんよ……」

弓塚とシオンさんが怖い顔でななこを見ていた。

「あ、あう」
「多分この二人からは逃げられないと思うぞ。あと姉貴がもっと怖いと思う」
「……ぐすぐす」

結局ななこはプレッシャーに負け、再び車に乗る事を選択した。
 

それから先はみんな何か悟ったのか、運転中一言も喋らなくなってしまった。

そしてなんとか無事に温泉までたどり着く事が出来た。

「いやー、楽な運転だったな」
 

姉貴だけが上機嫌だった。
 

続く



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