進み出してしまえば案外なんて事ないのかもしれない。
「間違っても下を見ないほうがいいですよー」
ところが、あのバカ馬が余計な事を言いやがった。
「……っ!」
見るなと言われてしまうとどうしても意識してしまうものだ。
「おい弓塚……」
「や、やっぱり怖いー!」
弓塚はその場にかがみ込んでしまうのであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その70
「……怖いっつーのはわかるけどさ」
弓塚の目線に合わせてしゃがむオレ。
「こんなところで座ってるほうがよっぽど怖くねえか?」
心なしか立っている時も不安定に感じた。
「だ、だってぇ」
「いやまあ反射行動なんだろうけどさ」
動物も驚いた時は身を屈ませるからな。
「なんとか立てないか?」
ぶんぶんぶん。
「オレもそう思う」
ただしゃがんだだけならまだしも、弓塚は脚を両方外側に崩したいわゆる女の子座り状態になってしまっている。
その状態から立つには繋いだ手を離し、この不安定なつり橋の上で力を入れるという二つの難題をクリアしなくてはいけないのだ。
「……どうすっかな」
「なんとかしてよー……」
やたらと情けない声をあげる弓塚。
上目遣いの視線はなかなか可愛く見えた。
「上目……か」
座った弓塚の横へ移動し、繋いだ手を反対へ変える。
「ちょ、ちょっと乾くん?」
「見捨てやしないからちょっと待ってろ」
そのまま弓塚の後ろへ。
「肩掴むから手を離してもいいだろう?」
言葉通り右肩を掴む。
「う、うん……」
恐る恐る手を離す弓塚。
「暴れるんじゃねえぞ」
片手をわきの下へ通す。
「ど、どうするの?」
「こうする」
反対の腕も脇の下へ。
そのまま脇を掴んで弓塚の体を後ろへ引っ張った。
「きゃっ……!」
悲鳴を上げても無視して引っ張るオレ。
「足伸ばせるだろ」
「え、あ……」
引っ張りながら体を上に持ち上げてるので弓塚の足は動かせるようになっていた。
「こ、これでいいの?」
まっすぐに足を伸ばす弓塚。
「それでいい」
体をつり橋へと下ろし。
「てりゃ」
そのまま仰向けに寝かせてしまった。
「ちょ、ちょっと乾くーん……」
「じゃあゆっくり眠っていてくれ」
「やだやだっ! やだってばぁ!」
大声で叫ぶ弓塚。
「冗談だっつーに」
苦笑しながら弓塚の横へ移動する。
「体ちょっと浮かせてくれよ……?」
「え?」
橋と寝転がった弓塚の背中の間に手を入れて。
「せいの……っと!」
そのまま一気に持ち上げた。
「うあっ?」
いわゆるお姫さまダッコというやつである。
「ヒューヒュー」
姉貴が口笛を吹いていた。
「じゃかあしい」
多少恥ずかしくはあるが、どうせ見ているのはあいつらだけだ。
「このまま行くぞ」
「え、え?」
弓塚を抱えたまま、一歩一歩進み始めた。
「い、乾くんっ? 乾くんってばっ!」
「話しかけるんじゃねえ。集中力が乱れる」
ここでもし弓塚を落としでもしたらそれこそ大変な事になってしまう。
「……」
じっと黙って俺の顔を不安げに見ている弓塚。
「ちゃんと連れてってやるから」
こういう場合重量があるほうが案外バランスの取れるものである。
多少時間はかかったが、なんとかそのまま弓塚を向こう側まで運んで移動できた。
「……ふう」
弓塚を降ろして額の汗を拭う。
「おう、お疲れ」
「本気で疲れた」
肉体的にはもちろんだし、神経もかなり使ったからな。
「あ、ありがと乾くん……」
両腕を交差させてもじもじしている弓塚。
「いや、すげえ重かった」
口ではそう言ったものの、弓塚の体は意外と軽くて華奢で、やっぱり女の子なんだなあという事を妙に意識してしまったりしていた。
「そんな事言わないでよ」
苦笑いしている弓塚。
なんとか余裕も出てきたようだった。
「……おかしいです。こんなはずじゃ……外道な有彦さんは弓塚さんを見捨て、みんなに総スカンを食らうはずだったのに」
駄馬が一人でろくでもない事を言っていた。
「テメエコノヤロウ」
取り合えず頭を叩いておく。
「うー、有彦さんのばかー」
「バカはおまえだ」
「うわーん!」
ななこはどこかへ飛んで行ってしまった。
「……まったく」
「いいの? 追いかけなくて」
「そのうち戻ってくるだろ」
どうせオレからはそんなに離れられないんだから。
「大変でしたねぇ、有彦」
シオンさんは妙に楽しそうであった。
「まあな」
しかもその大変は多分現在進行形だと思う。
「頼りにされる男は大変ですね」
「……」
なんかもう、全て理解してますみたいな笑顔で見てくるのは勘弁して欲しかった。
「とにかくさっさと宿屋に行こうぜ」
「そうだな。準備もせにゃいかんし」
「了解です」
だがそのシオンさんの余裕が、あっさりと崩れされる事になろうとは予想だにしていなかった。
「ををを、外人さんだべ!」
「本当だ! なんつーハイカラな格好してるんだかー!」
宿に向かうために道を歩いていたオレたちを、近所のお年寄りたちが芸能人か何かが来たみたいに叫んでいた。
「……外人って事は」
オレたちの視線もある人物へ集中する。
「わ、わたしですか?」
眉を潜めるシオンさん。
「取り合えず話しかけてみたらどうだい?」
そんな彼女に姉貴がにやにや笑いながらそんな事を言った。
「……わかりました」
シオンさんが一歩進み、婆ちゃんに近づいていった。
「こ、こんにちわ」
「お、おわー! 外人さんに話しかけられたべー!」
すると婆ちゃんの細かった目が大きく見開かれる。
「お、おぢつくんだトメさん。こういう時はしんごきう、しんごきうだべ!」
一体ここはどこの地方なんだ。
「それに、日本語で話してるべさ!」
「なんてーこった! ありがたやありがたや……」
手を合わせてシオンさんを拝む爺さんまで出現していた。
「そ、そのように驚くような事ではありません。これくらい容易な事です」
「うはー! さすが外人さんだべー」
なんていうか外人というもののイメージがとんでもなく間違ってる気がした。
「田舎どころか過去に来ちまったんじゃねえか……?」
そんな錯覚すら感じてしまう。
「……あ、あの、ですから……」
爺さん婆さんに囲まれたじたじのシオンさん。
「はーいカット。そのへんにしておいてやんな」
すると姉貴がそんな事を言った。
「ひっひっひ。すまんねえ」
一人の爺さんが笑いながら姉貴の前に出てくる。
「ど、どういう事なのですか?」
「つまりまあ、ここはこういうコンセプトの宿なわけでね」
同じく不敵に笑う姉貴。
「……わざと田舎を演出してるってか」
入り口のつり橋然り、そこにいる住人の反応然り。
多分この先に進めば昔風の古い宿が見えてくるんだろう。
「そういうこったな。一種のエンターテイメントだ。爺さん婆さんでも仕事が出来るし、一石二鳥」
かっかっかと爺さんが笑う。
「ちなみにこの人がオーナー。五十嵐門左衛門さん」
「相変わらず妙な人脈だ事で」
姉貴の事だから、この辺境に一人で入りにでも来たのかもしれない。
「あの……今までのは全部芝居だったのですか?」
不思議そうな顔で尋ねるシオンさん。
「まあ、外人さんが来るってのはホントに初めてかもしんねぇがな」
「しかも若い子じゃしのー」
「昔を思い出すのぅ」
「……年の功というものですか」
シオンさんは渋い顔をしていた。
「その表現は微妙な気がする」
それにしてもなんて変なところに来てしまったんだろう。
この先色々と、オレは不安でならなかった。
続く