この反応はもう間違いない。
セリフは聞かれていないだろうが、あんなシーンを見られてしまうとは。
この乾有彦一生の不覚。
「あ、あはは、困っちゃいましたねー」
ただひとり、ななこは幸せそうであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その73
「で、ほんとになんだったの? シオンがとにかく笑えっていうから笑ってみたけど」
「……知るか」
よくよく聞いてみると、弓塚らは現場を目撃したわけではなさそうだった。
「一子と有彦、そしてななこの反応から全ては予測できました」
「……予測ねえ」
「何ですか、その当てにならないという顔はっ! 有彦、貴方はアトラスの秘術を侮辱するのですか?」
「ああいや、そういうわけじゃないけど」
単にシオンさんはそっち方面の想像が苦手そうだなと思っただけで。
「ななこにもお姫様だっこをしてあげたところを見られたのでしょう?」
自慢げな顔でそんな事を言うシオンさん。
「……よくわかったな」
全然違うけどそういう事にしておいた。
「やはり。ななこが嫉妬したのはそれが原因です。ならばそれをしてやるのが最良の解決策と」
問題点は当たっているが、解き方がちょっと違ったという感じか。
ここが数字の上とは違う対人関係の難しさである。
「あれ、実際されるとほんとに恥ずかしいんだよ?」
思い出したのか、顔を赤くしている弓塚。
「わたしには経験がないので何とも言えません」
シオンさんは額に皺を寄せていた。
「やるか?」
「結構です! そんな事をしたらまた揉めるでしょう!」
「冗談だって」
「そ、そういう冗談は好きではありませんっ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまうシオンさん。
「はっはっはっは」
「ま、まあどうしてもと言うのなら……その」
「乾くんってば。そういう事言ってるとまたななこちゃんが……あれ?」
周りをきょろきょろしている弓塚。
「あいつどこ行った?」
気付くとまたななこの姿が消えていた。
まさか今ので機嫌を損ねたってのか?
「……有彦」
「あん?」
シオンさんがオレの服の袖を引っ張っていた。
「聞きましたか?」
「何を?」
「いえ……」
気まずそうに視線を逸らすと。
「ま、まあこれで痛み分けということで」
とか良くわからない事を言っていた。
「ああ、うん」
とりあえず頷いておけば大丈夫だろう。
「姉貴はなんか知らねえか?」
窓際で佇んでいた姉貴に聞いてみる。
「青春だねえ」
「……頼むから会話のキャッチボールをしてくれ」
「へいへい。ななこちゃんなら早速仕事してきますーとか言って飛んでったけど?」
「仕事って……何やらせるつもりなんだ?」
「ま、適当に」
「ったく、しょうがねえな」
実に手間のかかるやつである。
「窓から行ったのか?」
「ああ」
下を眺めてみると、既にギャラリーに囲まれたななこがいた。
「……あの格好じゃなあ」
都会にいたって目立つ格好である。
「取り合えず行ってくるわ」
「頑張れよー」
「おう」
何を頑張るのかはわからないけどな。
「あれはなんですかー?」
「ししおどしって言ってねえ。音を聞いて楽しむんだよ」
「へえー」
かこーん。
「わ、ほんとだ。いい音がしますね」
「だろう?」
「本来は田畑を荒らす動物を追い払う目的で使われていたんじゃ」
「なるほどー」
恐らく常連であろうお年寄りの客人にあれこれ質問をしているななこ。
「こら、迷惑だろ」
俺は慌ててななこを引っ張り寄せた。
「も、もうちょっとだけ話をー」
「だからー」
「いいんじゃよ兄ちゃん。説明させとくれや」
「……ぬ」
そう言われてはこちらもダメだとは言えない。
「すいません」
「いいんですって。この水が出る部分が筧って言ってねえ……」
「へえー」
仕方なく少し離れてななこたちの事を観察する事にした。
「……ん」
いつの間にやら数人のギャラリーが出来ている。
「水が溜まるとこうやって……」
かこーん。
「風流ですなあ」
「いやいや参考になります」
中年夫妻が感心したような顔をしている。
「……そうか」
これはつまり、シオンさんが外人としてあれこれ驚いてみせたのと同じ理屈なのである。
ななこはそれがなんだかわからないから質問をして、ベテランがそれに答える。
ベテランは知識を披露する事で満足できるし、普通の客は質問し辛い、知って得する情報を得る事が出来る。
「……シオンさんも無理に変な口調でやる必要なかったんだな」
人にあれはなんですか? と聞くのは案外難しい事なのである。
「厚かましいのもたまには役に立つか……」
「あ、わたし温泉の効能とかいい場所について知りたいんですけどー」
「ああ、いいよ、教えてあげる。温泉講釈ってやつだねぇ」
「わわわ、どうもありがとうございますー」
お年寄りとななこ、それから数名のギャラリーがぞろぞろと温泉へ向かっていった。
「温泉講釈ねえ」
ななこよりもあっちのお年寄りのほうがメインイベンターなんじゃないだろうか。
「姉貴に言って晩飯サービスさせて貰うか」
あれだけ知識がある人だったら多分誰かに聞けば正体がわかるだろう。
「しかし誰もあの格好に突っ込まないのな」
あの全身タイツというかなんというか、怪しげなコスチューム。
シオンさんの格好にはあれだけ反応していたのに。
「……田舎の基準はわからん」
首を傾げつつ姉貴の元へと戻った。
「どうだった?」
「予想外に好評」
「そいつはよかった」
「むしろお客さんのほうがさ……」
俺は大雑把にななこに説明していたお年寄りの事を説明した。
「ああ。あの人ね。この宿出来て以来の常連らしいよ」
「……へえ」
只者ではないとは思ったが、やはり。
「あの人に聞けばこの宿でわからないことは何もないだろうね」
「……そんなに凄い人なのかよ」
「支配人の仕掛けるイベントと違ってごく自然だから気分いいんじゃないかな」
「そりゃ素で質問してるんだからな」
それでギャラが貰えるってんだからずるい役目である。
「……ま、役得だね」
「そんなもんかねえ」
「適材適所って奴さ」
「適当に送り出したくせに」
「いや青春だねえ」
「意味がわからん」
ひとしきりに笑う姉貴。
「じゃあななこちゃんは一足先に温泉入ってるのかい?」
「そういうこったろうな」
この宿じゃ年寄りばかりだろうし、入ってるのがななこだけじゃとても興味が沸かない。
「さつきちゃんがさっき水ひっくり返してさ。びしょびしょで寒そうだったから入って来いって言ったんだけど」
「じゃあ中で遭遇してるかもしれないな」
さすがはドジっ子というか不幸娘弓塚。
「シオンちゃんもタオルをあらか畳み終わったから新しいのを取りに行って貰った。けど興味があったら入って構わんと言ってあるんだよ」
「ほうほう」
とすればあれだけ温泉に興味を持っていたシオンさんが入らないはずはないな。
「ってことは……」
今温泉には少なくとも三人のうら若き乙女がいるわけか。
「……ちょっと待て、何故それをオレに話す?」
姉貴がオレにそれを語るメリットはない。
まさか覗いて来いというわけでもあるまいし。
「ふふふふふふふ」
ところが姉貴は怪しげに笑うと、こんな事を言いやがるのであった。
「いい覗きのスポットがあるんだが……知りたくないかい?」
続く