普通に考えればななこの言ってる事の方が正しいし、やっているのもありがたい事だ。
けれどこの悔しさといったらもう。
言い返せないオレは拳を強く握り締めるだけであった。
『ななこ・すーぱーがーるカンパニー』
その81
「はぁ……っと」
卓球は何戦かの戦いを繰り広げた後、お開きとなった。
ななこのせいで調子の狂ってしまったオレは、まるで活躍できずに醜態を晒してしまった。
ネタとして振舞っていたからウケはよかったけれど。
「カッコイイとこも見せたかったんだけどなぁ」
これじゃまるでいいとこなしじゃないか。
「……くそう」
普段ならしょうがないかと諦めるところなのだが。
ななこにしてやられたというのが実に悔しい。
「つーか」
いつもいぢめられてばっかりのあいつがこんな事するなんて珍しいよな。
嫉妬で悪戯をした事はあっても、こうも露骨なのは始めての気がする。
そんなにあいつを怒らせる事したのかな。
「……わからん」
オレがアホな事をするのはいつもの事だし、ななこもこれぐらいならそんなに怒る事はなかったのだが。
今まで耐えてきたものがついに爆発したとか。
「まさかな」
自分の考えに苦笑してしまう。
あいつに限ってそんな事はないだろう。
「よしっ! 風呂に入るかっ!」
色々考えたってしょうがない。
たっぷり汗も掻いた事だし温泉を堪能しよう。
「あれ?」 温泉へ向かうと張り紙がつけられていた。
『現在混雑中。従業員は奥の岩を使って下さい』
「奥の岩……」
これは従業員にのみ通じる暗号である。
「あっちか」
オレは暖簾をくぐってそこへ歩き出した。
「さてと」
到着したのは掃除道具置き場。
「……ここだったよな?」
中に入ってカギを閉め、壁際へ向かう。
そこにはボロっちいロッカーが置かれていた。
『従業員入浴用』
「よし」
ロッカーに何も入ってないことを確認して服を脱ぎだした。
つまり奥の岩場を使えというのは客が使うためのロッカーを従業員が使わずこっちのロッカーを使えということなのだ。
もちろんそれだけでこう呼ばれているわけじゃないけど。
「うし」
手ぬぐい一本のみを持って別のドアを開く。
ぶわっと外の外気がオレの肌を撫でた。
湯気と独特の色をしたお湯が視界に映る。
バカみたいに広いメインの温泉の奥にある小さな岩風呂。
それが奥の岩の正体である。
「なかなかのもんじゃねえか」
コの字形になっているそれは、せいぜい二人くらいが入れる程度のものだが一人で入るには十分な広さだった。
「……うん」
触ればしっかりと暖かいし、匂いも間違いなく温泉そのもの。
「さっさと洗ってさっさと入る!」
これまたぼろっちいが洗い場もちゃんと用意してある。
即座に全身を洗い、流す。
温泉が待ち遠しいが、泡はきちんと流してあることを確認する。
「よしっ!」
準備完了。
「いざ温泉!」
飛び込みたいところだが、音を立てるとメインのほうに気づかれてしまうのでゆっくりと入る。
「くはぁーっ!」
全身に広がる愉悦感。
このお湯が体を包み込む瞬間というのがなんともたまらない。
「……やっぱり温泉はいいなぁ」
空を眺めればまんまるのお月様。
「はぁ……」
オレは空を仰いでのんびり湯に浸かっていた。
「すいません、宜しいですか?」
「あー、うん、どうぞ」
わざわざ温泉でそんな事を言うなんて礼儀正しい人だな。
ちゃぽん。
湯に入る音がする。
「あー」
それにしてもいい湯だ。
今のオレならどんなことが起きてもあっさり受け入れられそうな気がする。
「……はぁ」
入ってきた人の吐息が聞こえた。
やはりこの温泉を堪能しているのだろう。
「……あん?」
ちょっと待て。
ここは奥の岩風呂なんだぞ。
一般の客は入ってこれないはず。
いや、カギをかけたんだから従業員だって入れないはずなのだ。
「やはり温泉はいいですね、有彦」
「……は」
何が起こっているのかわからなかった。
「はははははは」
余りの理解不能な事態に笑ってしまう。
「どうしました?」
「ど、どうしたって……」
目の前には、降ろした髪を手ぬぐいで纏め。
「ここにわたしがいる事はおかしいですか?」
何一つ身に纏わないシオンさんがいたのだ。
温泉の色のため、湯に浸かったシオンさんの体が見えることはない。
だが上気した肌、ふくよかな胸の上部分ははっきりとわかる。
「温泉は裸で入るものでしょう。タオルを巻いて入るというのは邪道です」
「い、いや、それもわかるけどさ」
オレは男。シオンさんは女。
「シオンさんがここに入ってくるのはまずいっしょ?」
「わたしは構わないですが?」
「……う」
そう言って笑うシオンさんは妙に艶っぽかった。
「誤解しないように先に言っておきますが」
と、シオンさんは自分が意味深な事を言ったもに気づいたのか顔を赤らめていた。
「別に有彦を誘惑しに来たわけではありません。貴方が期待するような展開は無いです」
「……そ、そうなんだ」
「もしわたしの体に触れようものなら全身の痛覚を10倍にして100叩きの刑です」
「ヒデエ……」
そっちが勝手に裸で入ってきて、触ってはいけないという。
こんな不条理な状況があるだろうか。
「じゃあなんで入ってきたんだ? 入りたいから入ったとか言わないよな」
目線を合わせないようにしつつ話しかける。
けれどどうしても意識はそっちに持っていかれてしまっていた。
「有彦の劣情を無駄に刺激するため……」
「おいおい」
「まあ、今のは冗談ですが。関係ない話ではないですね」
「あん?」
わけがわからない。
一体どういうことなんだろう。
「わたしが聞きたいのは……ななこの事です」
「……あいつがどうしたって?」
「様子がおかしくはありませんでしたか?」
「シオンさんは気づいてたか……」
それは風呂に入る前にオレが考えていた事でもあった。
「原因はわかっています?」
「それがわかれば苦労はしないな」
「……まあそうでしょうね」
はぁと息を吐くシオンさん。
「ああ、誤解しないで下さい。有彦がななこに懐かれたための不運ですから」
「そういう意味深な言葉はいいからさ」
シオンさんがわざわざ来たって事は原因を知っているという事なんだろう。
「教えてくれ。あいつは今どうなってるんだ?」
しかもわざわざこんな所でということは、相当に重要な内容に違いない。
「……まあそう改まって話すような事でもありませんけれども」
「っていうと?」
「つまり……」
ところがシオンさんが続けたのは予想外の言葉であった。
続く
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