「……お風呂」
ふと。
アルクェイドが何かを思い出したような口ぶりでそんなことを言った。
お風呂。
アルクェイド。
俺はその二つの単語の結びつきに、どうしても嫌な予感しか浮かんでこなかった。
「お風呂か。わたしも入りたいなー」
案の定、アルクェイドはなんの悪気もないのだがそれだけにものすごいタチの悪いことを言ってくるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
その24
「あのなあ、アルクェイド」
「なに? わたし何か変なこと言った?」
「変じゃないけどさ。考えろよ。おまえ、わかってるのか? 秋葉にいるのばれちゃいけないんだぞ?」
「そんなのわかってるわよ」
「風呂なんかに入ったらどこにも逃げ場ないじゃないか。見つかったらどうするんだ」
「そんなこと言ってたら何にも出来ないじゃない」
むくれるアルクェイド。
「そうですよー。女性にお風呂に入るなって言うんですか? それはちょっと酷いですよー」
「同感です」
なんと翡翠と琥珀さんはアルクェイド側についてしまった。
「ふ、二人とも。そんなこと言ったって。風呂場に行くまでに見つかるかもしれないし、入ってるときに見つかるかもしれないし、帰ってくるときに見つかるかもしれないんだぞ?」
「何よ。それじゃわたしに丸っきり部屋から出るなっていうの?」
「そ、それは……その」
それはいくらなんでも無理だろうけど。
「出来る限り外に出るのは控えろってことでさ」
「でも、それはアルクェイドさんひとりで屋敷の中を歩きまわっている場合のことでしょう?」
琥珀さんがそんなことを尋ねてくる。
「そ、そりゃ、そうだけど」
俺とアルクェイドで一緒に歩いたらもっと悪いと思うんだが。
「どうしろっていうんだ?」
「つまり秋葉さまが浴室に近づかないように防壁を作れば良いわけですよ」
「防壁?」
「はい」
防壁ってなんだろう。
まさか魔法を使うわけじゃないだろうし。
「防壁ってなあに?」
俺の疑問をアルクェイドが代わりに尋ねてくれる。
「んー。例えばの話ですね。アルクェイドさん、そこにシエルさんがいると分かっている場所に行きたいと思います?」
「絶対やだ」
即答である。
「あはっ。つまり、そういうことです」
琥珀さんはくすくす笑っていた。
「え? どういうこと?」
さっぱりわからない。
「つまりですねー。普段、志貴さまは秋葉さまが浴室におられる時に近づこうとはしないでしょう?」
「うん、そうだな」
普段はそんな命を粗末にするような行為はまずしない。
今日はアルクェイドのせいで調子が狂ってたのだ。
「そして秋葉さまも同様に、志貴さまが入浴されているときは浴室に近づかれないということです」
「それもまあ、わかるな」
俺だって裸を見られたらやだし、秋葉だってそんなもの見たくはないだろう。
「え。つまり、どういうこと?」
俺が入っていると秋葉は浴室へ来ない。
ということは防壁とはつまり。
「ええ。志貴さまがアルクェイドさんと一緒に入浴すればいいんですよー」
そうきやがりましたか、琥珀さん。
「え、えー。そ、そんな。恥ずかしいよ」
アルクェイドは少女マンガみたいな照れ方をしている。
「不謹慎です」
翡翠も顔を真っ赤にしながらそんなことを言っていた。
「最良の方法だと思うんですけどねー」
「……まあ、理屈はわかるけどさあ」
秋葉が近づかなければ安全。
それはわかる。
わかるけど困る。
「そんな、一緒に風呂だなんてさあ」
ああ、駄目だ。
必死に真面目な顔をしようとしているのだが、顔がにやけてしまってしょうがない。
いけない。
ここで凛々しい男であらなければ。
「ええ、浴室まで一緒に行ってただければよいだけですよ? 中まで入れとは言いませんから」
「え?」
「脱衣場で待っているのも精神的にきついでしょうから、志貴さまは浴室のすぐ傍に待機していて下さいな」
「は、入らなくていいの?」
「はい」
「そ、そうか……」
残念なんかじゃない。
残念なんかじゃないぞっ。
俺は悲しくなんかないんだっ。
「……っ」
ああ、自分に嘘をつくって言うのはこんなにも辛いことだなんて。
「それなら翡翠ちゃんもおっけーでしょう?」
「……」
翡翠は難しい顔をしたままだった。
イエスでもノーでもないといった感じである。
「志貴さま、宜しいですか?」
「う、うん」
しぶしぶ頷く俺。
「では秋葉さまに伝えてまいりますので。しばらくお待ち下さいなー」
琥珀さんはそういうとぱたぱたと部屋を出ていった。
「姉さんの独壇場になってしまいましたね」
足音が遠ざかってから翡翠がぽつりと呟く。
「水を得た魚状態だからなあ」
琥珀さんは人の弱点とか心理を効果的につく天才である。
アルクェイドという弱点を抱え入れている今、俺は圧倒的に不利なのだ。
味方といってはくれているものの、どうにも琥珀さんには振り回されてしまっている。
「どうやら琥珀対策も考えなきゃ駄目そうね」
アルクェイドが怖い顔をしていた。
「そんな怖い顔するなって。風呂に入れるんだから、それで我慢してくれ」
「まあ……そうね」
しぶしぶ頷くアルクェイド。
「でもわたし、パジャマ持って来てないよ?」
そしていきなり問題発言。
「おまえなー。準備しなさすぎにもほどがあるぞ」
「しょうがないでしょ。志貴のところに向かってる途中で泊めてもらおうって思ったんだから」
「むう」
その辺りの事情はさっきも聞いた。
それに過ぎたことをどうこういっても仕方がない。
「下着は洗い終わればドライヤーでなんとか乾かせると思います」
「うん。そのへんは翡翠が頼むよ」
まさか俺がアルクェイドの下着をいじくるわけにもいかない。
「パジャマに関しては……わたしたちの服ではサイズが合わないでしょうから、志貴さまのものを使うしかないと思います」
「サイズか……」
やっぱり胸が大きいからなんだろうか。
「アルクェイドさんは身長がわたしたちよりありますから」
「あ、ああ、そ、そうだよな、うん」
そうだ、身長が大きいんだから服が着れない。当たり前じゃないか。
「えー? 問題ないと思うけど」
アルクェイドは飄々としていた。
「妙に自信あるなあ」
「だって。前に翡翠のメイド服借りたことあったじゃないの」
「ああ、そういえば……」
そんなこともあったような気がする。
「……」
翡翠は顔を赤くしていた。
ああ、そういえばあのときはアルクェイドに服を取られた翡翠がアルクェイドの服を着ていたんだっけ。
当然すごいだぶだぶだったけど。
「パ、パジャマはわたしも姉さんも一着しか持っていませんっ」
翡翠が少し強い口調で言う。
どうやら翡翠は服をあまり貸したくないらしい。
翡翠は潔癖症の気があるから仕方ないといえば仕方ないか。
「そうだな。うん。じゃあ俺の服でいいか」
「志貴の服? Yシャツとか?」
「そうだな、そのへんを貸すよ」
Yシャツなら女の人でも着ているし、汗を吸うから寝巻きとしては悪い部類じゃないと思う。
「そっか、えへへー」
アルクェイドはなんだかわからないがそれを聞いて妙に嬉しそうな顔をしていた。
「このまえ読んだ本に書いてあったこと、試してみよっと」
アルクェイドは笑顔のまま何かを呟いていた。
「なんだ、なんか言ったか?」
「ううん、なんでもないよ、なんでもない」
やけに上機嫌のアルクェイドに、俺はなんだか不安を感じてしまうのであった。
続く