ネジを再びはめて、蛇口を回してみる。
今度はちゃんとお湯が出てきた。
「ほらな」
「わーいっ、やったやったぁ」
アルクェイドは両手でバンザイをして喜んでいる。
「ば、ばかっ、そんなことしたら……」
ゆっさゆっさと目の前の双丘が揺れて。
はらり、と。
『……あ』
時が止まるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
その26
どうしたらいいんだろう。
俺は非常に困っていた。
そりゃあ、すぐに目線を逸らすことも出来る。
だが、それをやった瞬間に、時が動き出してしまうのだ。
つまりアルクェイドが悲鳴を上げて、翡翠や琥珀さんが駆けつけてくる。
そうして翡翠はまた卒倒して琥珀さんには茶化されてしまうのだろう。
それだけならまだいい。
よくないけど、まだいい。
万が一秋葉が現れたらどうしようということである。
アルクェイドと二人で風呂にいるところを発見される。
イコール、俺の人生の終わりのような気がしてならない。
ああっ、そんな情けない死に方はいくらなんでも嫌だ。
そんなイメージが頭の中を支配していて、とてもじゃないけど動けなかった。
目の前のアルクェイドも体をまったく隠すことなく硬直しているのだが、視線に入っているだけで見えていないようなものである。
動くわけにはいかない、視線を逸らしたら死ぬ。
ああ、もしかしたらアルクェイドが逆上して俺に襲いかかってくるかもしれない。
それでも俺は死んでしまうじゃないか。
なんてことだ。
俺の背筋には冷たい汗が流れ、死にたくない、助けてくれと必死で祈っていた。
「……」
「う」
硬直を破ったのはアルクェイドだった。
何も言わず、落ちたバスタオルを拾い、体に巻きつける。
表情からは何も読み取れない。
「あ、あのさ、アルクェイド」
「……これ、直ったんでしょ?」
「え? ああ、うん」
アルクェイドちょこんと座り、風呂桶にお湯を溜めている。
「体洗うから。外出てて」
「わ、わかった」
俺はほとんど逃げるようにその場を後にした。
「はぁ……」
脱衣場を抜け、外の壁に寄りかかる。
アルクェイドの反応はかなり予想外だったが、叫ばないでくれたのは非常に嬉しいことである。
「……」
いや、待てよ。
もしかして、アルクェイドのやつ、とんでもないほど怒っているんじゃないだろうか。
さっきの秋葉のときもそうだったが、ある程度の怒りの限度を越えると人はおかしくなってしまうものだ。
さっきのは怒りの前兆で、後になってものすごいことになるのかもしれない。
「……」
再び冷たい汗が背中を流れる。
いや、落ち着け。冷静になるんだ。
俺とアルクェイドは恋人関係なんだし、大人の付き合いだってある。
裸を見たことだって、それなりにあるのだ。
普段のアルクェイドだったらどんな対応をしただろう。
いつものアルクェイドだったら「もう、志貴ったらえっちなんだから」とか言いながらも自分から迫ってくるような気がする。
そうして風呂場で大人の時間が……
「……はっ、いかんいかん」
かなりだらしない表情をしている自分に気がついてしまった。
今日のアルクェイドはそういう反応じゃなかったのだから、考えを改めなければいけない。
アルクェイドの顔はどうだったろう。
それが無表情でどうもわからなかったのだ。
無表情のアルクェイドっていうのは今考えてみるとかなり珍しい。
やっぱりものすごい怒ってるんだろうか。
「……うう」
とりあえずアルクェイドが出てきたら謝ってみよう。
勘違いだったらそれはそれでよし。
謝っても許してくれないくらい怒ってたら……
「志貴」
「だわあっ!」
真正面にいきなりアルクェイドが現れる。
しかもまたバスタオル姿のままだ。
「どどど、どうしたんだよ。今度は何だ?」
「着替え。持ってきてよ」
「あ、そうか」
そういえばすっかり忘れていた。
「今持ってくるよ」
「お願い」
俺は部屋に向かって駆け出した。
今のアルクェイドは怒ってるような感じじゃなかったが、やっぱりどこか変だった気がする。
しかも急な登場だったので謝るのを忘れてしまった。
服を持ってきたら謝ろう、うん。
アルクェイドだってわからないやつじゃないんだ。
それに今回のは偶然の出来事だし、そもそもアルクェイドのやつがバンザイなんかするからいけないんだ。
「……」
うーん、それにしてもアルクェイドのスタイルは抜群だったなぁ。
「いかんいかんっ、真面目になるんだ俺っ」
ぺしぺしと頬を叩き、再び駆け出す。
「……ん?」
部屋に入ろうとするとドアが半分開いていた。
翡翠や琥珀さんはどうしたんだろう。
「ひす……」
「うわーんっ! 翡翠ちゃんのばかーっ!」
ばたんっ!
「ぐあっ」
いきなり開いた扉の直撃を受けてしまった。
「いてて……」
なんなんだ、いったい。
「志貴さま?」
翡翠が俺の部屋から不思議そうな顔をして現れる。
「ああ、翡翠。今のってまさか……」
「ええ、姉さんです」
「……」
少ししか顔は見えなかったけどやっぱりそうなのか。
あの琥珀さんに泣きながら「翡翠ちゃんのばかーっ」なんて言わせるなんて、いったい何をしたんだろう。
「少しお灸を据えただけですからお気になさらず」
「え、ああ、うん」
世の中には知らないほうがいいこともある気がする。
俺はそれについては触れないことにした。
「アルクェイドの着替え持って行くの忘れたからさ。取りに来たんだよ」
「そうでしたか。確か姉さんが用意してくれましたから……」
ベットの上にある綺麗に畳まれたYシャツを差し出してくれる。
「ありがとう翡翠」
「いえ。姉さんもしばらくは大人しくしてると思いますので、どうぞごゆっくり」
「はは……」
苦笑しながら再び浴室へと走っていく。
とりあえず琥珀さんのイタズラはしばらくおさまってくれそうだ。
しかしアルクェイドの様子がまだおかしいので安心はできない。
アルクェイドの問題さえ解決してくれれば後は何事もなくすごせるようになるだろう。
多分。
「うう、しくしくしく……」
浴室の傍では琥珀さんがいじけて泣いていた。
「こ、琥珀さん」
ああ、どうにも神様ってやつは俺を厄介事に巻き込みたいらしい。
「あ……」
琥珀さんは俺の姿を確認すると。
「うえーん、志貴さーんっ」
とか言って抱き着いてくるのであった。
続く