浴室の傍では琥珀さんがいじけて泣いていた。
「こ、琥珀さん」
ああ、どうにも神様ってやつは俺を厄介事に巻き込みたいらしい。
「あ……」
琥珀さんは俺の姿を確認すると。
「うえーん、志貴さーんっ」
とか言って抱き着いてくるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
その27
「ちょっ、こは、こは、琥珀さんっ?」
ああ、あの琥珀さんがこんなに無防備な姿を見せるなんて。
普段は常に周囲に気を配り、なおかつ自分のペースで物事を運んでいく琥珀さんが。
こうやってみるとまるで普通の女の子なのである。
「う……ぐ」
俺の胸で泣きつづける琥珀さん。
強く抱きしめてあげたい。
あげたいのだが。
「……」
アルクェイドがさもつまらないものを見るような目で俺たちを見ているのであった。
「うう」
仕方ないじゃないか。
これは不可抗力な状況なんだ。
そう説明したって誰も納得してくれないだろうけど。
「こ、琥珀さんっ。一体何があったの? 説明してくれる?」
まずは琥珀さんをなだめることが先決であるようだ。
「ぐすっ……翡翠ちゃんが酷いんですよ」
涙目上目づかいの反則コンビネーションを使ってくる琥珀さん。
琥珀さんの真の恐ろしさは意図的なものではなく、こういった天然の行動なのかもしれない。
「ひ、酷いって、一体何が?」
琥珀さんは涙をぬぐうと、小さな声で言った。
「翡翠ちゃん、わたしが志貴さんとアルクェイドさんの手伝いをするなって言うんです」
「そんなことを……」
だが翡翠の気持ちもわからなくない。
琥珀さんは協力してくれてはいるものの、どうしても自分のペースで物事を進めていくからだ。
しかもそれが妙に情事というかなんというかを誘発させるようなものばかりで。
琥珀さんとしてはそれは完全に好意からの行動なのだろうけど、さすがにちょっとやりすぎな感じはいなめなかった。
そういう方面が苦手な翡翠については言わずもがなである。
だからといって「情事を誘発させるようなことは止めてください」なんて言えるわけも無いし「策略をしないでください」とも言えない。
そうなると手伝いをするな、と遠まわしに言うしかなかったわけだ。
「でも、それだけでそんなに取り乱したりするのはおかしいよ」
そう、琥珀さんがいくら世話好きだからといって、それだけでこんなにショックを受けるはずがない。
「それだけじゃないんです。翡翠ちゃん、もしそれでもわたしが二人の件で関わろうというのであれば、今後一切メイド服を着てくれないって言うんですよっ」
「ええっ!」
翡翠がメイド服を着ないなんて一大事だ。
メイド服を着た翡翠の存在はいるだけでも癒しを与えてくれる貴重なものだというのに。
いや、でも私服の翡翠というのもちょっと見てみたい気がするけど。
「そして、上下ジャージで仕事をするというんです!」
「なんだってえ!」
冗談じゃない。
「そんな翡翠ちゃん見たくないですよねっ」
「当たり前だ。そんな、翡翠がジャージだなんて……」
考えたくも無い。
都会にひっそり咲く綺麗な花を無下にもぎ取ってしまうようなものである。
「……嫌だな」
「ですよね。うう、でもわたしには志貴さんとアルクェイドさんを見捨てることなんてできません」
「いや、それは……その」
翡翠がジャージになるのは嫌だ。
だが、琥珀さんにこれ以上引っ掻き回されるのも困る。
どうしたらいいんだろう。
「あーもう、はっきりしないなぁ」
「ア、アルクェイド?」
俺が悩んでいると、アルクェイドがいつもの白い服を着てずかずか歩いてきた。
「志貴が全然来ないから同じの着ちゃったわよ、もう。後で着替えるからね」
ぎろりと俺を睨むアルクェイド。
「わ、悪かったって」
怖いので大人しく謝っておく。
「それで琥珀。あなたわたしたちに絡むの止めなさい」
うわあ、アルクェイド直球過ぎ。
「そ、そんな。わたしが協力しないと色々困りますよ?」
それは確かに言えている。
「それはわかってるわよ。でもね。いつまでも琥珀に頼ってるわけにもいかないでしょ。子供じゃないんだから。わたしたちだけでも問題は解決できる。そうよね、志貴?」
「え? あ、うん」
アルクェイドの言い方はかなり強引であるが、ほとんど俺の言いたいことであった。
「でも……」
さみしそうな顔をする琥珀さん。
うう、いかん、この表情に負けてはいかんのだ。
「琥珀さん。多分俺たちだけでなんとかできるよ」
「……」
ああ、あからさまに表情が曇っている。
「で、でもさ、やっぱりどうにもならないことってあるかもしれない。そういうときさ、真っ先に琥珀さんに相談する。それじゃあ駄目かな」
「……じゃ、じゃあ、手伝ってもいいんですか?」
「うん。翡翠には俺から言っておくよ。でも琥珀さんは自発的に協力してくれなくていいんだ。俺たちが頼んだときに、手伝ってくれれば」
「いざというときの切り札ってところね」
アルクェイドが妙なフォローを入れてくれる。
「……そ」
「そ?」
「それはいいですねー。なるほど。とてもいいかもしれません」
琥珀さんはやたらと嬉しそうな顔をしていた。
「そ、そう。よかった」
この人は切り札とか奥の手とか最後の手段とかラスボスとかそういうのに弱いらしい。
「私はいざというときの切り札ですね。わかりました。影ながらお二人を見守るだけに徹しさせていただきます」
「うん。いや、見守らなくてもいいけど、頼むよ」
これで琥珀さんの悪戯も大分減ってくれるだろう。
「はい。どうもご迷惑おかけしました」
琥珀さんは笑顔で去っていった。
「……はぁ」
なんだかどっと疲れてしまった。
こう次から次へと騒動が起きてちゃたまったもんじゃない。
「……」
「う」
アルクェイドがじっと俺のことを見ている。
何かあるんだろうか。
「な、なんだよ」
恐る恐る尋ねる。
「……別に」
アルクェイドはそっぽを向いてしまった。
まださっき俺が裸を見てしまったことを引きずってるのだろうか。
ああ、こっちはちっとも解決の兆しが見えない。
「着替え貸して。志貴はお風呂入るんでしょ? 部屋で着替える」
「あ、うん。翡翠に琥珀さんのほうは解決したから、後で詳しく話すって言っておいてくれよ」
「わかったわ」
シャツを渡すとアルクェイドはさっさと歩いていってしまった。
「うーん……」
また謝ることが出来なかった。
謝るタイミングって言うのはなかなか難しいものだ。
「どうしたもんかなぁ……」
頭を掻きながら脱衣場へと入る。
「う」
おそらく。
というか間違いなくアイツのせいだろうけど。
脱衣場には、洗濯機から取り出された洗濯物が散乱しているのであった。
続く