「結論から言いましょう。アルクェイドさんとシエルさん。少なくともこの夜の間は絶対に外出しません」

琥珀さんはきっぱりとそう言いきった。

「な、なんで?」
「……ふふふ」

琥珀さんは袖で口元を隠しながら笑いながらこう言うのであった。
 

「人間心理による束縛、お教えいたしましょう」
 
 





「屋根裏部屋の姫君」
その36












「そ、束縛って……」

そこはかとなく怪しい響きである。

「ええ。この場合、精神的な要素で出来るはずの行動が出来なくなることを言いますね」
「精神的な要素……?」

どうも普段使わない言葉なので分かりにくい。

「例えばですねー。志貴さん。お風呂に翡翠ちゃんが入っているとわかっていて、お風呂に入りに行きますか?」
「それは行かないよ」

そんなことは出来るはずが無いし、したくたって我慢しなきゃいけないのだ。

「はい。そうですよね。この場合『翡翠ちゃんがお風呂に入っているなら入ってはいけないな』と思うことが精神的束縛になります」
「え? それって当たり前のことじゃないの?」

誰かがお風呂に入っているのに入っていくのは失礼なことだ。

ましてや翡翠は女の子で俺は男なんだからなおさらである。

……アルクェイドは俺が入ってても平然と入ってきそうだけど。

「はい。その当たり前こそが束縛なんです。例え翡翠ちゃんの入浴中に志貴さんが入っても志貴さんは死んだりしないですよね?」
「まあ……うん」

秋葉に殺されそうになるかもしれないけど、翡翠に殺されそうになったりはしない。

「なのに志貴さんはそれをしない。それは志貴さんの中でやってはいけないことだというルールが作られているからなんです」
「え、えーと?」
「……ちょっと難しいですかねー。もうちょっと簡単な例えにしましょう。んー。赤信号は渡らないというのは常識ですよね?」
「そうだね。それはわかる」

青は進め、黄色は注意しろ、赤は止まれだ。

「では赤信号で渡ってはいけないのは何故でしょう」
「そりゃあ、危ないからだろ。車とか走ってるんだしさ」
「ええ。ですが慎重に渡れば車に轢かれない可能性もあるわけです」
「……まあ、あるけど。やっぱり危ないよ」

それになんだかルールを破るのは気分がよくない。

「はい。つまりそういうことですよー」

琥珀さんは笑顔でそう言った。

「そういうことって?」
「ええ。ここでアルクェイドさんとシエルさんの立場になって考えてみましょう。二人は、志貴さんの好意でこの遠野家に泊まることになりました」
「うん」
「さて、ここで二人のいずれかが問題を起こすということはどういうことですか?」
「そりゃ……俺がすごく困る」

アルクェイドが何をしようがシエル先輩が何をしようが、結局なんだかんだで秋葉の怒りの矛先は俺に向かってくるのだから。

「はい。ですからアルクェイドさんもシエルさんもそこはよく理解していると思うんですよ。自分が何かしでかしたら志貴さんに迷惑がかかるだろうなと」
「うーん……」

アルクェイドに対しては絶対そうとは言いきれないけど、先輩に対しては間違いなくそうだろう。

今回は俺が巻き込まれてしまったとはいえ、先輩は一般人は巻き込みたくないというのが信条だ。

「……ああ、そうか」

俺も一般人だし、翡翠や琥珀さんもそうだ。

……まあ、秋葉も一般人なのだ。

それなのに先輩が進んで騒動を起こそうとするわけがない。

「つまり、迷惑をかけるわけにはいかないって先輩は思ってるから、外に出てくることはないってこと?」
「はい。足音がしたとしても、自分から姿を隠されるのではないでしょうか。その足音は志貴さんのものである可能性もありますが、それ以外であった時の危険のほうがよっぽど怖いでしょうから」
「なるほど……」

もし何々だったら。

そう思うと出来るはずの行動できない。

それが精神的束縛なのか。

「なるほどな。シエル先輩は大丈夫な気がしてきた」

シエル先輩は用心深いし、やることなすことそつがないから安心だろう。

「それはよかったですねー」

自分のことのように喜んでくれる琥珀さん。

「うん。……だけど、アルクェイドはどうかなあ」
「大丈夫じゃないでしょうか? アルクェイドさんって一度眠ったら起きてこなさそうですし」

即答。

「でも、さっきトイレに行きたいって起こされたんだけどさ」
「え、えーと……」

目線を逸らせてしまう。

「だ、大丈夫でしょうっ。子供とおんなじですよ。一度はお手洗いに起きるんです。でもそれから寝たら起きないんですっ……多分」

かなり苦しいフォローだった。

「……でも、言えてるかも」

アルクェイドは猫っぽいとかどうこう以前に子供っぽいのだ。

そういうこともあるかもしれない。

むしろそうだとしか考えられなくなってしまった。

「それに、アルクェイドさんが夜中に出歩かなくてはいけない理由はないと思いますけど」
「うーん」

確かに満月の日だったらアルクェイドは外に出たがったりするが、今日は半月だし、色々あったからアルクェイドも疲れてるだろう。

「そうだね。起きてこないような気がしてきた」

どうにも神経過敏になりすぎてしまっていたようである。

「あはっ。解決なさいましたか?」
「うん。なんだか色々ありがとう琥珀さん」
「いえいえ」

琥珀さんはにっこりと笑う。

「何せわたしはいざというときの切り札ですからー」
「ははは……」

どうやら琥珀さんは切り札という立場が非常に気に入ってくれたようであった。

「本当にありがとう。それとこんな時間にごめんね。じゃあ俺部屋に帰るから」
「はい。次来る時は夜這いの時にしてくださいねー」
「はは……」

琥珀さんの冗談に苦笑しながら部屋を出た。
 
 
 
 
 
 

「やっぱり相談してみるもんだなあ……」

一人で解決できないことも二人ならばなんとかできる。

やはり一人で悩みすぎるのはよくないことだ。

「……といって頼りすぎもよくないからな」

ある程度自立しなきゃいけない。

みんなに頼りっきりの俺だ。尚更である。

「よし。明日からしっかりしよう」

そう決意した。

「……ん?」

なんだろう。

「電気がついてるな……」

下の階に明かりが見える。

確か夜は電気はトイレ以外ほとんど電気は消してあるはずなのに。

「うーん、どうしたもんかなぁ」

秋葉はあれで節電とか節水とかそういうことにうるさいのだ。

言ってる本人が一番浪費してそうなのだが、そこは暗黙の了解とされていたりする。

「消してくるか……」

それくらい大した手間じゃないし、ひとつ行ってこよう。
 
 
 
 
 

「……あら」

何故だろう。

「どうしたんです? 兄さん」

琥珀さん、言ってたじゃないか。

「あ、あ、あ、秋葉こそ、なんで、ここに」

秋葉は朝までゆっくりとお休みだって。

企業秘密だって言ってたのに。
 

「なんだか眠れなくて……兄さんもそうなんですか?」
 

リビングでは秋葉が寝巻姿でたたずんでいたのであった。
 

続く



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