何故だろう。
「どうしたんです? 兄さん」
琥珀さん、言ってたじゃないか。
「あ、あ、あ、秋葉こそ、なんで、ここに」
秋葉は朝までゆっくりとお休みだって。
企業秘密だって言ってたのに。
「なんだか眠れなくて……兄さんもそうなんですか?」
リビングでは秋葉が寝巻姿でたたずんでいたのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
その37
「い、いや、まあ、その、うん。まあそんなところだよ」
さっきまですっきりと眠れそうだったのにまるっきり目が覚めてしまった。
なんだかんだでやっぱり一番怖いのは秋葉なのだ。
秋葉をどうにかしないと眠れやしない。
「そうですか、ふふ……」
「……秋葉?」
なんだか昼間のような怖さが余りない。
秋葉はただ憂鬱そうに窓の外を眺めている。
「月でも見てるのか?」
秋葉の隣に並ぶ。
「ええ、あまり面白いものでもないですが」
「そうだな……いつ頃から見てるんだ?」
「つい先ほどからですよ」
つまり俺は琥珀さんの部屋にいる間くらいに秋葉は出てきたんだろう。
ほとんど綱渡り状態だったんだなあ。
「夜十時以降に歩きまわるのはあまり好ましいとは言えませんから」
「好ましくないって、おまえはここにいるじゃないか」
「そうですね……普段ならこんなことはしないんですけれど」
秋葉は自嘲気味に笑っていた。
「……何かあったのか?」
どうも様子がおかしい。
「兄さんにお話するようなことではありませんから」
「そ、そうか……」
もしかしたら、お偉いさんたちの集まりで何か嫌なことがあったのかもしれない。
毎度苦労しているようだと琥珀さんが以前言っていた。
「……」
しかし秋葉が話したくないというのなら聞くのもなんだか気が引ける。
「……ですが少し、独り言を言わせてもらいます」
「あ、え?」
「今日、私は遠野の当主として老人たちの集まりに参加してきました」
「……」
独り言だと言ってはいるが、これは明らかに俺に聞いて欲しいから言っている言葉だ。
俺はただ黙って秋葉の言葉を聞くことにした。
「その席に久我峰も同席していたんですが……酷いものでしたよ」
久我峰というのは遠野の分家でも力のある家で、中でも久我峰斗波というふとっちょのオジサンは元秋葉の婚約者であった。
今は色々あって婚約を破棄しているものの、そういう集まりでは嫌でも顔を合わせなくてはいけないわけだ。
「久我峰は、秋葉様は遠野の象徴であるからもっと露出の高い服を着るべきだ云々と訳のわからないことを言い出して。あまつさえ老人たちもそれに賛同する始末です。まったく、何を考えているんだかわかりません」
女性に露出を求めるのは男の悲しいサガである。
秋葉は有体に言って露出がほとんどない格好ばっかりだし、俺から見ても変態だと思うあのふとっちょなら露骨にそういうことを言うだろう。
「スクール水着だの体操着だのボンテージだの……人をなんだと思ってるんだか」
ボンテージ秋葉はまるっきり女王様になってしまうので笑えない。
まあ、一部足りないところがあるから着れないかもな。
「私はそのまったくもって無意味な提案に突き合わされました。私が何かを言うたびに老人たちはいやらしく笑うんです。その不快さったらもう」
一旦話し出すと秋葉はせきを切ったように不満をしゃべり出した。
「その提案が解決したら次はマスコミに出ないかという誘いです。冗談ではありません。彼らは私に道化を演じろというんです。そしてそれを見て彼らは悦に至るという寸法。悪意を隠さないその態度には不満を通り越して尊敬もしましたが、不快で不快で不快で……」
秋葉は拳を握り締めて震えていた。
……俺は知らなかった。
あの秋葉が、こんなに辛い目にあっていただなんて。
しかも普段はそれを全く表に出さず、あくまで平静を装っていたのだ。
「ごめん秋葉。俺……ほんとにダメな兄貴だな」
耐えられなくなって、俺はそう口にした。
「兄さん?」
「秋葉がそんなに苦労してるのにまるっきり気付かないで。本当だったらその立場にいなきゃいけないのは俺なのに」
秋葉にだってもっと普通の生活をする権利はあるはずだ。
俺がもっとしっかりしてさえすれば。
「……いいんですよ。いつも言ってるじゃないですか。私は好きでこの立場にいるんです。それに」
「それに?」
秋葉は珍しく、満面の笑みを浮かべていた。
「兄さんがいるから、私は頑張れるんですから」
どきりとした。
なんだ。
今まで近くにいすぎて気付かなかったけど。
こいつ、可愛いじゃないか――
「同時に兄さんがいるからこそ苦労しているんですけれどね」
――そのへんはやっぱり秋葉だった。
「はは、ははは」
苦笑するしかなかった。
「まったく、兄さんは唐変木で朴念仁で……」
「わ、悪かったなあ」
自分でも多少自覚はしてるけど、そんなに酷いのだろうか。
「そういところも含めて私は兄さんが好きですけどね」
「そうか、好きか……ってええっ?」
いま秋葉がさらりととんでもないことを言ったような。
「好きだといったんですよ? ふふ……」
秋葉は魅惑的な笑みを浮かべていた。
月夜の下でそんな表情を浮かべる秋葉は例えようも無いくらいに綺麗に見えた。
「え、だって、秋葉、俺のこと怒ってばかりじゃないか」
「それは兄さんが余りにもだらしないからです。好きな人だからこそ、しっかりしてもらいたいという心の表れです」
……おかしい。とてもおかしい。
夜だからだろうか。
秋葉がこんなことを言うなんて。
しかもそれが妙に可愛かったりするから困る。
「え、ええと……」
まいった。いくらなんでも予想外過ぎる。
「それで兄さんは、私のことはどう思っているんですか……?」
「え? え、ええと……そ、そりゃ、よく出来た妹だと思ってるけど」
「そういう意味ではなくてです。一人の女としてどうかということです」
「一人の女って……」
今まで秋葉をそんな目で見たことがなかった。
血が繋がってないとはいえ、やはり秋葉は俺の妹って感じだったからだ。
「どうなんです? ふふふ……」
秋葉は俺の頬にそっと手を当てる。
秋葉の手は暖かくて柔らかかった。
まずい、とてもまずい。
心臓がすごくドキドキしていてどうにかなってしまいそうだ。
「兄さん……」
艶っぽい声の響き。
「秋葉……」
秋葉との視線が絡み合う。
「むーっ! なにしてるのよ妹ーっ!」
そこに響く怒声。
「あ、あ、あああ、ああああああああ……」
起きてしまった。
ついに、最も起きて欲しくない事態が。
「……アルクェイドさん?」
遠野家のリビングで半月の下、アルクェイドと秋葉は対面するのであった。
続く