ぽりぽりと頬を掻いているアルクェイド。
「……そういえばそういう話だったな」
色々やってて最初の趣旨を忘れてしまうところだった。
「メイド……ですか?」
首を傾げている翡翠。
「ああ。実はアルクェイドがさ……」
「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その12
「……なるほど、話はよくわかりました」
大まかな事情を説明した後の翡翠の反応は、いつも通りの淡白な反応に見えた。
「琥珀さんのせいで変な方向に話が進んでたんだけどね」
のだが。
「志貴さま」
その口調からはプレッシャーが感じられた。
それは静かな怒りのプレッシャーである。
「ご、ごめん翡翠」
俺はすぐさま謝ることにした。
翡翠が怒るのも当然なのかもしれない。
なにせ翡翠はメイドの鏡みたいな存在なのだ。
自分の仕事に誇りを持っているだろうし。
「……何を謝っているのですか? 志貴さま」
「あ、あれ?」
ところが翡翠は俺を不思議そうな顔で見ていた。
「メイドを甘く見るなって怒ってるんじゃないの?」
「……そうですね。確かに志貴さまたちはメイドを甘く見ていると思いますが」
「あ、あはは」
翡翠の言葉はストレートすぎて痛い。
「わたしが腹を立てているのはそういう事ではありません」
「じゃあどういうこと?」
アルクェイドが尋ねる。
「姉さんの事です」
「ああ……なるほど」
「あれほど悪戯はするなと注意しておいたのに……」
もしかしたら琥珀さんの悪戯好きに一番頭を悩ませているのは、翡翠なのかもしれない。
「……でしょ? やっぱり一度ぎゃふんと言わせるべきなのよっ」
拳を振り上げ、無駄に気合をアピールするアルクェイド。
「そうですね。一度痛い目に遭うべきなのかもしれません」
「……うわ」
あの穏便な翡翠がそこまで言うなんて。
「よりによって志貴さまに……仕えるべき主人に仕事をさせるだなんて、メイドとしてあるまじき行為です」
どうやら翡翠は琥珀さんが俺に掃除をさせた事に怒っているようだ。
「やりましょう。姉さんへの悪戯。わたしもお手伝いいたします」
「え? マジで?」
思わぬ三人目の登場である。
「はい。もちろんアルクェイドさまへのメイド指導も協力させて頂きます」
「それは助かるな」
翡翠なら琥珀さん対策もばっちりだし、メイドの師匠としても申し分ない。
「それでは早速メイドの指導から始めます」
「え、いきなり?」
「はい。お二方とも基本がなっていませんので」
「基本って? エプロンなら着てるわよ?」
首を傾げているアルクェイド。
こいつの頭の中ではエプロンをつけてれば誰でもメイドなんだろうか。
「……手を出されてください」
「手?」
「手がどうかしたの?」
二人して翡翠の前に手を差し出す。
「やはり」
翡翠はそれぞれの手を見て渋い顔をしていた。
「な、何がやはりなの?」
「……爪が切れていません」
「あ」
「う」
言われてみれば確かに。
「メイドに必要なのは清潔さです。長い爪は不潔です。爪の間に汚れが入っているなんて持ってのほかです」
「普段あんまりそういうの意識しないからなあ」
特に俺は面倒で切らなかったりするし。
「長いと便利なんだけどなー」
アルクェイドのほうもおしゃれとかじゃなくてただの不精っぽかった。
「爪が長いと、重いものを持ち上げたときにべきりと折れます」
「ひいいっ」
聞いただけで身の毛のよだつ思いがした。
「わ、わかったわよ……切るわよ、ちゃんと」
アルクェイドも渋い顔をしていた。
真祖といえども痛い話には弱いらしい。
「それで結構です。終わったら部屋で待機していてください。必要なものを手配してまいりますので」
「……はーい」
翡翠はぺこりと一礼して去っていった。
「なんか翡翠は翡翠で厳しそうよねー」
ぱちん。
「かといって琥珀さんじゃ勉強にならないしなあ」
ぱちん。
「程々ってのは無いのかしら?」
ぱちん。
「それが一番難しいんだろ……って悪い。そっち跳ねた」
「はいはい」
床に落ちた爪を拾い上げるアルクェイド。
「志貴のほうが伸びてたんじゃない?」
「う、うるさいなぁ」
くどいようだが俺はメイドなんてやるつもりはない。
よって爪を切る必要も無かったはずのだが、なんとなく気になって切り出してしまった。
「やっぱりこれからの男は身だしなみくらい注意しないと」
「うわ、志貴が心にもない事言ってる」
「……半分は本音だぞ」
半分は翡翠のプレッシャーのせいかもしれないけど。
いつまでも朴念仁男じゃ進歩ないからな。
「はいはい、わかってるって」
ぺろりと舌を出して笑うアルクェイド。
「まったく……」
まるで信用してないな、あれは。
ぱちん。
ぺちん。
がりがり。
「よし」
ヤスリも使ってバランスを取りつつ、全ての手の爪を切り終えた。
「終わりと」
切った爪をゴミ箱へ捨て、爪切りをしまおうとすると。
「あ、待って。ついでに足の爪も切っちゃうわ」
アルクェイドが後ろから声をかけてきた。
「足の?」
別に必要ないんじゃないか?
そういうつもりで振り返ると。
「よっ……と」
アルクェイドがベッドの上でスカートを脱ぎ始めていた。
「お、おま、おまえはなにをやってるんだっ!」
「……え? だって脱がないと爪切れないじゃない」
何を当たり前の事をとでも言いたげなアルクェイド。
「スカートは脱がんでもいいだろっ?」
その下のストッキングだかソックスだかは脱がなきゃ駄目だろうけど。
「視界が悪いのよスカートは」
「そ、そういうものなのか……ってとにかく駄目っ!」
もうすぐ翡翠が部屋に来るっていうのに。
こんなところを見られたらとんでもない事になってしまう。
「とにかくはいて、ほらっ!」
脱ぎかけていたスカートを掴む。
「ちょっと止めてよ子供じゃないんだから」
そう言ってアルクェイドが抵抗した瞬間。
「お待たせしました。志貴さま、アルクェイドさ……」
これでもかっていうタイミングで翡翠が現れて。
「……」
俺とアルクェイドの二人を見ながら硬直していた。
「待て、誤解だ翡翠」
俺は先に否定しておいた。
否定しておいてなんだが、この状況、どう見たって。
「し、志貴さまがアルクェイドさまを……襲って……」
「違うっ! こいつがアホな事やりだしたから止めただけだっ!」
「し、失礼したしましたっ!」
ばたんっ。
「ちょ、待ってっ!」
翡翠は思いっきり誤解して部屋を出て行ってしまった。
ああもうなんだこの最悪の状況は。
「……おまえのせいだぞっ!」
俺はアルクェイドに向かって叫んだ。
「わたしに怒鳴るのもいいけど。追わなくていいの?」
こういう時ばっかりアルクェイドは冷静である。
「わ、わかってるよ、あーもうっ!」
せっかく力強い味方が出来たと思ったのに。
これじゃ一瞬でおじゃんである。
「ひ、翡翠待ってくれーっ!」
俺は慌てて翡翠を追いかけるのであった。
続く