こういう時ばっかりアルクェイドは冷静である。
「わ、わかってるよ、あーもうっ!」
せっかく力強い味方が出来たと思ったのに。
これじゃ一瞬でおじゃんである。
「ひ、翡翠待ってくれーっ!」
俺は慌てて翡翠を追いかけるのであった。
「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その13
「はぁ……やっと追いついた」
「……」
しばらく進んだ先の曲がり角のところで翡翠を捕まえることが出来た。
いや、正確には翡翠が止まって待っていてくれたのだ。
「も、申し訳ありません志貴さま、取り乱してしまって」
大きく息を吐く翡翠。
「うん、でもわかってくれたみたいだね」
待っていてくれたということは、誤解だと気づいたんだろう。
「アルクェイドさまと志貴さまは恋仲なのですから、あ、あのような事くらい当然……」
あのような事、の部分で翡翠の顔は真っ赤になっていた。
「いやいやいやいや。そういう事はしてないから。あれは偶然の事故だったの」
「……そうなのですか?」
「そうなんだって。そんな年中発情してばっかりじゃないよ」
「その言葉には信憑性が微塵もありませんが」
「おいおい……」
俺はそんなケダモノ扱いだったのだろうか。
確かに一時期は毎晩……ごほげほ。
「冗談です」
「あ、あはは」
翡翠の冗談はどこまで冗談なのかよくわからない。
「志貴さまが嘘をつくときはもっと下手ですので」
「……勘弁してくれよ」
こういう時に翡翠と琥珀さんが姉妹なんだなあと変に実感してしまうのであった。
「戻ったぞー」
「あら、意外と早かったわね」
「……」
誤解をつくった元凶はこいつだというのに飄々とした様子である。
足の爪は切り終わったのか、スカートもちゃんと履いていた。
「はぁ」
まあこいつに何を言ったってしょうがないか。
「先ほどは申し訳ありませんでした。さっそくメイドの心得から指導していこうと思います」
「はーい」
とりあえず俺もアルクェイドの隣に座り、翡翠の指導を聞くことにした。
「あ、でもさっき琥珀にも聞いたわよ? メイドに大切な事」
「……姉さんが?」
「そういえばなんか言ってたな」
琥珀さんにしては珍しくマトモな事を。
「どのような事をですか?」
「メイドに必要なのは癒しなんだって」
「ええ、その通りです。メイドは仕える相手に対し、肉体的に、精神的にも満足を与えるのが仕事です」
「じゃあそれはもういいわよ」
アルクェイドがそう言うと翡翠は首を振った。
「それも大切なことですが。メイドには守るべき三大原則があるんです」
「三大原則?」
「はい」
ぴっとひとさし指を伸ばす翡翠。
「第一条。メイドは主人及び客人に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに主人らが危害を受けるのを黙視していてはならない」
「……それって」
どこかで聞いたような。
「第二条。メイドは主人の命令に従わなくてはならない。ただし第一条に反する命令はこの限りではない」
「……えーと」
アルクェイドも気づいたのか、苦笑いをしていた。
これはかの有名なアシモフのあれである。
「第三条。メイドは自らの存在を護らなくてはならない。ただし、それは第一条、第二条に違反しない場合に限る」
「ねえ、翡翠」
三条を言い終えたところでアルクェイドが声をかける。
「何でしょうか」
「それって……ロボット三原則じゃないの?」
「……?」
翡翠は首を傾げていた。
「いえ、これはメイド三原則です。何ですかそのロボット三原則というのは」
どうやら翡翠はロボット三原則のほうを知らないらしい。
「ええと翡翠、そのメイド三原則って誰に聞いたの?」
原則というからには自分で考え付いたものじゃないだろうし。
「姉さんの持っている本に書いてあったんです」
「……琥珀の?」
「そ……それってまさか」
アルクェイドの顔を見る。
どうやら同じものを思いついたらしく、大きく頷いていた。
「ちょっと待ってね」
ひょいと屋根裏部屋へ飛んで、すぐに一冊の本を持って戻ってくる。
「これ?」
それは『必勝! これで今日から貴方もメイドさん大全集』であった。
「そうです。その本です」
「……」
胡散臭い本だとは思ってたけれど、やっぱり内容もそんなのばっかりだったのか。
「翡翠。あのね。メイド大原則には元ネ……」
「アルクェイド、やめとけ」
「……そうね。なんでもないわ。わたしの勘違いみたい」
「はぁ」
こんな本でも翡翠にとってはバイブルなのだろう。
知らなくていい真実だって時にはあるのだ。
「どうしてその本がここに?」
「え? ああ、うん。アルクェイドがメイドをやりたいって言ったらプレゼントしてくれたんだよ」
正確には中身に憤慨して捨てていったんだけど。
そんな事は口が裂けても言えそうになかった。
「そうなのですか。良書ですので、熟読を推奨します」
「え、ええ」
ぎこちなく笑うアルクェイド。
「うーむ」
ある意味では中身を読んでみたくはあるが。
教材としては読みたくないなぁ。
「とにかく、その三原則は絶対に守ってください」
「大丈夫よ。志貴に危害なんて加えるわけないでしょ?」
「……そうか?」
「何よ」
「いや、なんでもないよ」
危害までは無いとしても、しょっちゅう被害には遭ってるんだけど。
被害に遭わせてもいけないというのを追加してくれないだろうか。
「では志貴さま。アルクェイドさまへ何か命令をなさってみてください」
などと考えていると翡翠がそんな事を言ってきた。
「なるほど、早速命令に従うってのを実践するわけね?」
「その通りです」
「……命令ったってなあ」
急に言われて思いつくもんじゃないんだけど。
「何でも構わないわよ。言ってみて」
「じゃ、じゃあ肩を揉め……とか?」
思いつくのはせいぜいその程度であった。
「志貴さま。出来ればこの部屋から移動する必要のある命令が宜しいと思います」
「ん? どうして?」
「秋葉さまがいない今ならば屋敷の中を自由に動けますし」
「……ああ、なるほど」
そんな機会は滅多にないもんな。
「じゃあ、あれだ。冷蔵庫に麦茶があっただろう。あれを俺と翡翠のぶん用意して持ってくること」
「ん、そんな簡単なのでいいの?」
「まあ最初だからな。それに、そんな事言って失敗したら恥だぞ?」
「平気よ。馬鹿にしないでよね」
「……馬鹿にはしてないけどさ」
平然ととんでもない事をやらかすのがアルクェイドだからなあ。
「では言ってまいります、志貴さま」
なんて翡翠の口調を真似して部屋を出て行くアルクェイド。
「……普通に待ちますか? それとも?」
「ちょっと……様子を見てたほうがいいかもなあ」
やはりどうも心配である。
気分は子供のはじめてのおつかい状態であった。
続く