なんて翡翠の口調を真似して部屋を出て行くアルクェイド。
「……普通に待ちますか? それとも?」
「ちょっと……様子を見てたほうがいいかもなあ」
やはりどうも心配である。
気分は子供のはじめてのおつかい状態であった。
「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その14
「というわけで現在わたしたちはアルクェイドさまを尾行中です」
「……誰に実況してるの? 翡翠」
「某番組風にしてみたのですが……お気に召しませんでしたか」
「い、いや、別になんでもいいけどさ」
翡翠がそういうノリだとギャップを感じてしまうというかなんというか。
「おやおや? あちらは台所の方向じゃないですよ? 大丈夫ですかねアルクェイドさま」
「……口調まで真似するんだ」
「こだわりというやつです」
「まあ、なんでもいいけど」
この屋敷は広いから、道を間違えてしまったんだろうか。
「志貴さま。こちらへ」
「え? なに?」
翡翠が俺を柱の影へと引っ張っていく。
「どうしたの?」
「アルクェイドさまが止まったんです。間違いに気づいたんでしょうか」
「……」
そっと覗いてみると、確かにアルクェイドは道の真ん中で止まっていた。
「引き返してくる可能性もありますね。どういたしましょう」
「どういたしましょうって言われても」
他に隠れる場所はない。
尾行をばれたら面倒な事になってしまう。
一体どうしたらいいんだろう。
「……移動を開始しました。どうやら正解の道を思い出したようです」
「そ、そうか」
幸いアルクェイドが引き返して来ることはなかった。
心配は杞憂で終わってくれたようだ。
「で、翡翠」
「何でしょうか?」
そこで俺はもうひとつの問題を解決する事にした。
「……もうちょっと離れてくれると嬉しいんだけど」
そう、狭い柱に隠れるために、俺と翡翠の体は思いっきり密着してしまっているのである。
おまけに下半身に翡翠のスカート越しの太ももの感触が伝わってきてなんともはや。
「し、ししししし、失礼いたしましたっ」
ぼんっと顔を真っ赤にして離れる翡翠。
「い、いや、うん、大丈夫大丈夫。はは、ははは」
翡翠がこんなに密着してきたのなんて、もしかしたら始めての事だったかもしれない。
実況に夢中で気づいてなかったんだろうな。
実況万歳。
実況ってなんて素晴らしいものだったんだろうか。
「さあ、アルクェイドを追いかけよう」
「は、はい」
俺はアルクェイドの安否を気遣うべく、さらに徹底した尾行をすることに決めた。
別にさらなる密着を期待しているわけじゃないぞ。
それは単なるアクシデントであって。
「志貴さま、なにやら顔がにやけておりますが」
「え、あ、う、うん、ごめん 嘘、期待してた」
「……は?」
「あーっ、えーっ。さ、さあ追いかけよう。見失ったら大変だぞおっ」
「……不審です」
いかんいかん、真面目にやらなきゃ。
「台所です」
「なんとかここまでは来れたか」
それからちまちまと移動してきて台所に到着した。
「果たしてアルクェイドさまはちゃんと冷蔵庫を見つけられるでしょうか」
「いや、あんなでかいもん嫌でも気づくだろ」
遠野家の台所にはそれこそ見てぎょっとするでかさの冷蔵庫があったりする。
「大きいからこそ気づかない可能性もあります」
「……う」
確かにそれもあり得るな。
「通り過ぎてしまいました」
「……マジかよ」
横にある巨大冷蔵庫の前をアルクェイドは通り過ぎていってしまった。
「いえ、どうやら目的は他にあるようです」
「ん?」
見るとアルクェイドはその先にある食器入れに向かって歩いているようだった。
「どうやら先にコップを用意するつもりだったようですね」
「ほんとかなあ」
冷蔵庫が見つからないから取りあえずコップとかなんじゃないだろうか。
「グラスを取って……あ、しまいましたね」
「なんでしまうんだよ」
アルクェイドはグラスを手にとってはしまい、手にとってはしまいを繰り返している。
「好みの物を選んでいるのでは?」
「そんなもんどうだっていいだろうに」
変なところばっかりこだわるんだよなあ、あいつは。
「どうやら決定したようですね。……ですがあれは?」
「……同じコップ?」
試行錯誤の末にアルクェイドが選び出したのは、デザインも大きさも丸っきり同じのコップが二つであった。
「そしてもうひとつ、まるで違うコップですね」
「うーん」
この選択にはなんの意味があるんだろうか。
「わからん」
アルクェイドの考えてる事はさっぱりわからなかった。
「お盆もきちんと用意してますし……ここまでは問題ありませんね」
「まあ……な」
問題は肝心の麦茶が入っている冷蔵庫を見つけられてないことなのだが。
「お」
アルクェイドは巨大な冷蔵庫の前で足を止めていた。
「気づきましたかね?」
「どうだろう……」
ぱたん。
アルクェイドは冷蔵庫の扉を開けた。
「や、やったっ」
などと思わず喜んでしまったが。
「……たかが冷蔵庫の扉開けただけでなんでこんな喜ばなきゃいけないんだ」
「それが親心というものでしょう」
「あ、あはは」
親じゃなくて恋人なんだけどなあ、俺。
「ただ、ここで問題がひとつあるんです」
「問題?」
あとは麦茶を出して持ってくればいいだけなんじゃ。
「……あ」
アルクェイドが取り出した二つの入れ物を見て、翡翠の言っている事の意味がわかった。
「そうか……つゆだな?」
「そうです。麦茶とつゆ。それは非常に間違えやすいものの定番です」
誰でも一度くらいやったことがあるだろう。
真夏の暑い日に、冷蔵庫の麦茶を引っ張り出して飲んだつもりがそばつゆだったという経験が。
「あれは地獄の苦しみなんだよな……」
さわやかなのどごしを期待していたところにそばつゆの味が流れ込んでくるのだ。
「あれはあれで嫌いではありませんが」
「え」
マジですか、翡翠さん。
「……冗談です」
「あ、あはは、あははは」
やっぱり翡翠の冗談は難しすぎる。
「さてこの困難をどう乗り越えるか……ですが」
「そうだなぁ」
そばつゆなんて飲まされたらたまったもんじゃない。
「膠着状態ですね」
「……うーん」
アルクェイドは入れ物とにらめっこをしていた。
「あ」
「お?」
二つの入れ物の蓋を空けるアルクェイド。
「そうだ、味を確かめれば……」
そばつゆと麦茶だ。違いは一発でわかるのである。
とくとくとくとく。
「お、おい?」
アルクェイドはその液体をコップへと注いでいく。
「……大丈夫なのか?」
それは結構な量だ。
麦茶だったらそれでもいいけど。
ごくり。
「ごほっ……げほげほっ!」
「……あのバカ」
見事にそばつゆのほうを引き当ててしまったようだ。
「〜〜〜〜!」
怒り心頭の様子だが、それをぶつける相手はいない。
「琥珀のやつ、ちゃんと中身を書いておきなさいよねっ」
せいぜいその程度の負け惜しみをいうくらいであった。
「……ま、これなら大丈夫かな」
麦茶とそばつゆの違いもわかったわけだし、後は部屋に運んでくるだけだ。
「監視を終了いたしますか?」
「ああ。部屋で待ってよう」
そして言ってやるのだ。
お疲れさま、ありがとうアルクェイドと。
「……なんで味見しといてそばつゆと間違えるかなぁ」
「あれ? しまう方間違えたかな?」
「やはり最後の最後まで見ておくべきでしたね……」
続く