「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その15
「……ってあれ? どうして志貴が味見したこと知ってるの?」
俺たちの言葉に首を傾げているアルクェイド。
「はっ」
いかん、つい余計な事を言ってしまった。
「い、いや、それはなんとなく勘で」
「翡翠は最後の最後まで見ておくべきとか言ってたけど?」
「……そ、それはその」
「そ、その程度の行動予測、メイドならば当然です」
翡翠の言い訳はかなり苦しかった。
「むー……」
かなり不審そうな目で俺たちを見ているアルクェイド。
「なんてね。尾行してたことくらい気付いてたわよ」
と思いきや一変、悪戯っぽく笑って見せた。
「え? そ、そうなのか?」
「当たり前でしょ。わたしを何だと思ってるの?」
「……」
言われてみれば、シエル先輩の尾行にすら気付くアルクェイドが俺たちの下手な尾行に気付かないはずがなかったのだ。
「……ってことはまさか、このそばつゆも」
つまり、俺たちの尾行に気付いたアルクェイドはわざとそばつゆを持ってきたと?
「それは本気で間違えただけ。そんな琥珀みたいな事しないわよ」
「そ、そうなのか?」
「うん。見られてるって変に意識しちゃったから間違えたのかも」
そう言って顔を赤らめるアルクェイド。
「……ぬぅ」
そんな反応をされるとこちらとしても困ってしまう。
「尾行がばれていたついでに質問宜しいでしょうか」
すると翡翠がそんな事を言った。
「ん? なに?」
「アルクェイドさまは、いくつかのコップを選別しておりましたが、あれにはどのような意味があったのでしょうか」
「あ、それは俺もちょっと気になるな」
「え? あ、あれは別に……深い意味は」
人差し指をもじもじと交差させるアルクェイド。
「なんだ? 別に恥ずかしい事じゃないだろ?」
「そりゃまあそう……なんだけど」
「まったく意味の無い事をアルクェイドさまがするとは思えないのですが」
「だ、だから全然大した事じゃないんだってば」
「なら言ったって構わないじゃないか」
「あー、うー、そう改めて聞かれるとちょっと」
「……」
なるほど、本当は別に話しても構わないような事のはずだったんだけれど、俺たちが期待しすぎて話し辛くなってしまったのかもしれない。
「申し訳ありません。不躾な質問でした」
頭を下げる翡翠。
「だから。そんな大層なもんじゃないんだってば。その」
アルクェイドは一瞬俺の顔を見て。
「……ただ志貴とペアのコップだっていうのがやりたかっただけ……だから」
それだけ言うとそっぽを向いてしまった。
「あ……」
普段の俺だったら、なんだそんな下らない事をと言ったかもしれない。
だが今は違う。
普段はべたべたしてくるくせに、この程度の事に関しては恥ずかしがるというギャップが妙に可愛く見えてしまった。
「……麦茶を持ってまいりましょうか」
そして気を遣ってだろう。
翡翠がそんな事を言い出した。
「あ、ちょ、ま、駄目、翡翠、ここにいてっ」
慌てて引き止める俺。
「……志貴さまは愚鈍です」
翡翠はお馴染みのセリフを言って呆れた顔をしていた。
「い、いや、そうじゃなくてさ」
普段だったら気付かないような事に気付いてしまったから駄目なのだ。
確かめなきゃ「ふーん、同じコップなのか」くらいにしか思わなかっただろうに。
「なんか変に意識しすぎちゃってさ」
「志貴さまはそれくらいで丁度とよいと思われます」
「……あは、あはは」
「……」
アルクェイドはじっと俺の顔を眺めている。
「え、えーと」
そばつゆと緊張のせいで喉はからからである。
「じゃ、じゃあ、取りあえず俺が麦茶を取りに行こう。うん」
「……どうぞ、ご自由に」
「え、あ、うん」
俺は逃げるように部屋を出て行った。
「……はぁ」
台所にて。
麦茶を飲むのはばつが悪いので取りあえず水で喉を潤してみた。
「麦茶……持って行かなきゃ」
そしてアルクェイドとお揃いのコップで麦茶を飲まなきゃいけない。
「そ、それだけの事じゃないか。うん」
ただ同じデザインのコップ。それだけの事だ。
俺たちは恋人同士なんだし、もっと凄い事だってたくさんしてる。
何を今更そんな事で。
「……だあ、いかん」
だから意識すると駄目だってのに。
「有彦だったら平然とこういう事が出来るんだろうけどなあ」
むしろ嬉々としてやるに違いない。
「……間接キスですらないんだから」
今時小学生でもときめかなそうなシチュエーションである。
「しかしペアルックというのもあるし……」
あれは恥ずかしいものの極みだ。
特にハートのデザインでピンクのやつがお揃いとか。
「……おおう」
鳥肌が立ってしまった。
「ああもう、考えるのは止めよう」
気にしないふりをしていればいいじゃないか。
どうせ僅かな時間の出来事なわけだし。
「持ってきたぞー」
「えっ、あああ、うう、うんっ。ま、待ってたよ志貴っ?」
まるで初めてのデートをする中学生か何かみたいに落ち着かない様子のアルクェイド。
顔はトマトみたいに真っ赤で、目線も泳いでいる。
どうやら麦茶を待っている時間で恥ずかしさが増幅してしまったらしい。
「う……」
こんな態度のアルクェイドを見て、気にしないなんてのは不可能に決まっている。
「ひ、ひひひひひ翡翠、ちょっと」
「……なんでしょうか」
壁際で待機していた翡翠を呼び寄せる。
「え、ええと、なんとかならない?」
「何とかと申しますと?」
「だ、だからその、なんていうか……」
「……人の恋路に口を挟むのは趣味ではありませんので」
「あ、う、うん、そうだね、ごめん」
考えてみれば間抜けな言葉であった。
目の前でいちゃいちゃしている恋人同士をどうにかしろって言ってるのだ。
「……そんなもん馬も食わないな」
いくら翡翠だって面白からぬ状況だろう。
「い、いえ、その、誤解されているようですが」
俺がそんな事を考えていると、翡翠がなんだか慌てていた。
「わたしもその、そういう経験は多くないので……助言が出来ないと、そういう意味でして」
「あー……」
それも至極もっともである。
「……とすると」
この状況をどうにか出来る人間はいないわけで。
「ええい」
こうなったらもうやけくそである。
「さ、さあ、アルクェイドっ。お揃いのコップで麦茶を飲むぞおっ!」
「え、あ、う、ううう、うんっ」
「翡翠も一緒に、さあさあっ」
「え、あ、は、はい」
三つのコップに麦茶を注ぎ。
「いっただきまーす」
「い、頂きます」
「……頂きます」
ごくりと一口。
「う、うん、美味い。実にうまいなあっ」
「そ、そうね。すごく美味しいわっ」
恥ずかしさを紛らわすために、ほとんど意味のない言葉を叫ぶ俺とアルクェイド。
「そ、そうですね。麦茶を、美味しいです」
翡翠もつられてか、変な口調になってしまっていた。
「おかわりどうだっ? いくらでもあるぞおっ?」
「わ、わあっ。やったあ」
「お、おかわりを麦茶です」
こういう状況は、置かれている当人たちしかわからないものである。
よって部外者が見てもそれはただの変な人にしか見えない。
「な……何やってるんですか? みなさん」
「あ」
「う……」
あの琥珀さんですら、ドアを開けた状態のままで呆れた顔をしているのであった。
続く