咄嗟の判断のせいなんだろうけど、翡翠はとんでもない事を口走る。
だがそれがよかったらしい。
「ひ、翡翠ちゃ〜ん! お姉ちゃんが間違ってたっ!」
琥珀さんはものすごい勢いで屋根裏から降りてきた。
「そうだよねっ。悪戯は愛情表現だもんっ! そんな単純な事を忘れただなんて」
「え、ええ、そうです、はい……」
「これからはもっと張り切って悪戯しなきゃっ」
完全復活……というか前よりタチが悪くなってしまいそうである。
「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その19
「あー、うん。悪戯は程々にね?」
琥珀さんが悪戯を止めるというのはあり得ないのでそうたしなめておく。
「うふふ、わかってますよー」
「……ほんとにわかってる?」
どうにも不安であった。
「わたしとて子供ではありません。節度というものをわきまえてます」
「そ、そう?」
「はい。任せて下さいなっ」
「……まあそこまで言うなら」
大丈夫……なんだろうか。
「さっきは翡翠にいぢめられて泣きながら逃げてったくせに」
「だあ。なんでそう余計な事ばっかり言うかなぁ」
せっかくうまくまとまりかけてたのに。
「ふ、翡翠ちゃんの愛のパワーを得たわたしにその程度の悪口は通用しませんよっ」
「……」
なんともいえない顔をしている翡翠。
咄嗟とはいえとんでもないこと言っちゃったからなあ。
「さささ、アルクェイドさん。指導を再開いたしましょう」
「え? あ、うん」
普段にも増して元気はつらつな琥珀さんに、アルクェイドもたじろいでいた。
「……今度は何を指導するつもりなのですか、姉さん」
「うん、そうだねー。えーと」
そこで俺の顔を見る琥珀さん。
「志貴さんは何がいいです?」
「いや、俺よりも二人のほうがメイドについては詳しいんだから、余計な事は言わないよ」
変なこと言うと茶化されそうな気がするし。
「そんな事仰らずに。これはわたしたちのためでもあるんです」
「わたしたちのため?」
「はい。志貴さんがメイドに……つまりわたしたちに何をして欲しいのか、それを仰っていただければいいんです」
「なるほど。主人の要望を聞けばそれに応じた対応が出来ますね」
琥珀さんの発言に、翡翠も納得していた。
「だって。ほら。志貴何して欲しい?」
にこりと笑うアルクェイド。
「……」
みんなでハーレムとか。
いやいやいやいや。
今言ったら袋叩きにされるぞ、俺。
「……別に、いつも通りでいいんだけどな」
「いつも通り……ですか?」
「うん。翡翠が朝起こしてくれて、琥珀さんがご飯作ってくれて……それで十分なんだけど」
「他にはないのですか? 志貴さま」
「あとはまあ、いってらっしゃいとおかえりなさいくらい言ってくれれば……」
「はー。欲がないんですねぇ」
琥珀さんが目を丸くしていた。
いや、欲はあるんですけど口に出して言えないだけであって。
「……じゃ、それをアルクェイドさんにやってもらいましょう」
「それって……どれ?」
「ええ。ご飯は外すとして、それ以外をですね」
「わたしたちの普段やっている事をそのままやって貰うということですか?」
翡翠が琥珀さんに尋ねる。
「そうそう。他にも色々仕事はしてるけど、やっぱり志貴さんと密着した仕事の濃度を上げたいじゃない?」
「密着した仕事の濃度って……」
なにゆえそんな怪しい表現の仕方を。
「そうね。そのほうが楽しそう」
「……」
こいつも笑顔でそんな事を言うもんだから、どうにも困ってしまう。
「宜しいですか? 志貴さま」
「はい、もう好きにして下さい……」
俺はもうひたすら流れに任せる事にした。
「では志貴さま起床編を実行させていただきます」
そんなわけで俺の部屋に戻り、まずは朝俺を起こすシーンから始める事になった。
「今回の指導はわたしがさせて頂きますので」
「あ、うん」
いつも俺を起こしてくれる翡翠が指導してくれるなら問題ないだろう。
「……で、なんでアルクェイドと琥珀さんは外に?」
翡翠がしばらく外にいてくださいと、二人に出てもらったのだ。
「志貴さまの演技を頼むためです」
「演技?」
「はい。普通に揺すられた程度で起きては練習になりませんから」
「なるほど。多少は寝たふりを続けろって事?」
「いえ」
あっさりと否定する翡翠。
「じゃあどうすればいいのかな」
「どんなに揺らしても、声をかけてもまるで無反応でいて下さい。そしてこちらが諦めて何もしなくなった頃に、ようやく起きるという演技をお願いします」
「……えーと」
それはもしかしなくても。
「俺ってそんなに起きない?」
翡翠は普段の俺の事を言っているんだろう。
「諦めてからの時間のほうが長いと思います」
「……え、えと、ごめん」
寝起きが悪いのは昔っからだけど、大分翡翠に迷惑をかけてしまっているみたいだ。
「い、いえ、別に構いません。それがわたしの仕事ですし……」
顔を赤くして大きく首を振る翡翠。
「それに、その時間が一番楽しいですから」
「へ?」
「いえ、なんでもありません」
翡翠は一瞬で元の顔に戻っていた。
さすがは翡翠というかなんというか。
「では、よろしくお願いいたします」
「あ、うん」
ようするに諦めるまで寝たフリをしてればいいってことだよな。
俺はドアに背中を向けて寝転がった。
「……」
この状態のままでいるのは難しくなさそうだけど、くすぐられたりしたらちょっとやばいか。
「アルクェイドさま、どうぞ」
「はーい」
足音がベッドに近づいてくる。
「志貴ー。朝だよー。おきてー」
「……」
「志貴ー。志貴ってばー。しきー」
ゆさゆさゆさゆさ。
俺はひたすらだんまりを決め込んでいた。
「しきー。起きてよー。しきー」
しかしこう、名前を連呼されていると犬や猫みたいである。
「……」
しばらくするとアルクェイドの手が離れ、声もしなくなった。
諦めたんだろうか。
「よーしこうなったら……」
こうなったら……なんだ?
まさか。
嫌な事を思い出してしまった。
アルクェイドに思いっきりボディプレスをかまされ、死にそうな状態で起きた事があったのである。
「なお、過剰な打撃を加えるなどの無理やりな起床方法は禁止させて頂きます」
翡翠もそれを察したのか、アルクェイドが行動に移す前に制してくれた。
「ちぇ。駄目か」
やっぱりやるつもりだったのか。
「……はぁ」
思わず安堵の息を漏らしてしまう。
「じゃあ……うーん」
ばさっ。
布団を剥ぎ取られた。
「……」
何も反応しないのも変かなと思い、寝返りを打ってみる。
ちょうど仰向けになった感じだ。
「志貴。起きないと妹が巨乳になっちゃうよー?」
「……」
それはある意味で恐ろしい……っていうか意味がわからん。
「むー」
「諦めますか?」
翡翠が尋ねた。
「方法はあるのよ。とっておきのが」
それに対してそんな事を言うアルクェイド。
一体どんな方法があるっていうんだろうか。
「ただ……ちょっとね」
「ちょっと?」
「ううん。ま、いいわ。やってみないとわからないもん」
「はぁ……」
アルクェイドの言葉はやたらと意味深である。
「じゃあ、覚悟してよね志貴」
なんて物騒なセリフを言った後、手が俺の肩に触れる。
俺は今すぐにでも目を開きたい衝動を必死で堪えていた。
続く