「ば、ばか」
「えっへっへー。仕返しだもん」
「……まったく」

このお姫様ときたら。

「まあ、いいか」

琥珀さんの狙い通りになったようで癪ではあるが。
 

「思う存分いちゃつこうねっ」
 

アルクェイドはにっこりと笑っているのであった。
 
 

「屋根裏部屋の姫君」
第六部
姫君とメイド
その28





「志貴」
「……ん」

アルクェイドの声が聞こえる。

「起きてよー」
「はいはい……」

寝ぼけた頭を押さえながら起き上がる俺。

「じゃあ、ええと……」

アルクェイドはベッドから離れ、会釈をした。

「おはようございます、志貴さま」
「……は?」

なんだこいつ?

「は? じゃないわよ。メイドの練習」
「あー……」

その一言で昨日の記憶が甦ってきた。

「メイドとして俺を起こしたんだったとしたら、起きてよーという言い方は問題なんじゃないかな」
「あ、そっか」

まあこいつの場合、言葉使いを矯正するのは無理だろうなあ。

敬語とかとまるで縁がなさそうだし。

「じゃあもう一回寝てよ。今度はちゃんとやるから」
「……起きたばかりで寝ろと言われても」

寝起きが悪いぶん、起きれば割とすぐに眠気がなくなってしまうのだ。

「わたしが添い寝してあげるから」
「それじゃ余計に寝れないだろ」

昨日の夜の再現になってしまうじゃないか。

いくら俺だって朝からそんな。

「体力使ったら眠くなるかもよ?」
「い、いや、そこまでする必要ないだろ?」
「えへへへ」

アルクェイドは妙に積極的だった。

「夫婦漫才はそのあたりで終了していただけると助かります」
「うおおっ?」

背後から声。

「ひ、翡翠……」

翡翠がドアの前に立っていた。

「い、いつから?」
「いえ、今さっき来たばかりですが」
「……そ、そうか」

良かったアルクェイドに流されなくて。

押し倒してもしようものなら、また翡翠に逃げられちゃうからな。

「むぅ」

翡翠の登場に不満げな顔をしているアルクェイド。

「わたしが志貴を起こすんだから、翡翠はいいのよ」
「そういうわけにもいきません。これがわたしの仕事ですし」
「ま、まあまあ。取りあえず朝飯食おう朝飯。秋葉は?」

二人の間に割って入る俺。

「昼ごろには戻られるかと」
「そっか」

アルクェイドのメイドの件、上手く切り出せればいいけど。

「……なんか胃が痛くなってきた」

あの秋葉相手にそんな無謀な提案をするだなんて。

イエスと言われる要素が何一つ無いような。

「今からそんなんでどうするのよ。気楽に考えましょ」
「おまえは能天気すぎるんだよ」

まあ、確かに悪い事ばっかり考えてもしょうがないか。

「まだ時間はある。気持ちの整理をして、それから話そう」

秋葉だって話せばきっとわかってくれるさっ。
 
 
 
 

「おはようございます、兄さん」
「……あ、あれ?」

ダイニングでは秋葉が優雅に紅茶を飲んでいた。

「えと、翡翠?」

昼ごろ帰ってくるって言ったよね?

「秋葉さま、昼に帰宅の予定では?」

どうやら秋葉がここにいるのは翡翠にとっても予想外らしい。

「ええ。そのつもりだったんだけど。予想以上に交渉が上手くいってね」

そう言って奥のツボを指差す秋葉。

「あれは……いいものです」

なんだかツボマニアの軍人さんを連想させるセリフであった。

「俺にはただのツボにしか見えないんだけど」
「一般のサラリーマンが一年働いても買えないような代物ですよ」
「……そういう無駄な金の使い方しないで欲しいなあ」

俺は毎日の食費ですらひーひー言ってるのに。

「無駄ではありませんよ。壷代のほとんどはチャリティーに寄付されるということですし」

にこりと笑う秋葉。

「そうなのか」

こいつも他人の事を気遣う優しさがあったんだなあ。

「まあ、権力誇示をするという意味もありますが」
「……はっはっは」

金持ちの思考ってのは俺には理解しかねなかった。

「で、アルクェイドさんが平然とそこにいる件についてですが」
「う」

しまった。油断して普通にアルクェイドをついてこさせちまった。

「おはよー、妹」

相変わらず能天気に挨拶するアルクェイド。

「はぁ。いけませんねそのような態度では。メイドを目指しているのでしょう?」

秋葉はため息をついていた。

「いや、これはその、実はだな……」

まさかいきなり説明しなくてはいけなくなるとは。

どう説明すればいいんだ。

アルクェイドがメイドを……あれ?

なんで秋葉がその事を知ってるんだ?

「琥珀に全て聞きました」

あの人か犯人は。

「……」

部屋の隅っこで琥珀さんはくすくす笑っていた。

「アルクェイドさん。あなたは本気でメイドをやる気があるのですか?」
「もちろんよ。昨日だってみっちり特訓したんだから」
「バ、バカ」

自分から昨日家にいたってことばらしてどうするんだよっ?

「……ふぅん」

アルクェイドをいぶかしげな目で見る秋葉。

「あ、あああ、秋葉、なんていうか、その……」

何か言い訳しようとしたが、上手い言葉が見つからない。

ああもう、どうすればいいんだ。

「アルクェイドさんはとても真面目にお勉強されてましたよ。ねえ翡翠ちゃん?」

すると琥珀さんがそんな事を言った。

「はい。技術はまだまだですが、磨けばかなりのものになるかと」

頷く翡翠。

「なるほど。冗談ではないんですね」

秋葉の反応は思ったほど悪くない。

多分これは、琥珀さんがうまく説明してくれたおかげなんだろう。

「……そ、そうだ。アルクェイドは本気なんだ」

俺も微力ながらサポートすることにした。

「そうですか」

秋葉はどんな判決を下すんだろう。

全員が固唾を飲んだ。

「どうなのよ? ねえ?」

いや、当事者だけが能天気なままだった。

「バカ」

そんな態度を取ってたんじゃ、秋葉が頷くわけ無いじゃないか。

「ええ。そこまで言うならいいでしょう」
「ほら、やっぱり……ってええええっ?」
「……なんですか? 承諾しては不満だというのですか?」
「い、いや、そんな事ないけど」

まさかこんなにあっさりと承諾されるなんて。

まるで夢みたいだ。

「やったなアルクェイド!」
「えへへー」

二人で手を取り合い、喜びを分かち合う。

「はいはい。喜ぶのは結構ですが、メイドとして働くと言うならば、この契約書にサインをしてくださいね」

そう言って紙を差し出す秋葉。

「はーい」

言われたとおり紙にサインを書こうとするアルクェイド。

「いやいや、よかったですねー」

琥珀さんも喜んでいた。

何もかもが上手くいっている。

そう信じて疑わなかったのだが。

「待って下さい」

翡翠がアルクェイドを止めた。

「何よ? もしかして朝の件で怒ってるの?」
「いえ、決してそのような事は」

確かに一瞬険悪な雰囲気にはなった。

けれど、そんな事で翡翠がアルクェイドを妨害するんだろうか。

ついさっきまでだって、応援してくれていたじゃないか。

一体どうしちゃったんだろう、翡翠は。

「……」
 

翡翠は何も言わず、ただその契約書を見つめているのであった。
 

続く



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